1-17:ささやかな休暇
最初の実機訓練から三日が経過した。
教団の残党に動きはなく、時計台から連絡があるわけでもない、変わり映えのしない訓練の日々。
セレスと『エアリエル』で飛ぶのは楽しいが、一日に何度も飛ぶわけにもいかない。いくら|正操縦士《プライマリ》のセレスが|魄霧《はくむ》耐性を持っていて、|副操縦士《セカンダリ》側の汚染リスクが|正操縦士《プライマリ》より低いとはいえ、魂魄に負担がかかるのは間違いないのだから無理は禁物だ。
当然、暇な時間は増えていくばかりであって。
「つまり、何か面白いことねーかなって」
何だかんだ、セレスが来てからは欠かさず顔を出している朝のミーティング。寝癖でどうしようもなく跳ねまくっている髪を撫でつける俺に対し、ロイドがミラーシェード越しにもわかる慈愛と哀れみの笑みを浮かべる。
「そんなに暇なら、町にでも下りる?」
「……町、ですか?」
セレスが不思議そうに首を傾げる。今日のセレスの服は、サヨのお下がりのブラウスに、チェックのスカーフ。それと、下もサヨが色々用意してくれはしたんだが、俺が普段履いてるやつが気に入っちまったのか何なのか、サスペンダーで吊るして無理やり履いている。それでも、まあ、最初よりはよっぽどマシな見目になっただろう。
――とはいえ。
「外出許可くれるなら、セレスの服とか仕入れてくるぜ」
やっぱり、服は体に合ったもんが一番だ。それに、しばらくセレスと一緒にいて、足らないものもいくつかある。生活必需品っていうのは、案外その時になってみないとわからないものだ。
ロイドは「それもそうね」と苦笑してひらひらと手を振る。
「いいわよ。セレスティアも町は初めてでしょうし、今日一日は好きになさい。ただ、基地内ならともかく、町では何が起こるかわからないんだから気をつけなさいよ」
「はい」
そんな大げさな、と言いたいところだが、別に大げさじゃないから困る。あれから音沙汰ないとはいえ、教団の残党はどこに潜んでいるかわかったもんじゃない。四年前だって、当たり前の生活を送っていたはずの連中が、教団の構成員として粛々とテロの準備を進めてたんだ。
すると、今まで「気をつけ」の姿勢で俺たちの話を聞いていたジェムが、唐突に馬鹿でかい声をあげる。
「大佐! 危険が伴う以上、自分も是非ウインドワード大尉に同行させて」
「ダメよ」
「なっ、何故ですか!?」
「|霧航士《ミストノート》が全員基地から消えて、教団の連中に攻められたらお手上げじゃない」
何しろサードカーテン基地は、女王国軍の防衛拠点ではなく、あくまで迷霧の帳の観測拠点だ。その性質上、基地全体では武力らしい武力を保有していない。女王国軍の決戦兵器たる|翅翼艇《エリトラ》が二隻もあるのは、元|霧航士《ミストノート》ロイド司令が「教育」や「療養」って名目で|霧航士《ミストノート》を囲い込んでるからに過ぎない。
ついでに、基地の|霧航士《ミストノート》も実戦経験の無い半人前が二人に引退済みが一人。あとぎりぎり現役と言いたいほぼ戦力外が一人、つまり俺だ。このうち|翅翼艇《エリトラ》に乗れる三人が三人ともいなくなったら、基地は瞬く間に陥落する。ロイドの判断は、どこまでも正しい。
ジェムとて「正しい」ということはわかってるんだろう、ロイドの言葉に異論を差し挟むことはなかった。歯ぁ食いしばって、拳握り締めてふるふるしてるけど。こいつの謎の情熱には、一定の評価を与えたい。それが俺に関わりさえしなければ、だが。
「まあまあ、何か土産買ってきてやるから、んな残念そうな顔するなって」
「ふあっ、お、お、お土産ですかっ!? ウインドワード大尉が、自分にお土産を! ありがとうございます! 絶対に家宝にします!」
うん、言うんじゃなかったな。どうしようこれ。
期待はすんなよ、と念のため言い置き、他に話がないことを確かめて司令室を後にすると、横合いから声が聞こえた。
「おや、セレスティア……と、そのおまけじゃないか」
「おまけとは失礼な」
そちらを見れば、白衣姿のサヨがそこにいた。そのでかい胸は今日も白衣の下から強く存在を主張している。そして「おまけ」の俺を完全に無視して、セレスと向き合う。
「そのブラウス、あたしがあげた奴だね。なかなか似合ってるじゃないか」
「はい。ありがとうございます」
セレスはぴょこんと頭を下げる。サヨはそんなセレスがかわいくて仕方ないらしく、青い頭を両手で撫で回す。そんな犬猫みたいな扱いはやめてやってくれないか、気持ちはよくわかるが。
「でも、やっぱりサイズは大きいね」
「だろ。だから町に下りて、色々仕入れてこようと思ってさ」
俺が言うと、やっとサヨの視線が俺に向いた。相変わらずセレスへのそれとは正反対の絶対零度っぷりではあるが、ほんの少しだけ、普段の冷たさが和らいだような気がする。――何か、心境の変化でもあったのだろうか。
「外出許可出たんだ? なら買い物頼まれてくれない?」
「喜んで。ただし、俺様とセレスの手で持てる範囲でな」
自慢じゃないが俺の筋力は子供以下だ。サヨはやれやれとばかりに首を振って、胸ポケットから取り出したメモ帳に何かを書きつけ始めた。
俺が考えていたより遥かに多くの品物を書き込みながら、サヨが囁くように言う。
「血色よくなったね」
「そうか?」
「ああ、いいことだ。やっぱりあんたは、人の世話してるときが一番安定する」
皮肉か、と思ったが、俺を見上げる目に冗談の色は見えなかったから、案外本気で言ってるのかもしれない。
確かに、セレスが来てからは、悪い夢を見る機会は減っていたし、仮に見たとしても、思い悩むことが減っていたのは間違いない。
――それが本当に「いいこと」なのかは、俺にはわからないけれど。
「はい。無ければ無いで構わないよ」
サヨは、俺の胸元に破ったメモを押し付けてきた。何かびっしり書いてあるんだが、本当に遠慮を知らないなこいつは。
それでも、頼ってもらえるだけマシだな。こう言うのもなんだが、サヨに頼られるのは悪い気分じゃないのだ。
「りょーかい。じゃ、行ってくる」