1-14:『原書教団』
「聞いたのか」
「はい、グレンフェル大佐から。いつ出撃になってもいいように準備を怠らないこと、また残党がどこに潜んでいるかはわからないため身辺には十分注意するように、と指示を受けています」
まあ、ジェムは|霧航士《ミストノート》だし、何よりこの性格だから、教団と繋がってるとは考えづらい。それはロイドも同じ見解なんだろう。サードカーテン基地最大戦力である俺とジェムが睨みを利かせていると思えば、教団の残党も手を出しづらいとは思うが。
それでも、ジェムは橄欖石の目を今ばかりは敵意にぎらつかせて言う。
「今になって教団が再び動き出したということは、教主が何らかの影響を及ぼしているのでしょうか」
「そりゃねーよ。あいつは三年前に死んだんだ」
「しかし、教団の残党は彼の名を呼んでいたと聞いています。もしかすると、何かしらの方法で生き延びているのかも――」
「ありえねえ」
俺は即座に断じた。ジェムも、一拍遅れて俺が断言した理由を悟ったのだろう、俺から視線を逸らしてうな垂れる。そう、俺がかの教主様の生死を知らないはずがない。教団とのいざこざに決着をつけたのは、他でもない俺自身なのだから。
「……すみません。ただ、自分はどうしても不安でたまらないのです。『|原書教団《オリジナル・スクリプチャ》』は、世界中に、あまりにも多くの、今もなお癒えない傷を残していますから」
|原書教団《オリジナル・スクリプチャ》。
それは、今から五年ほど前から急に名が知られるようになった過激派カルトだ。否、それは俺がそう認識しているだけで、それまでも水面下では着々と信者を増やしていたのかもしれないが、真偽は俺の知ったことじゃない。
「霧の女神が生み出す魄霧は万物の根源であり、生きとし生ける者、そして死せる者をも等しく包みこむ静寂の象徴である――だっけか。お題目は綺麗なのにな」
それが、教団の教えだ。この教え自体は何一つおかしくない、むしろ古くからの女神信仰そのものだ。ミスティア教皇庁は邪教として教団の存在を認めていないが、女王国では女神信仰の亜種であると認識している。そんな連中が過激派カルトとして一気に名を馳せたのには、でっかい理由があるわけで。
「しかし、狂騒を鎮め、静寂をもたらすためという題目で、あまりに多くの血が流れました。教団のやり方が間違っているのは間違いありません」
今から四年前、突如として、全世界で同時に、各地域の主要施設が爆破される事件が起こった。そして、全世界向けに、教主様からの声明が発信された。
この事件を起こしたのは我ら『|原書教団《オリジナル・スクリプチャ》』であり、教団はこれより世界の狂騒を鎮めるため、戦乱の炎とその種火を消火する――と。
つまり、全世界に向けた宣戦布告だ。
事実、女王国でも各地で戦争に関わった要人が暗殺される事件が多発した。
うちの国の場合、背景には長きに渡る帝国との戦争があった。戦争に疲れていた連中が、相当数甘言に乗っちまって、暗殺やテロの片棒を担いだらしい。
それは帝国も同じようなもんだったらしく、二国は「教団」という共通の敵を得たことで、やむなく停戦協定を結んだ。かの停戦協定は今のところも有効で、現在、女王国はつかの間の平穏の中にある。
とはいえ、結局のところ教団のやったことは、狂騒を鎮めるためという名目の新たな狂騒に他ならない。教団の暗躍によって戦争とは無縁だった奴まで血を流し、時に死んだのだから、それを狂騒と言わずして何だってんだ。
そして今から三年前、女王国の|霧航士《ミストノート》隊が某島に築かれていた教団の要塞を急襲し、教主を討伐し、教団は解体された。
――解体された、はずなのだ。
女王国は教主の死を大々的に発表し、執拗な残党狩りも行った。他の国も同様だと聞く。
それでも、信ずるもののために動く連中を完全に狩り尽くすのは難しい。だからこそ残党が今もなお存在している――それは、まあ、わからなくもない。
ただ、そうだとしても、疑問が残る。
「何故、教団はセレスティアさんを狙ったのでしょう」
「さあなあ。それこそ、こっちを狙ってくる奴ぶん殴って吐かせるしかねーかもな」
気乗りはしないが、連中の考え方がわからない以上、そのくらいしか俺に取れる手はない。ジェムも「なかなか物騒ですね」と苦笑しながらも、それ以上の妙案はなさそうだった。所詮|霧航士《ミストノート》なんて脳味噌が筋肉でできてるような連中なんだから、そんなもんだ。
しばし沈黙が流れる。どうしても、奴らについて語ろうとすると言葉が出なくなる。だから、次に口を開いたのもジェムだった。
「大尉。自分は、今でも信じられないのです。かの教主が、我々と同じ|霧航士《ミストノート》だったということが」
きっと、長らく胸の中にしまいこみながら、言わずにはいられなかった言葉だったのだろう。苦しげに顔を歪めるジェムの目は、目の前の俺を見ているようで、俺とは全く別の誰かを見ているかのようだった。
「教主として君臨したかの|霧航士《ミストノート》が、一体何を考えて教団を率い、世界に殺戮をもたらしたのか。どうしても、僕には理解できないのです」
「……俺様にだってわからねーよ。わかりたくもない」
ほとんど意識はしていなかったのだが、自分でも驚くくらい、沈んだ声だった。
これには流石のジェムも、空気を読んだらしい。言いかけていた言葉を飲み込んで、力なく肩を落とす。
「すみません、大尉。あなたに言うことではありませんでしたね」
「いや、いいさ。ただの、事実だからな」
そう、事実だ。
どこぞの馬鹿野郎が教団の教主だったことも。
俺がこの手で、あいつを――。
「ゲイル」
声が、聞こえた。
そちらに視線をやると、パイロットスーツ姿のセレスがてちてちとこちらに歩み寄ってくるところだった。
「只今検査が終わりました。問題なしとのことです」
「そうか。じゃ、飛ぶか」
傍らの杖を取って、立ち上がる。
……俺は、上手く笑えているだろうか。ろくでもない話をしていたせいで、何だか、頬の辺りの筋肉が強張っている気がしてならない。
気を取り直したらしいジェムが、改めて背筋を伸ばして、お手本通りの敬礼を決める。
「ありがとうございました、ウインドワード大尉。お気をつけて」
おう、と軽く右手を挙げて、訓練施設を後にする。『エアリエル』の格納庫はすぐそこだから、歩くのもそこまで億劫ではない。億劫がっていてはリハビリにならないだろう、とサヨにいつも怒られるわけだが。
つらつら考えながら歩いていると、不意に、セレスが口を開いた。
「先ほどの話ですが」
「聞いてたのか」
「途中からですが。『|原書教団《オリジナル・スクリプチャ》』の教主とは、ゲイルの」
「ああ。流石に知ってるよな」
この一週間、自分から話したことはなかったが、何しろ有名な話だ。セレスもあらかじめ聞かされていたのだろう、「はい」と一つ頷く。その顔がいつも通りの無表情であることに、何故かほっとする。
「伺っています。『エアリエル』のかつての|副操縦士《セカンダリ》。青の千里眼――オズワルド・フォーサイス」
セレスがその名前を言葉にするのは二度目だ。その、懐かしい音の響きを確かめながら、俺は一つ一つ、俺自身の主観による言葉を並べていく。
「そう、オズ。オズワルド・フォーサイス。数年前に突然行方を眩ませた『エアリエル』の『目』。次に現れたときには世界の敵になってた『|原書教団《オリジナル・スクリプチャ》』の教主」
オズワルド・フォーサイス。
二度と自分から言葉にすることもないと思っていた、名前。
そして、
「俺様がこの手で殺した、馬鹿野郎だ」
俺とあいつが夢見た青空は、遥かに遠く。
陸に這いつくばる俺をあざ笑うように、脳裏に焼きついて離れずにいる。