1-19:瓶詰の宝石

「なんだい、久しぶりじゃない、ゲイル!」
 ――助かった。
 つい、そう思ってしまったことに罪悪感を覚えたが、セレスが俺から視線を外して声の聞こえてきた方に顔を向けたので、俺もとっとと意識を切り替える。
「よう、おばちゃん。元気してた?」
 声をかけてきたのは、商店街で菓子屋を営むおばちゃんだ。名前は知らないが、この基地に転属して最初に町に下りた時から、毎度声をかけてくれる気のいい人だ。
 背は低いが横に広い体を揺らす、赤い巻き毛のおばちゃんは、エプロンをかけた丸々とした腹を突き出して豪快に笑う。
「おかげさまで、旦那と子供ともども元気だよ。そっちは、近頃忙しいのかい?」
「別に、忙しい、ってわけでもねーんだけど。色々あってな」
 暇を持て余して町に下りてきたくらいだから、忙しいわけじゃない。俺にとって「色々あった」だけの話だ。その「色々」の主な内訳であるセレスは、俺の手を握ったまま、じっとおばちゃんを見つめている。観察している、と言うべきか。
 おばちゃんも一拍遅れてセレスに気づいたらしく、「おや」とどんぐり眼を瞬かせる。
「あんたが子供連れなんて珍しいね」
 言いながら、おばちゃんはすすす、と俺の側に寄ってきて、焼き菓子のいい香りをさせながら囁く。
「まさか……、隠し子?」
「ねーよ! まかりまちがってもこんな大きな子供は作れねーよ!」
 ついつい動揺してしまった俺を、おばちゃんは豪快に笑い飛ばす。
「あはは、冗談さ。でも基地にこんなかわいい子がいるなんて初耳だね。この子も軍人さんなのかい?」
「まあ、そんなもんだ」
 正確には「備品」だが、その辺りは言っても理解してもらえるとは思えないしな。
 明らかに軍人に見えないセレスを見ても、おばちゃんはそれ以上の詮索をしてはこなかった。基地に逃げてきた当時の俺も、時計台の公私に渡る熱狂的な視線に辟易していたから、おばちゃんを始めとした町の連中の素朴さには随分救われている。
 おばちゃんはぺこりと頭を下げるセレスに朗らかに笑いかけ、「ちょっと待ってな」と道を挟んだ自分の店に引っ込んだかと思うとすぐに戻ってきて、ちいさな瓶をセレスに手渡した。
「よかったらお食べ」
「いただいてよいのですか?」
 流石に「ものを手に入れるには金を払う必要がある」程度の常識は備えている――もしくは今日俺を見て学んだらしい――セレスは、小首を傾げる。
「お近づきのしるし、ってやつさ。気に入ったらまた来てちょうだいな」
 セレスは、一瞬呆気に取られたように口を半開きにして、手の中に納まった瓶に視線を落とす。瓶の中に詰まっているのは、色とりどりの砂糖菓子だ。霧払いの灯を受けて輝くつややかな菓子は、宝石か何かにも見える。
 じっと瓶を見つめていたセレスは、唐突に顔を上げた。その顔に表情らしい表情は見えなかったが、「嬉しい」のだろうなということは、
「ありがとうございますっ」
 という声の弾み方で明らかだった。
 セレスと顔を合わせた当初は無愛想な奴と思ったがそうじゃない。人並みの感情表現がわかっていないだけ、というのが近頃の感想だ。
 おばちゃんも満足げに微笑んでセレスの頭を帽子の上から撫でた。何だか知らないが、セレスの頭は特別撫でやすいようにできているらしい。
 瓶を光に透かすセレスはとりあえず横に置き、折角町に下りたのだから、聞いておきたいことがあったのだ。
「そういやおばちゃんさ、最近、基地の連中でも町の住人でもない顔って見た? こいつ以外で」
 ぽんぽん、とセレスの帽子を叩く。ここ数ヶ月の間、セレス以外に基地に新人は入っていない。そしてこの島は、外界との交流をほぼ絶っている。もし「見ない顔」がいたなら、すぐにわかるはずだ。
 おばちゃんは「うーん?」と首を傾げてから、ぽんと手を打った。
「そうだねえ、何となくゲイルに似た雰囲気の兄さんなら見たよ」
「あ? 俺様に似た雰囲気?」
「顔かたちは全然違うんだけど、不思議と『似てる』って思ったんだよね。見た感じあんたと同じくらいの年頃なんだけど、真っ白な髪で、手足がひょろりと長いのっぽの兄さんだったんだけど」
 俺と同じくらいの年頃で、白髪にやたらと手足の長い長身痩躯の男。俺と雰囲気が似ているなら、|魄霧《はくむ》汚染の可能性がある。汚染が進むと、肉体に画一的な汚染の特徴が現れるからだ。肌の色が抜けたりとか、目の色が変色するとか。
 そして、そんな特徴にぴったり合致する奴を、俺は一人だけ知っている、の、だが。
「町の人じゃないし、外からの商人にも見えなかったから、基地の新人さんかと思ったんだけど、違ったのかい?」
「似た奴は知ってるけど……」
 そいつは死んだはずだ。最低でも、俺の認識では。とはいえ、オズ某ほどの確信が持てない以上「死んだ」と言い切れるわけでもない。特に、そいつに限っては百人が「死んだ」と言ってもそれを信じていいのかわからない類なのだ。
「どうしたんだい、ゲイル。顔色が悪いよ」
 じゃあ、もし、奴が生きていたとしたら。生きていながら、今の今まで姿を眩ませていたのだとすれば、奴は――。
「あっ、ゲイルだ!」
 甲高い声によって思考が遮られる。嫌な予感を覚えてそちらを見れば、見覚えのあるガキどもが徒党を組んでこっちに走ってくるところだった。
「ゲイルー! この前のお話の続き聞かせて!」
「帝国の機関巨人が攻めてきたとこからだよ!」
「違うだろ、たった一人で船団を壊滅させる話だろ!」
「うおおお引っつくな! 飛びつくな! 髪も引っ張るな、ハゲるじゃねーか!」
 特に髪はやめていただきたい、この髪やたら抜けやすいんだ。これだから人工ものはいけない。まとわりつくガキどもを引き剥がそうと試みるが、何しろ次から次へと飛びついてくるもんだからきりがない。
「ええいお前ら落ち着け、落ち着けっていってぇ! 今足踏んだの誰だ!?」
 睨みをきかせるが、ガキどもはけたけた笑うばかりで話にならない。くっそ、サヨも言ってたな、お前には威圧感やらカリスマやらが根本的に足らないって。
 俺の腰の辺りに引っ付いているガキが、頬を膨らませて言う。
「だってゲイル、なかなか町に来てくれないんだもん」
「わかったわかった俺様が悪かった! だが俺様は! 買い物の途中なんだ! 終わるまで待て!」
 ――って、ちょっと待て。
「……セレスは?」
 もみくちゃにされてる間に、帽子をかぶった姿が忽然と消えていたことに気づく。そういえば、セレスが砂糖菓子の瓶を受け取った時点で、俺はセレスの手を離していたじゃないか。
 その時、少し離れた場所からわっと泣き声が聞こえた。見れば、背の低い癖っ毛のガキ――確か細工物屋の息子――が、その場にしゃがみこんでいる。今まさに石畳の上で転んだのだろう、手のひらと膝には血が滲んでいた。
 そちらに駆け寄って、ざっと状態を確かめる。怪我は大したものじゃないが、どうも、走ってきて転んだって感じにも見えない。他のガキどもも様子がおかしいことに気づいたのか、転んだガキの周りに群がってくる。
「おい、どうした?」
 俺の問いかけに、細工物屋のガキは、激しくしゃくり上げながらも口を開く。
「飛び出してきた変なおじちゃんが、突き飛ばしてきたんだ。それで、そこに立ってた、帽子のひとの手を掴んで走ってった」
「……マジかよ」
 一瞬目を離した隙にこれか。おばちゃんに変なこと言われたせいで、子供を持つ父親ってこんな感じかな、とか考えちまうが、現実逃避をしてる場合じゃない。
「そいつ、どっちに逃げた?」
 あっち、とガキは血の滲む手で道の先を指す。
「裏道を、曲がってった」
「ありがとな。痛かっただろうに、よく見てたな。助かったよ」
 うん、と頷くガキは、涙を溜めながらも少しだけ落ち着いたようだった。俺は呆気にとられていた菓子屋のおばちゃんに声をかける。
「おばちゃん、ちょっとこいつ見てやってくれ!」
「あ、ああ」
 おばちゃんが頷いたのを目の端に捉えて、杖に体重をかけて立ち上がり、ガキたちを振り切って走り出す。