足跡を追う
「血痕と足跡は階下から屋上へと続いている。足を引きずっている様子も見て取れるね」
かんかんかん、と音を立てて、中川は階段を上っていく。確かに血とそれに染まった足跡が、足を引きずるようにして上階に向かっているのが見て取れる。
やがて、中川は階段の果てに位置する扉を開いた。金属の重たい扉が開くと同時に、ごう、という風の音が響き、中川の髪を揺らすのを見て取った。黒ずんだ足跡は、その先まで続いている。
「そして、屋上に辿り着いた後……、ここで、足跡は途絶えている」
中川は足跡をたどるように歩いていくと、やがて立ち止まる。
足跡は、屋上のフェンスの向こう側で途絶えていた。よく見るまでもなく、フェンスにはべったりと血の手形がついていて、血にまみれた何者かがそこを乗り越えた形跡があった。
「飛び降りた、と思われるだろうか。けれども、落下したなら『落ちた形跡』が必要だ。けれど、それは今のところ見つかっていない」
遠まわしな言い方をしているが、要するに地面に落ちた死体は見つかっていないということだ。
「この血痕の様子だと、返り血を浴びたというよりも、当人が出血を伴う怪我をしていたと考えられる。故に、ここで靴を脱いで足跡を隠したということも考えづらい。足跡は隠せても血痕は残っただろうからね」
でも、ひとつだけ。
中川はそう言って人差し指を立てる。
「確かな痕跡が、発見されている」
「結論から言え」
「結論を急ぐのは君の悪い癖だよ。もう少し僕に喋らせてくれないか……、まあいいや。この下に、何者かが落下した形跡はなかった。けれど、血痕は残っていたんだ。ここから南に向けて、点々とね」
南、というのはフェンスの向こう側、それよりも先。足場のない、虚空。
「つまり、ここを訪れた何者かは、『飛んだ』ということさ」
「ふざけるな」
「ふざけてなんていないよ。ここに残された手がかりは、全てここにいた何者かの『飛翔』を示している」
「そうじゃねえ。それがわかってるならとっとと追いかけろ、って言ってんだ!」
俺の言葉に、中川はへらりと笑って、大きく肩を竦めてみせた。
「既に部下に追わせているよ。ドローンの使用許可ももらったところさ。けれど、ねえ」
中川の視線がフェンスの向こうに向けられる。縦横無尽に走る道路に住宅街にいくつかのビル、当たり前に見える光景。実際、当たり前に暮らしているんだろう、大多数の人間は。
だが、果たしてどこからどこまでを「当たり前」と定義すべきなのか、今の俺にはわからないままでいる。
そんな俺の内心を読み取ったのか、中川はにやにやと笑いながら俺の目を覗き込んでくる。
「……人間が飛ぶなんてあり得ない、って。以前の君なら言い切ってたところだろうにね」
「事実を事実として受け止めただけだ」
いつからか、捜査線上に浮かび上がってくるようになったのは、不可思議な現象とそれを引き起こす人間だった。魔法使い、超能力者、奇跡使い、何か色々な呼び名で呼ばれているが、とにかく「今までの人間」にはあり得ない能力を使う連中だ。
当初は混乱したものだったが、そういうものがあるとわかった以上、事実は事実として受け止めるしかないのだ。
「俺たちも行くぞ。事件の重要参考人だ、ここで逃してたまるか」
「はいはい」
中川は外套を翻す。俺もまたそれに続く。
少しずつ、しかし確かに変わりつつある世界で、俺たちは変わらず足で捜査をする。俺には空を飛ぶような力などありはしなかったし、それで構わないと思っているから。