ヴィシャス・サークル

 昔々、あるところに一人の博士と一人の少年が住んでいました。博士と少年は本当の親子ではありませんでしたが、博士は少年を実の息子同然に育てていましたし、少年も博士のことを父親と慕っていました。
 そんな博士は、少年が物心付いた頃からずっと、タイムマシンを作ろうとしていました。少年は何故博士がそこまでタイムマシンに入れ込むのかわからないまま、ただ黙々と博士を手伝っていました。
 そんなある日、博士が病気にかかってしまいました。絶対に治ることのない、死の病でした。少年は嘆き悲しみました。博士も泣いている少年を見て悲しげな笑顔を浮かべました。そして、博士は少年に言ったのです。
「私は過去に大きな過ちを犯し、それをやり直すためにタイムマシンを作っていた。だがそれももう叶わない。お前は、私のような過ちを犯さないでほしい」
 タイムマシンは、あと少しで完成するはずでした。しかし博士はもう動けません。少年は博士がどんな過ちを犯したのか聞きたいと願いましたが、博士は喋ることすらできなくなっていました。
 だから、少年はうんと小さく頷きました。それで、博士はにこりと微笑んで、そのまま冷たくなりました。少年は涙が枯れるまで泣きました。泣いて、泣いて、ただひたすら泣いて、それでも博士は生き返ることはありませんでした。
 それで、少年はふと目を上げました。そこには、あと少しで完成するはずのタイムマシンが置かれていました。
 少年は思いました。
 もし、僕がタイムマシンを完成させて、未来に行けば博士を治す薬を手に入れられたんじゃないか?
 そして、博士が死ぬその前に戻ってくれば、博士は死なないですむんじゃないか?
 少年にとって、博士は唯一の家族です。大切な人だったのです。
 だから、少年は博士の残した設計図を頼りにタイムマシンを完成させました。銀色の卵のようなタイムマシンは、ぴかぴかと輝いているように見えました。
「博士、今行くからね」
 少年はそう言って、タイムマシンに乗り込みます。行き先は、未来。ボタンを順番に押して、目盛りをあわせて、さあ出発だとレバーを引いた瞬間、機械ががくりと揺れました。まばゆい光に包まれながら、辺りの風景が歪んでいくのがわかります。成功したのかな、と少年が思っていると、再びがくりと機械が揺れました。何だろうと思う間もなく、機械はがたがたと嫌な音を立て始めます。
 故障したんだ。
 少年はすぐに気づきました。慌ててレバーを戻しても機械は止まりません。博士の設計図通りに設計したはずなのに、タイムマシンは少年の願いに反して上へ下へ、右へ左へと揺れ動きます。もう自分ではどうしようもないと判断した少年は、レバーを握り締めたままぎゅっと目を閉じました。
 すると、どおんと大きな音がして、タイムマシンが一際大きく揺さぶられました。少年は一瞬息を止めましたが、それから急に静かになりました。タイムマシンも動いていないようでした。ただ、段々と辺りの空気が熱くなっている、そんな嫌な感覚がありました。
 少年はぴったりと閉ざされていたタイムマシンの扉を開けました。
 すると、目の前に広がっていたのは真っ赤な炎でした。
「火事だ!」
 少年は叫んでタイムマシンから飛び降りました。このまま炎に包まれていては焼け死んでしまいます。ここがどの時代なのかはさっぱりわかりませんでしたが、もううんともすんとも言わないタイムマシンに乗ったままよりはましだと思いました。
 よく見れば、壊れたタイムマシンが火を吹いていて、それが辺りに燃え移っていたのです。少年がタイムマシンを降りた頃には、火はとても大きなものになっていました。小さな少年が火を消すなんてできるはずもありません。
 少年は火の中だというのに、背筋が冷たくなってぶるりと震えました。そして、何も考えないまま走り始めました。死にたくない、ただそれだけを願って。
 走って、走って、走り続けて、見ず知らずの場所の出口を求めて彷徨いました。建物のほとんどに火が回っていて、時には引き返すしかなくなってしまって余計に少年は慌てました。
 その時、少年の耳に、小さな声が聞こえました。
 泣き声です。
 それはか弱い赤ん坊の泣き声でした。
 少年は一瞬だけ足を止めて、気づくとそちらに向かって駆け出していました。自分も死にたくありませんでしたが、元はといえば自分が作ったタイムマシンが起こした事故です。自分のせいで誰かが苦しんでいるというのに、それを見捨てるなんてことは、できませんでした。
 赤ん坊はすぐに見つかりました。まだ火がそこまで回っていない部屋に取り残されていたのです。彼は赤ん坊を抱き上げると建物の外に走り出しました。
 冷たい空気が少年と赤ん坊を包み、遠くからは消防車の音が聞こえてきます。助かったのだ、と思うと同時に、少年は怖くなりました。
 大きな建物は衰えることの知らない炎に焼き尽くされていきます。それ自体が、大きな炎の城か何かであるかのように、煙を立てて燃え盛っています。
 これを、自分がやったのだ、と少年は思いました。
 壊れたタイムマシンはまだあの建物の中に残っているでしょう。見つかれば、少年が責められてしまうでしょう。それに、それがタイムマシンだと言って誰が信じるでしょう。少年が違う時間から来たと言って誰が信じるでしょう。
 腕の中の赤ん坊が泣きじゃくる声で、少年ははっとしました。
 この赤ん坊の親は、どうしたのでしょうか。他に人が出てきた気配はありません。もしかすると、まだ、あの炎の中に……。
 僕のせいだ。
 僕がタイムマシンに乗って未来に行こうなんて思ったから。
 僕は、どうすればいい?
 少年は、ぎゅっと赤ん坊を抱きしめました。何もわかっていない赤ん坊は、きょとんとして彼を見つめました。
 その目を見て、彼は思いました。
 逃げるしかない。
 何故、そう思ってしまったのかはわかりません。しかし自分の考えが正しいのか間違っているのかわからないまま、少年はまた駆け出していました。燃え盛る家を後にして。
 どのくらい走ったでしょうか。赤ん坊を抱きしめた少年は小さな町に辿り着きました。町のテレビでは、あの火事のニュースが伝えられていました。家の中にいた人は全員死んでしまったこと。赤ん坊の死体はまだ見つかっていないけれど、おそらく一緒に死んでしまっただろうということ。
 タイムマシンの話は、一言も出てきませんでした。
 少年はまた怖くなりました。背筋が冷たくなりました。自分がやったのだと大きな声で叫ぼうとしましたが、実際にそうするだけの勇気もありませんでしたし、もしあったとしても誰も信じてくれなかったでしょう。
 どうしようもありませんでした。
 少年はテレビの前で、ただ立ちすくむしかなかったのです。
 どのくらい、そうしていたでしょう。
 少年は心を決めました。
 もう一度、タイムマシンを作ろうと。今度こそ故障することのない、完全なタイムマシンを。そして、タイムマシンに乗り込もうとする自分を止めるのだ、と。そうすれば、こんな悲劇は起こらずにすむと。
 身寄りのない少年と赤ん坊は小さな町に住むことにしました。何も知らない町の人は少年と赤ん坊を優しく迎えてくれました。
 少年は一生懸命勉強しました。今度は間違えないように、必死で勉強をしました。もちろん、勉強をしながら赤ん坊を育ててやることも忘れませんでした。自分のせいで親を失ってしまった赤ん坊。せめてこの子は幸せにしてやりたいと、精一杯の愛情をかけて育てました。
 やがて少年はその勤勉さと知恵を認められて、博士と呼ばれるようになりました。その頃には、赤ん坊は少年に成長していました。
 少年だった博士は長年試行錯誤を繰り返し、完全なタイムマシンを完成させようとしていました。しかし、その直前に病気にかかってしまいました。絶対に治ることのない、死の病でした。
 そして、赤ん坊だった少年は……、


 もう、おわかりですよね?