名探偵
部屋の真ん中に男性の死体が転がっている。
死因は背中からナイフで一突き。ナイフは心臓にまで達していたらしく、ほとんど抵抗の痕跡もない。
そして、Xの前には五人の男性が立っている。それぞれがXを睨み、何か言いたげにしている。実際のところ、言いたいことはいくらでもあるのではないだろうか、と私は思う。それでも黙っているのは、それがこの『異界』のルールだから、なのだろうか。
Xの横に立つ、帽子を目深に被った少年が言う。
「さあ、名探偵」
この『名探偵』というのが、どうやらXのことらしい。Xは黙りこくったまま、その場に立ち尽くしている。
「事件当時、現場にいたのがこの五人です。一人ずつ、証言を聞いていきましょう。もし犯人でないのなら、正しい証言をするでしょうが……、この状況です、犯人は『必ず』嘘をつくでしょう」
少年は『必ず』という言葉を強調した。Xは相変わらず何も反応を示さない。そんなXに少年は帽子のつばを上げて怪訝な視線を向けたが、怪訝に思っているのはXも同じなのではないだろうか。
何せ、この部屋に降り立った瞬間にはこの状況だったのだから。
――『異界』。
ここではないいずこか、此岸に対する彼岸、伝承の土地におとぎの国、もしくは、いくつも存在し得るといわれる並行世界。
それらが「発見」されたのはそう最近のことではない。昔から「神隠し」と呼ばれる現象は存在しており、それが『異界』への扉をくぐる行為だということは一部の人間の間では常識とされていた。
だが、『異界』が我々を招くことはあれど、『異界』に対してこちらからアプローチする手段は長らく謎に包まれていた。
そのアプローチを、ごく限定的ながらも可能としたのが我々のプロジェクトだ。人間の意識をこの世界に近しい『異界』と接続し、その中に『潜航』する技術を手にした我々は、『異界』の探査を開始した。
もちろん『異界』では何が起こるかわからない。向こう側で理不尽な死を迎える可能性も零とは言い切れない。故に、接続者のサンプルとして秘密裏に選ばれたのが、刑の執行を待つ死刑囚Xであった。
彼は詳細をほとんど聞くこともなく、我々のプロジェクトへの参加を承諾した。その心理は私にはわからないが、Xは問題なく『異界』の探査をこなしている。
寝台に横たわる肉体を残して、Xの意識は『異界』に『潜航』する。Xの視覚情報は私の前にあるディスプレイに、聴覚情報は横に設置されたスピーカーに出力される。肉体と意識とを繋ぐ命綱を頼りにたった一人で『潜航』するXの感覚を受け取ることで、私たちは『異界』を知る。
……そして、今回の『異界』が、これだ。
舞台は洋館の一室。窓は雨戸まで閉じられており、天井の明かりが煌々と部屋の中を照らし出している。
用意された死体は一つ。容疑者は五人。
五人は、少年の指示に従って一人ずつ発言していく。その一言一言は酷く短く、簡潔なもので。その一言ずつを少年は手元の手帳に書きとっていく。
一人目のアルファ曰く、「俺はずっとチャーリーと一緒にいたんだ、俺もチャーリーも犯人なわけがない」。
二人目のブラボー曰く、「犯人は、アルファ、チャーリー、デルタの中にいるはずです」。
三人目のチャーリー曰く、「エコーは犯人ではない……」。
四人目のデルタ曰く、「アルファ、チャーリー、エコーはずっと僕から見えるところにいたから、犯人ではないよ」。
五人目のエコー曰く、「私は知っている。アルファかブラボーのどちらかが犯人だ」。
一人が口を開いている間は、他の面々は堅く口を閉じている。まるで、そうすることが当然であるかのように。
五人の話を聞き終わった時点で、少年は再びXに向き直る。
「名探偵。……誰が犯人なのか、わかりますか?」
Xは相変わらずぼんやりとした調子で、すぐに答えることはなかった。だからだろうか、少年も、そこに待っている男性たちも、苛立ちの表情を見せつつあった。何か一つでも間違えれば、こちらがもう一つの死体になるのではないか、そんな気配に見ているこちらの方がはらはらしてくる。
やっと口を開いたXの一言は、
「なんだ」
――だった。
目を見開く少年と男性たち。Xは少年の手から手帳をひょいと取り上げ、ごくごく淡々と言葉を紡ぐ。
「単純な、論理パズル、ですね」
論理パズル。問題から論理的に考えていくことで、必ずひとつの正答を導くことのできるパズルのことだ。
「犯人が『必ず』嘘をついていて、不足ない情報が揃っていれば、簡単です」
Xは手にしていた手帳を閉じて、男性たちと正対する。
「犯人は――」
Xの目がある一点に留まった、その時。ふ、と「その男性」が動いた。その手にナイフが握られているのを目にして、思わず私は引き上げを指示しかけるが、それよりも先にXが動いていた。
手にしていた手帳を投げ出し、流れるような動きで突き出されるナイフの軌道から体を逸らし、そのまま腕を掴み取る。そして、次の瞬間には自分より遥かに大きな体を床に叩きつけていた。
「ぐ……っ!」
呻き声をあげたその人物の手から飛んだナイフが床に落ち、それをXの爪先が手の届かぬ位置に蹴り飛ばす。これ以上抵抗されないよう、腕を極めた形で静止したXは、顔を上げる。すると、少年がぱちぱちと小さな手を叩く音がスピーカーから響いてきた。
「お見事な解決です、名探偵。……さあ、お帰りはあちらです」
少年は慇懃な調子で手を扉の方に示す。そういえば、こんな扉は直前までこの部屋に存在しただろうか? 存在しなかった気がする。ここが『異界』である以上、『こちら側』のルールが通用しないのはいつものことだ。
Xはもう組み伏せた男性が動かないとみて腕から手を離し、少年に向き直る。
「ひとつ、質問して、よいですか」
「何でしょう?」
「もし、今、私が刺されていたら。もしくは、正答を出すのに失敗していたら。どうなっていた、のでしょうか」
少年は、軽く肩を竦めて、視線をついと横に向ける。
そこには、――一つの死体が、転がっていた。
Xの引き上げ作業に異常はなし。
肉体に意識体を収め、起き上がったXと向き合う。
「しかし、あなたが『名探偵』とはね」
Xは連続殺人の罪で死刑を言い渡された、正真正銘の「犯人」だ。何とも皮肉な話ではないか。
「発言を許可するわ。今回の『異界』について、あなたの所感を聞かせてくれる?」
私の言葉に、Xは少しだけ考えるような仕草をした後に、ゆっくりと口を開いた。
「『必ず』嘘をつくなら、もしくは『必ず』嘘をつかないなら、いいのですが。……実際には、人は恣意的に嘘をつきます。もしくは、嘘だとわからないままに、嘘をつくことも、ありますよね」
Xが言わんとしていることがわからなくて、私は首を傾げてしまう。Xも自分が何を言おうとしているのかよくわかっていないのか、「あー」と彼には珍しく意味のない声を出してから言った。
「世の中、先ほどの『異界』のように、もう少しシンプルならいいなと、思ったんです。もし、そうだったなら」
「そうだったなら?」
「……私は、ここまで、罪を犯さずに、済んだのかもしれない、なんて」
私は。
Xが何故、こうなってしまうまで罪を重ねてしまったのかを、知らない。
Xはこうなるまでに――片手の指では数えきれないだけの人数を殺害するまでにどれだけの嘘をついてきたのだろう。そして、その中で暴かれた嘘と暴かれなかった嘘はどれだけあったのだろう。私には、想像することもできずにいる。
私の沈黙をどう受け取ったのか、Xは目を細め、俯いて首を横に振った。
「冗談ですよ」
――ただ、一つだけはっきりしているのは。
「冗談というのは嘘ね」
「……わかりますか」
「あなた、嘘は下手そうだもの。冗談もね」
なるほど、と。そう言ったXは、ほんの少しだけ……、笑ったようにも、見えた。