1-39:決着のために

 言葉と同時に投げかけられる、針。
 だが、今の会話と先ほどの針の投げかけられた位置から、瞬時に『|虚空書庫《ノーウェア・アーカイブ》』が針の軌道を想定して返してくる。
 あの時は無様に突進して突破することしかできなかったが、今、『エアリエル』の翼を担っているのは俺じゃない。セレスは俺の指示を忠実に守り、攻撃のことごとくを最低限の動きで回避していく、が。
『いいね、そのつれない動き、ぞくぞくする』
『お前、被虐趣味もあったのかよ、ほんと気色悪ぃな』
『でも、逃げてるだけじゃ、君たちの基地は守れないんじゃないのかい?』
 そう、トレヴァーの言うとおり、俺の相手はこいつだけじゃない。
 俺たちの前に立ちはだかるのは、目に見える脅威――海を行く鯨を思わせる教団の要塞母艦と、そこから放たれる数だけは多い小型戦闘艇だ。
『敵は「青き翅の」ゲイル・ウインドワード!』
『我らが教祖と世界の調和を取り戻すためにも、英雄を騙る大罪人を|魄霧《はくむ》へ還し、新たなる脅威の芽を摘み取るのだ!』
 確かに、俺は空言の英雄だけどな。連中の言葉に、浮かびかける嘲笑を噛み殺す。
 それと、もう一つ。頭の片隅では『|虚空書庫《ノーウェア・アーカイブ》』の入出力とセレスへの指示を続けながらも、つい、側にいるであろうトレヴァーに聞かずにはいられなかった。
『……なあ、連中には言わなかったんだな。俺がオズだってこと』
『どうして?』
 トレヴァーは、一時『エアリエル』に針を投げかけるのを止め、心底不思議そうに疑問符を投げ返してくる。
『本気の君と踊る最初で最後の機会なのに、教える理由なんてどこにもないよ』
 なるほど、確かにその通りだ。教団が未だオズの生存を信じている理由はわからないが、俺が生きてここにいると知れば、連中は俺の身柄を拘束する手段を取るだろう。それは、「俺たちと飛ぶ」というトレヴァーの目的とは、真っ向から反する。
『それでこそトレヴァーだ。本当に変わらないな』
『君だって、何も変わってないだろう? 一人で何もかも抱え込むとこも、つまらないことで思い悩むとこも、全部、全部さ』
『はは、耳が痛えー』
 トレヴァーがどれだけ俺の事情を理解してるかは知らないが、あまりにも正しすぎる指摘につい笑ってしまう。笑いながら、続けざまに飛来する針を撃ち落とし、セレスに呼びかける。
「セレス、ちょっと無理させるぞ」
 セレスは「はい」と短く答え、意識を引き締める。手短にここからの作戦を伝えると、セレスの怪訝な気配が伝わってくる。
「『ロビン・グッドフェロー』は?」
「トレヴァーは最低限相手してやりゃいい」
 トレヴァーが俺をよく知るように、俺だって奴のことはそれなりに理解してるつもりだ。だからこそ、トレヴァーの酔狂が続くうちに、全てを片付ける必要がある。
 わかりました、と答えるや否や、セレスは『エアリエル』の翅翼を閃かせ、群れを成す戦闘艇の只中に突っ込んでいく。ほとんど暴挙とも言える動きに動揺したのか、ジェムが『オベロン』を通して叫ぶ。
『……セレスティアさん、何を!?』
 訓練ログを見た時にも思ったが、すぐに意識が逸れるのはジェムの悪い癖らしいな。
 金色の翅翼が生み出す鱗粉の領域を巧みにすり抜けてきた戦闘艇を、すれ違いざま『ゼファー』の一撃で歓迎する。戦闘艇は目前にまで迫った『オベロン』の腹に照準を合わせたまま、煙の尾を引いて海に沈んでゆく。
 あ、と。一拍遅れてそれに気づいたジェムの、間抜けな声が響く。
『ぼーっとしてんなよ、ジェム』
『っ、言われなくてもわかってる!』
『嘘だろ。お前、わかってなかっただろ』
 俺のツッコミに『ぐっ』と言葉に詰まるジェムに和む。時計台にいた頃から散々馬鹿にされてきたから、指示を素直に聞かない奴には慣れてるってのもある。ジェムの反抗ぶりなんてかわいいもんだ。
『……そういう素直なとこお兄さん嫌いじゃないぞ』
『貴様に言われたくない!』
『悪かった、なっ』
 別に、喋りだけに気を取られてるつもりはない。『オベロン』の攻撃が途絶えた隙を狙って飛来する戦闘艇に光の矢を撃ちこみながら、改めてジェムに呼びかける。
『ジェム!』
『貴様の命令は聞かないぞ、フォーサイス!』
『独り言だ聞き流せ! 「オベロン」の火力はこの場を切り抜けるには必要不可欠だが、このままじゃお前が息切れする』
 ジェムは答えない。だが馬鹿じゃないんだ、わかってはいるはずだ。自分の能力が、全ての敵を落とすには足りないことも。このままのペースで戦い続ければ、蒸発の可能性が高いということも。
 ただ、慣れない実戦で頭に血が上って、本来『オベロン』がすべき行動に、考えが至ってないだけだ。
『「オベロン」の真価は何だ? 冷静になれ、頭を使え、お前は飛べる上に立派な頭がついてんだ。俺様よりよっぽど優秀なんだから、できない道理はねーだろ』
 俺は首から上しか取り得がなかったんだ、そんな超高性能の|翅翼艇《エリトラ》を操れる分、ジェムの方がとびきり恵まれてんじゃねーかうらやましい。もちろんセレスもうらやましい。汚染耐性があってあれだけ自由に飛べるのめちゃくちゃうらやましい。何せ『|虚空書庫《ノーウェア・アーカイブ》』以外の俺のアドバンテージなんて、今まで積み重ねた経験くらいなのだから。
 ジェムは無視を決め込んだつもりだったのだろうが、『……頭を』と呟いたのは聞こえた。そういうところが素直だって言ってんだよ、いいことだ。
『どうにせよ、このままじゃ埒が明かないしな。俺たちは、今からあいつを落とす』
 俺とセレスが目指すのは、敵陣の最後衛、要塞母艦だ。|翅翼艇《エリトラ》を数十隻は抱え込めるくらいの巨大な船に、俺たちは今から、たった一隻で立ち向かう。
 無茶だ、と。ジェムが言ったのは聞こえた。それでも、俺は笑って返す。
『無茶でもやらなきゃならねーからな。ま、何とかなるだろ』
『何とかって……!』
 ――だからこそ、お前次第なんだ、ジェム。
 本当に無茶なのは、目標を落としたその後なのだから。
 俺とジェムが駄弁っている間も、連中は俺たちを見逃しちゃくれない。目の前を埋めるほどの機銃掃射を、セレスは一気に身を捻って上昇することで回避。そのまま翅翼を広げ、更に速度を上げて、戦闘艇の群れの間を、一息で抜ける。
「速度そのまま、同調率も六割を維持。露払いは俺がやる」
「了解」
 きっと、連中は『エアリエル』が己の横を行き過ぎたことに、一瞬遅れて気づいたに違いない。編隊の最後尾についていた連中が、慌てて船首を巡らせるが、遅い。
 この瞬間のために、|魄霧《はくむ》を容量いっぱいまで充填しておいた『ゼファー』を、放つ。『|虚空書庫《ノーウェア・アーカイブ》』の力を借りて、射程ぎりぎりから相手の最も脆い場所――操縦席へと、光の矢をぶち込んでいく。
 船が、次々と霧の海へと落ちてゆく。光の矢を受け、残った奴は『オベロン』の鱗粉に焼き尽くされて。本当はとっくの昔に海の底に沈んでいる、ゲイル・ウインドワードへの呪詛を吐きながら。
「もう、二度と戻ってくんじゃねーぞ」
 果たして、落ちてくる奴らを見て、海の底のゲイルはどんな顔をするだろう。案外、笑顔で迎えるのかもしれない。あいつにとって、霧の海を飛ぶ奴はみんな「同類」でしかなかったから。
 そんな益体もない空想を振り払い、俺は目の前に聳える――そう「聳える」という言葉が正しいほどに巨大な――要塞母艦を見上げる。