ブリキの木こりは夢を見るか

 やあ、お嬢さん。
 こんな所で君のような愛らしいお嬢さんに出会えて嬉しいよ。
 出会ったばかりでこのようなことを頼むのは……それも、その細腕に頼むのはとても心苦しい願いなのだが、ちょっと俺も困っていてね。少々頼みを聞いていただけるととても嬉しいんだが。
 ああ、そうそう。君は可愛い上に随分聡明なんだな。そう、これをどかしてもらいたいんだ。そこの、バーを引いてくれれば多分電源が入って動くようになると思うんだが。
 ――よし、まだきちんと動くみたいだな。よかった。そうしたらスイッチを押してくれ。そっちの、緑のスイッチだ。これでクレーンが動いて……ああ、やっと自由になれた。
 ありがとう、どんなに感謝しても足りない。お嬢さんがこなければ、俺はあと五年くらいクレーンの下敷きになっていたよ。いや、下敷きになったのは単に俺が間違って操作しちゃっただけなんだけどさ。本当、生身の人間だったら即死だった。
 しかしお嬢さんも変わり者だな。こんな何もないボロ工場に何の用だい?
 え、『ユノ』?
 ここは確かにかつてのマザー、『ユノ』が管轄していた人形工場だよ。だが、それは十年くらい前の話だ。ここはとっくのとうに捨てられてた、使い物にならない工場だ。俺もここには調査で訪れたんだけどな。お嬢さん、無駄足だったね。俺にとってはお嬢さんの訪れは全然無駄足じゃなかったけど。
 うん、本当に感謝しているよ。お嬢さんが来てくれなければそれこそ後、十年はクレーンの下……って、「下敷きになってる年数が増えてる」なんて無粋な突っ込みいれないの。
 俺? 見ればわかるだろう、俺は人形だよ。機械人形。こんなごっつい外見の人間はいないと思うよ?
 何だい、そんなもの珍しそうな目は。まさか機械人形を見たことがないってこたあないだろう?
 ほほう、見たことがないわけじゃあない。だけど、俺みたいによく喋る機械人形は初めて、と。まるで人間みたい、なーんて嬉しいこと言ってくれるじゃないか。お嬢さん、お世辞が上手いな。
 でも、まあ「人間みたい」ってのはあながち間違ってないのかもしれない。
 俺がここで動けなくなってから四年と五ヶ月、端数が三日。まさかそこまで人工知能の製作技術が向上しているとも思えないしな。お嬢さんの指摘はとても的を射ている。それこそ、俺様のような天才が現れない限り、これほど人間に近い人工知能など造れるはずもない。
 言ってることが矛盾してないか、って? ああ矛盾してるだろうな。
 そう、俺は、俺が造ったんだよ。なかなか変な話だろう?
 お嬢さんは俺の話に興味あるみたいだな。嬉しいよ。俺も四年と五ヶ月と三日誰とも喋らずにここで飲まず食わず……ってまあ食事は必要ないんだけどさ。ちょうど寂しくなっていたところだ。ちょいと身の上話の一つでもしようかなあとか思うんだが。お嬢さんがお急ぎでなければ、の話だが。
 是非聞かせて欲しい、と。ああもうお嬢さんは本当にいい人だな。それじゃあお兄さんも頑張って話しちゃおう。何、そう長い話にはならない。気を抜いて聞いてくれりゃあいいさ。
 俺はこう見えて歴史学者でね。この国の歴史を紐解くことを生業としている。お嬢さんは謎に思ったことはないかい? 何故海の底に巨大な都市がいくつも沈んでいる? 何故マザーコンピューター『ユノ』がこの国を支配することができた? 『ユノ』が登場する以前の歴史は全部闇の中。
 要するにこの国の情報は全部『ユノ』が握っていた。だから、俺や俺のお袋は『ユノ』が隠し、また改竄してしまった歴史ではない、本当の歴史を調べてやろう思っていたんだ。
 もちろん『ユノ』はそれを阻止しようとした。何しろ自分がわざわざ隠そうとしていることを暴こうとする異端の連中だからな。結局、お袋は『ユノ』に殺されたよ。当時ガキだった俺は『ユノ』への復讐を誓いながらも、歴史学者という肩書きを隠して過ごしていた。
 ――そうだ。俺は、元々人間だったんだよ。
 どうしてこんな身体になったのか、という話は後に出てくるから、今は順番に聞いててくれるとありがたいな。
 俺は見ての通りの天才でね……って何だその疑いの目は。俺様は天才なんだよ、文句は無いだろう?
 とにかく、学者を生業にしているだけあって知識はあったし、それに元々機械技術にも詳しかったこともあって、『ユノ』の圧制に耐えかねたレジスタンスの面々に加わることになったんだ。武器を開発したり、『ユノ』の弱点を探ったり。
 本職の歴史調査よりも、そういう活動の方が多くなってしまったのは確かだが……『ユノ』への復讐の気持ちは何よりも強かったし、『ユノ』がいる限りろくに歴史を調べることができない、というのも事実だった。だから俺もレジスタンスに協力した。精一杯な。
 やがて力をつけたレジスタンスは『ユノ』のメイン・コンピューターを破壊する作戦を決行した。その結果は、お嬢さんも知っているんじゃないかな。
 そう、『ユノ』は破壊された。木っ端微塵に、な。
 だが、『ユノ』はただではやられなかった。やられた瞬間に、奴はレジスタンスをはじめとする自分に逆らう人間どもも共に滅ぼしてやろうと思ったんだろう、自分がいた都市全体に人間の身体を壊死させる病原体をばらまいたんだ。……ああそうか、やっぱり今も首都は閉鎖状態か。それが賢明だな。
 そんなわけで、レジスタンスの面々は全滅。俺は前線任務じゃなかったから都市の外周部にいたんだが、もちろん病気に感染した。仲間、それに罪もない人々が倒れていく中で、俺は自分の無力を呪ったよ。俺はまだ死ぬわけにはいかなかったし、周りの連中が死んでいくのにも耐えられなかった。せめて、何かできることはないかと考えた。
 よく考えてみろ、病気は「人間」に感染するのだ。
 それならば、人間の身体でなければいいだろう。俺は、そう考えたんだ。だが、そうしているうちにも残った奴らまで死んでいくし、俺の左腕も腐って落ちた。だから俺はまず自分の身体を実験台にしようと思った。俺は右腕とそこにあった機械を使って機械の左腕を造って取り付けた。ちょっと重かったが何とか神経と上手く接続することができて、何ら不自由なく動かせるようになった。
 だが、そうしているうちに今度は右腕が腐っちまった。腕がなければ作業もできん。だから右腕を造って取り付けた。一度成功させていたからだろうな、左腕の時よりもずっと簡単にできた。
 それでも時間はどんどん過ぎていく。仲間はほとんど全滅、町は完全に腐った死人の世界になり始めていた。けれども、俺は諦めたくなかった。足が腐れば足を、胴が腐れば胴を……そうしているうちに、こんな外見になっちまったけれど、まあ死ぬよりはマシかと思うことにした。
 ただ、病気はどこまでも侵食していく。無慈悲にも、な。
 このままじゃ、最後に残された脳まで腐っちまう。
 それが、わかったんだ。
 脳味噌以外は全部機械で補うことができたが、脳はどうしろというんだ? 最高の人工知能『ユノ』でさえあんな人間味のない奴だったんだ。俺は絶望したよ。もし脳味噌まで取替えてしまったら、俺が俺ではなくなってしまう。『ユノ』と同じ、血も涙もない本物の機械人形になっちまう、ってな。
 これでは本末転倒だろう?
 俺は悩んだよ。悩んでいる間にも当然病気は進行する。
 そうしているうちに、俺だけ生き残ることに何の意味があるのだろう、と思った。生きたいと願ったのは、『ユノ』を倒して、そして歴史学者としてお袋が見つけることのできなかった、真実の歴史を探しだしてやろうと思ったからだ。それは間違いない。
 だが、『ユノ』を倒した他の仲間が死んでいく中で俺だけがのうのうと生き残っているのが、段々と我慢ならなくなってきた。
 もう、悪あがきはやめて、人間の心のまま死んでやろう。
 決意した、その時。
 俺の手を、誰かが引いたんだ。
 そいつは、俺と同じレジスタンスに所属する研究者の一人だった。そこに残ったたった一人の女で……俺の、恋人でもあった。そいつも、やっぱりぼろぼろでさ、いつ死ぬかもわからないような状態だった。それなのに、俺に笑いかけてこう言いやがった。
「あなたは生きて」
 ってな。
 本当に、バカな連中だ。俺も、そいつも。それに、残っていた奴らも……自分たちのことなど顧みずに俺を生かそうとした。
 このままではどれだけ頭を働かせても手を動かしても全員は救えない。それならばお前ひとりでも生きろ。生きて、真実を暴いてくれ。『ユノ』が隠していた全ての真実を。
 そう言って、奴らは笑いながら死んでいった。最後に残った恋人も笑って死んだ。残されたのは機械の身体を持った俺と、俺の側にいてくれたそいつらのおかげで完成させることができた、俺の記憶情報と思考パターンを記録した人工知能だった。
 正直、怖かった。もうその時には意識も朦朧としていて、ろくに考えることもできなかったけれど。
 あと数時間で俺の脳は死滅する。だが、目の前の人工知能は俺の脳が死んだその後も「俺」として生きる。それは本当に俺なのか、否か。誰にもわからん。俺にも。
 ただ、俺を生かそうとした奴らの遺志だけは無駄にするわけにはいかない。残された情報を全部人工知能に託して、多分、俺は死んだのだと思う。もちろん、多分っていうのは今こうやって喋っている俺が、人工知能の方の「俺」だからだ。難しい話かもしれんが。
 こうして、俺は今ここにいる。『ユノ』が隠した歴史を暴くために。『ユノ』に殺された奴らの分の思いも背負って、な。
 だが、今でも不安になる。確かに今の俺が持つ記憶も思考パターンも、俺の知る「俺」のものだ。それでも、やはり微妙に人間だった俺が見たものの記憶と、機械になった俺が見るものは違うように見える。
 何て言えばいいか。そう、「心」がないのかもしれんな。
 俺の人工知能は悲しいと思うことも嬉しいと思うこともできる。限りなく人間に近く、『ユノ』にはならないようにひたすら人間らしく作られた知能だ。抜かりはない。身体だって、お嬢さんから見れば不細工なオンボロかもしれないが、涙も流せるスペシャルボディだ。
 けどな、この身体になってから、血液が血管の中を逆流するような強い怒りや、胸が痛むほどの悲しみ、目の前が明るくなるほどの喜び。そういうのを、「理解」することはできるしそういう「信号」をこの人工知能が発することはあるが、実際に「感じる」ことはできなくなった。
 それは、脳の問題だけではないのかもしれん。人というのは、その生まれ持ったもの全てを持って初めて人間と言えるのだと、この身体になって初めて理解したよ。
 だが、後悔はしていない。
 お嬢さんは『オズの魔法使い』という童話を知っているかい? そう、大昔の童話だよ。あれに出てくるブリキの木こりはまさしく今の俺と同じことを言っていた。彼は人間としての身体を失い、その中でも「心」を失ったことを何よりも辛いと感じていた。だが、それゆえに誰よりも優しくあろうとして、実際に、優しかった。
 俺も、そうありたいと願うんだ。もはや人間とはいえないかもしれないが、出来る限り人としての「心」を忘れないように生きようと思う。生き続けようと、思う。それが、俺を生かそうとしてくれた奴らに報いる唯一の行為だと思うからな。
 ――っと、長くなったな。悪い。つまらない昔話だったかな。
 そんなことはない? ありがとう。
 しかしお嬢さん、今さら『ユノ』の管轄だった研究所を調べてどうしようというんだい。『ユノ』は滅んだだろう。それとも俺と同じような歴史学者かい?
 違う? 見つかっていなかった『ユノ』のサブ・コンピューターが、今さら動き出した? それで、再びこの国を支配しようと企んでいる、だって?
 それはまずいことになったな。すると何だ、お嬢さんは『ユノ』を阻止しようとする組織の一員か何かか。
 え? それも違う?
 大昔のこの国からやってきて、この国の情報を支配している『ユノ』なら過去に帰る方法を知っているんじゃないかと思って探している、だって?
 まさか、タイムスリップなんて……って、嘘をついている顔でもなさそうだな。
 信じるのか、って? 可憐なお嬢さんの言葉を信じないで何を信じろと言うんだい。まあこういう奴ほど詐欺に引っかかりやすい、っていういい例だったりするんだが。でも、信じるさ。
 お嬢さんは、俺の話も信じてくれたしな。
 ただなあ、お嬢さん。いくら『ユノ』でもそんなことを知っているとは限らん。それに、どちらにせよ人間を支配するようにプログラムされている『ユノ』がお嬢さんにそう簡単に情報を教えてくれるとも思わんだろう。
 だから、俺が協力してやろうじゃないか。俺の持っている情報は出来る限りお嬢さんに差し上げよう。そして、『ユノ』に近づく手助けもしてやろう。それに、混沌としたこの時代、女の一人旅ほど危ないものはない。仲間は一人でも多い方がいいだろう。
 何、要するにギブアンドテイクさ。お嬢さんは俺の力を借りる。そして俺も『ユノ』に近づいて壊すチャンスを窺うと同時に、お嬢さんの持つ『ユノ』に改竄されていない過去の知識を教えてもらうってわけだ。こいつは歴史学者の俺様にとっては願ってもいない話でね。
 どうだい、悪い話じゃないんじゃないかな。気に食わなければもちろん乗らなくても構わないよ。俺は俺の道を行く。お嬢さんはお嬢さんの道を行く。一期一会。それはそれで素敵な話だ。
 ――そうか。一緒に行こう、と。
 どうやらお嬢さんも詐欺には引っかかりやすいタチみたいだな。いや何心配するな、俺は嘘はつかん。嘘をつこうとすると脳がショートするようにプログラムされている……というのは真っ赤な嘘だが。
 大丈夫だ。そんな不安そうな顔をしないでくれ。俺が悪かったから。
 約束しよう、俺はお嬢さんを守る。こんな長い身の上話に付き合ってくれた礼もあるしな。これからお嬢さんが元の時代に帰ることができるまで、協力しよう。
 ありがとうはお互い様だ。
 それじゃあ握手をしようじゃないか。少々力加減がわからなくて強く握りすぎてしまうかもしれないが……痛くないか? そうか。随分とかわいらしい手だな。この手に触覚が備わっていないのがとても残念だ。
 え、何かいやらしい想像していないかって? ふざけるな、俺はいやらしい想像をすると脳が破裂するようなプログラムを……って、さすがに嘘ってわかった? お嬢さん、やっぱり学習能力が高いね。
 あっ、見捨てないで! 行かないで! クレーンを再び落とそうとしないで!
 はあ……うん、俺も冗談が過ぎた。ごめんなさい。これからはお嬢さんの機嫌を損ねないように少しは自重することにするよ。少しだけな。
 そうだ、お嬢さん。
 お嬢さんの名前を聞かせてもらえるかな? これから一緒に旅するのに、名前を知らないというのもないだろう。
 ドロシー。いい名前だ。それこそ、『オズの魔法使い』の主人公の名前だったな。なるほど、こんな世界に迷い込むお嬢さんらしい名前だ。
 ああ、俺かい? 俺の名前は――。