現代悪役講義

 重たい扉を開けて薄暗い店内に足を踏み入れると、店は異様な空気に包まれていた。
 原因はわかっている。カウンター席に陣取ってグラス片手に気取っているあの男のせいだ。
 カウンターにはその男以外誰も座っていない。それどころか今日は客の姿もまばらだ。今も、一瞬前までカウンター席に座っていたらしい客が俺と入れ違いに店を出て行った。確かに、この男の近くには座りたくないと思う気持ちはわかる。
 本当ならば俺だって他の客と同じように河岸を変えてしまいたいものだが、残念ながら俺は他でもないこの男に呼び出されてこの店を訪れたのである。
 普段は俺から声をかけるのだが、今日は珍しく男の方がすぐに俺の存在に気づき、琥珀色の液体が入ったグラスから視線を上げた。
「よう」
「おう」
 俺も軽く手を上げて挨拶する。
 地味な黒いスーツに身を包み、縁のない眼鏡をかけ髪を撫で付けた姿だけ見れば、どこにでもいるような普通の会社員のよう。
 しかしこの男は常に鉄錆に似た匂いを染み付かせ、不吉な影を纏い、常人にあるまじき鋭すぎる眼光を持っていた。
 どこをどう見ても、まともな世界の住人でないことは一目でわかる。
 だが。
 そいつは今日も今日とて、焼き鳥の串片手にべろんべろんに酔っ払っていたわけで。自慢の眼光もこれでは台無しである。
「呼び出して悪かったな」
 ちなみに、便宜上鉤カッコ内では普通に喋っているように表現するが、実際にはほとんど呂律が回っていない。きちんと聞き取れるのは……俺が、ことあるごとにこいつの飲みに付き合わされているからだ。
「いや、構わんよ。明日は店休みだし」
 俺はそいつの隣に座って、同じ酒を頼む。明らかにそいつに営業を妨害されている馴染みのマスターは、それでも完璧な笑顔で応対してくれる。このマスターの懐の広さは半端ではない。しかも料理も上手くて美味いし、店としては最高だ。
 ――そう、こいつさえいなければ。
「で、今日は何なんだよ。この前のことは色々解決したはずじゃなかったのか?」
「それなんだ」
 そいつは、いつになく真剣な面持ちで……酔っ払いだから「真剣」と言っても微妙なところなのだが……俺を見据えた。
「実はだな」
 そいつの空気に飲まれた俺も何となく緊張して、思わず唾を飲み込んだが……
「俺が、新型改造人間の教育を任されたんだ」
 そいつの口から出たとんでもなくアホな言葉に、
「はあ?」
 という答えしか、返せなかった。
 きっと、正常な反応だったと思う。


 こいつは、一言で言うならば「悪の秘密結社の一員」である。
 「悪の秘密結社」というのは当人の自称ではなく俺の勝手な解釈だが、奴の演説によれば「今までの劣悪な人類に代わって我々のような新たな人類・優良種が世界を支配する、その足がかりとなる組織」ということなので、普通に考える限り「悪の秘密結社」だろう。
 で、奴が言うには奴のような「優良種」の人間というのが何だか不思議な力を持っているらしく、その力で世界をひっくり返そうとしているとか何とか。俺も奴が持っている不思議な力については知っているし、見たことだってある。
 だから何だ、と思うのだが。
 ついでに、「悪の秘密結社」があるということは、「正義の味方」というやつも当然いるのだそうで。
 俺たちのような一般人には知られていないが、奴の言う「優良種」でありながら現状維持を望む連中がいて、そいつらは一般人に気づかれる前に、秘密結社の破壊工作や支配計画をことごとく潰して回っているらしい。ご苦労さん。
 しかしそうされては困るのが、奴なわけで。
 奴が「正義の味方」に負ける度に、何故か一般人である俺が奴の愚痴と飲みに延々と付き合わされる羽目になっていた。


 の、だが。
「……まず一般人の俺に、一からやさしく説明しろ。新型改造人間って何だ」
 改造人間って。しかも新型って。俺が「悪の秘密結社」と呼ぶとそいつは怒るというのに、俺の知らない間にどんどん「悪の秘密結社」らしさが増してきているような気がしてならない。
 俺の当然の疑問に、そいつは眼鏡の下の目をすっと細めた。
「ふっ、これだから劣悪種は」
「帰るぞ」
「すみませんちょっとでいいんで話を聞いてください」
 席を立ちかけた俺を必死で引き止める奴。「全ての劣悪種の上に立つ優良種」であるはずのお前が何故そんなに俺には弱いんだ、と聞きたくなるが、きっと聞くとしくしく泣いて鬱陶しいのでやめた。
「我が組織では、優良種が劣悪種を支配すべく行動を広げているのは貴様も知っているだろう」
「ああそりゃあ嫌というほど聞かされましたからねえ」
 そして、その行動がことごとく「正義の味方」に潰されていることも。偉そうに言っているが、結局のところそいつの言っていることが成功した例はないのだ。
 俺の知っている限り、ただ一つの例を除いては。
「だがしかし、優良種とは優良である分、劣悪種に比べると絶対数が少ない。もちろん我らの力をもってすれば数の不利など問題にはならないが、我らが司令官は、新たな人材を一から『創る』ことにしたのだ。我々に決して逆らうことのない、完璧な人材をな」
「ほう、まあ考え方としちゃ悪くはねえな」
 何しろこの「悪の秘密結社」、まず人望がない。スパイを「正義の味方」に送ったと思ったら二重スパイされていたり、いつの間にか教育中の部下が全員反乱して「正義の味方」に寝返ったりとか、そんなことは日常茶飯事らしい。こいつの口から聞くだけでそんなものなのだ、実際にはもっと酷いに違いない。
「今までも改造人間を生み出してきてはいたが、今回生み出されたのは特別に改良に改良を重ねた、最強の改造人間だ。故に『新型』」
「それはわかった。で」
「俺が教育を任されたのだ」
「何でお前が」
 これは優良種とか劣悪種とか、「悪の秘密結社」とか抜きにして。
 こいつほど「教育」という言葉が似合わない男はいないではないか。
 俺の言葉をどう誤って受け取ったのか、そいつはぐぐっと体を起こし、胸を張った。
「もちろん、我らが司令が俺の功績を認めてくださったからだ」
「お前、何か功績残してたか? いつもかっこつけて現れても『正義の味方』連中に『なーんだ、お前か』って苦笑されるお前が」
「う、うるさい、そんな過去の話を蒸し返すな!」
 過去と言っているが、それは結構最近の話だった気がする。そのエピソードだけでも、そいつがどれだけ「正義の味方」に普段から馬鹿にされているのか窺える。一応俺ら一般人こと劣悪種の上に君臨しようとしている「悪の秘密結社」だが、その道のりは遥かに遠いような気がしてならない。
 一般人の俺にとっては平和でいいことだが。
 しかしそんなことでは困るのが、そいつなわけで。鼻息荒く、手にしていたグラスを置いて、俺に向き直る。眼鏡の下の細い目は、いつになくぎらぎらと輝いている。
「とにかく! 司令は前回の俺の活躍を称え、この名誉ある任務をお与えくださったのだ!」
「前回の……って、まさか、俺が案を出したやつか!」
 俺は、記憶をたどっていくうちに、そいつの言っていることを理解した。いや、「してしまった」と言った方が正しいかもしれない。
 先ほども言ったとおり、俺はいつもいつも飲み屋に呼び出されてはそいつの愚痴に付き合っている。
 ただ、一度だけ、そいつがあまりに情けないものだから、酔った勢いで「正義の味方」を撃退する方法を助言してしまったことがあったのだ。冗談のつもりで。実際、その内容も冗談そのものだったのだが。
 しかし、こともあろうにそいつは俺の冗談を大真面目に実行し……見事に、成功させているのだ。
 ギャグみたいな話だが、悲しいことに事実らしい。
 その後の祝勝会も兼ねた飲みはそいつの奢りだったため随分得をした気分になったものだったが、そうか、これでこいつが今日俺を呼び出した理由も何となく飲み込めた。
「それで……もしかして、今回も俺を頼ろうってんじゃないだろうな?」
「な、何故わかった!」
 図星かよ。いやまあ予想はしていたが。
「あのなあ、お前が俺を頼ってどうする。俺はお前の言う劣悪種で、お前の方が優秀なんだろ? なら俺に頼るまでもないんじゃねえか」
 あくまで、そいつの掲げる論理では、の話である。もちろん俺は本気でこんなことを考えているわけではない。まず、頭の回転だけならばこいつより俺の方が優れている自信はある。
 というか、ほとんどの人間の方がこいつよりはずっとまともな脳味噌の持ち主のはずだ。
「も、もちろんだ! 本来なら貴様の手を借りるまでもない。しかしだな、我らが司令は、我らに貢献した貴様に是非協力を仰げと仰っていたのだ」
「……お前らの司令も、随分寛容だな」
 優良種とか劣悪種とか、支配とか革命とか、過激なことを言ってばかりいる組織の割には俺みたいな外部の人間に協力を求めるなんて妙に柔軟な司令官じゃないか。
 ――と思ったのも一瞬のことで。
「そして隙あらば貴様を我らの仲間に引き入れ、我らの思想で染め上げ優秀な幹部にと」
「それをここで言っちゃう辺りがお前だよな」
 俺はただただ呆れて溜息をついた。言われても言われなくても、どちらにせよ絶対にこいつらの仲間になる気はないのだが。思想信条以前の問題で、こんな間抜けな組織には入りたくない。
 そいつは自分の失言に気づいて口を押さえていたが、すぐに立ち直って腕を振り上げた。
「と、ととととにかく!」
「二回目だぞそれ」
「劣悪種たる貴様に拒否権はない! 俺に従い、新型改造人間の教育を行うのだ! さあ来たれ、我が新たなる同志よ!」
 そいつが唐突に吼えて、ばっと勢いよく手を上げた。
 ……今、ここに来るのか!?
 俺はグラスを置いて思わず周囲を見渡す。目の端で、カウンターの向こうのマスターも、流石に雲行きが怪しいと思って表情を少しだけ曇らせた。
 新型改造人間ということは、いわば戦隊ものでいう「怪人」ってやつだろう。そんなものが店にやってきたら、いくら客が少ないこの場でも、大騒ぎになるに決まって……
「は、はいっ、お呼びでしょうか」
 って……え?
 俺の背後から聞こえたのは、妙に上ずった声で。
 ゆっくりとそちらを向くと、そこには、そいつと同じように会社員風のスーツに身を包んだ若い兄ちゃんが立っていた。
 どこからどう見ても、普通の人間だ。
 しかもこいつ、今の今まで何事もなかったかのように店の奥のテーブル席に座っていたし。この時のためにスタンバっていたに違いない。ご苦労様です。
 俺はぎぎぎと軋み音がしそうな動きで奴に向き直ると、スーツの若い兄ちゃんを指差して言った。
「えーっと、こいつが?」
「その通り、これが新たなる同志! 新型改造人間だ!」
 改めて新型改造人間……面倒なので便宜上「怪人」と呼ぶことにするが……の兄ちゃんを見ると、何だかおっとりした表情で深々と頷いた。何だか、「悪の秘密結社」にはあるまじき、まったりとしたオーラを醸し出しているのは気のせいだろうか。
「てっきりハサミガメ怪人とかそんなんだと思ってたが……普通の人間型なんだな」
「はい。私は劣悪種の社会に溶け込み、内部から崩壊を促すという目的の元に作られた存在ですので」
 怪人は言ってにっこりと笑った。おっとりした物腰の割に、言っていることはものすごく物騒だ。流石は「悪の秘密結社」の怪人。上司であるこいつよりもよっぽど悪っぽいのは何故だ怪人。
「とはいえ、まだ言語と我らの思想を学ばせただけだ。これから、劣悪種の社会について学ばせなくてはならない。そのためにも貴様を利用させてもらう」
「素直に『協力してください』って言われりゃ考えてやってもいい。言わなきゃ帰る」
「協力してくださいお願いします」
 ……弱いなー、こいつ。
 普段以上に腰が低いことから考えるに、多分、この「怪人」の教育を成功させないと司令から島根支部への異動を通達されるとか、そんなものだろう。
「わかったよ、やりゃあいいんだろ、やりゃあ」
 俺はやる気なく手を振って、横に座った怪人を見る。怪人は「よろしくお願いします」と深々と頭を下げた。
 正義だろうと悪だろうと、礼儀正しいのは大切なことだ。いつも無駄に偉そうなこいつにも是非真似させるべきだと思う。
「しっかし、教育ったってなあ……」
 俺らの社会を勉強させろ、と言われてもこいつらの目的が目的だ。俺としては大人しくこいつらに従ってやる義理もない。いっそ、とっとと帰って何もかもを忘れてぐっすり寝てしまいたい気分ではある。
 ただ、俺に対し過度な期待を込めたそいつの目と、俺を見上げるキラキラ輝く怪人の目を見ていると、ついつい逃げてはいけないという気分になってしまう、笑えるくらいお人よしな俺。
 さて……どうするか。
 追加で怪人の分の酒と自分のお代わりを頼みつつ、俺は肘をついて考える。
 そして、ついに思いついた。間違いなく、俺にとってもこいつらにとっても一番平和的と思われる解決方法を。
 俺は新しいコップに注がれたウイスキーを少しだけ舐めてから、にやっと笑ってみせる。
「わかった。まず、お前が学ぶべきなのは、献身の精神だ」
「……献身、ですか?」
「そう。俺を含めた劣悪種と呼ばれる連中の中に溶け込むには、まずそいつらに対して献身的な精神を持たなくてはならない」
 怪人はふんふんと首を振りながら大人しく人の話を聞いていた、のだが。
「待て! 何故優良種たる我々がわざわざ劣悪種に献身しなければならない?」
 やはり口を出してきたのは奴の方だった。いくら間抜けなこいつでも、流石に俺の言っていることが変だということはわかったらしい。しかし、そうやって切り返されるのはわかりきっている。
 だから、俺はちっちっと指を振ってやった。そりゃあもうそいつの神経を逆なでするくらいにわざとらしく。
「いいか? この兄ちゃんの役目はあくまで潜入だ。溶け込むことだ。そのためには、俺らに認められなきゃならない。認められるためには、尽くし、愛する精神を持って人と接するのが一番手っ取り早い。そんなこともわからねえのか?」
「うっ」
「確かに劣悪種にこびへつらうのはお前の美学にゃ反するんだろうが、その美学ってやつに拘ってるから、お前はいつも失敗するんだろ。違うか?」
「うぐっ」
 明らかに図星を突かれたようで、顔が赤くなったり青くなったりする奴。こいつの場合本当に赤くなったり青くなったりするから見ていて面白いのだが。
「世界を征服するには、まずはご近所づきあいから。お前の人柄や行動で近所のおばちゃんたちの心を掌握できれば、お前らの支配は一歩近づくことになる。俺らの世の中ってのはそうやってできてるんだよ」
「くっ……何という面倒なシステムだ、劣悪種の世界は……だからこそ我々は力で支配を」
「だからお前は黙ってろって」
 情け容赦なく、俺はそいつの頭を思い切り殴りつける。どうせ、どんなに力をこめて殴っても、自称「優良種」のそいつのこと、俺程度の拳骨じゃ痛くも痒くもないだろうし。
「べ、勉強になります!」
 そして怪人は、やっぱり目をキラキラさせながら俺を見上げてるし。
 だが、それでいい。
 俺は手にしたグラスを傾け、鷹揚に頷いた。
「俺から教えられるのはそれだけだ。後は、こいつが見本を見せてくれるはずだ」
「は!?」
 突然話を振られるとは思っていなかったらしい奴は、ぐぐっと顔を俺に近づける。多少広くなり始めている額には、漫画か何かでしかお目にかかれない見事な青筋が浮かんでいる。
「貴様、何を言っている? 何故俺までもが……」
「教育係はお前だろうが。怪人くんを正しい悪の道に導くのはお前の役目だろう」
「我々は悪ではないし、こやつは怪人ではなく新型改造人間だ!」
「はいはい、どっちでもいいから」
 こいつが何を言おうとも、俺にとってこいつらはどこまでも「悪の秘密結社」である。自分でも、「正しい悪の道」がどういうものかはわからないし、まず「正しい悪」っていう地点で何かが間違っているような気もするが。
「それに、ここがお前のリーダーシップの見せ所だぞ。ここでかっこよく見本を見せることが出来れば怪人くんはお前を尊敬するだろうし、お前の言う司令さんだってお前さんを見直すんじゃねえかなあ?」
 にやにやと笑って言うと。
 そいつは握りこぶしに力を込めて、きっぱりはっきり宣言した。
「よし、やるぞ!」
 何という単純明快思考回路。扱いやすいったらありゃしない。
 だからこそ俺はこの厄介極まりない「悪の秘密結社の一員」が、今の今までどうしても嫌いになれないのであるが。
 怪人は怪人で「はい、先輩!」とめちゃくちゃいい笑顔で返事をしているし。何だろう、この無駄に体育会系なノリ。こいつらが所属する「悪の秘密結社」の気風なのだろうか……むしろ傍から見る限りでは「正義の味方」っぽいテンションになっているが。
 奴は勢いよく席を立つと、拳を天井に突き上げて高らかに言う。
「そうと決まったらすぐに行くぞ! 近所の奥様方の信頼を得て、我らが組織に貢献するのだ!」
「はい、ご近所からじわじわと我らの支持を広め、劣悪種の連中が気づかぬままに支配の基盤を得るために、私、誠心誠意頑張りたいと思います!」
 物騒なのにどこか抜けた会話を繰り広げながら、こうして二人は意気揚々と店を後にした。
 残されたのはカウンターの上で空になった二つのグラス、奴が食べていた鳥の串。
 そして、ウイスキーが半分くらい入ったグラスを手にして呆然とする、俺。
 ……あれ?
 こちらをじっと見つめる困り顔のマスターを見上げ、やっと俺は現在の状況を認識した。
「こいつらの酒代、俺が払うのか?」

 どうやら俺も、あいつらのことを「抜けている」とは言えないのかもしれない。


 あれから、一ヶ月が過ぎた。
 店を開けるために外に出た俺は、今日も今日とて小さく溜息をついてそれを見る。
 黒いスーツを身に纏った、集団。ぱっと見どこにでもいるサラリーマンか何かに見えなくもないが、その全てが異様な雰囲気を身に纏っている。
 そんな連中が。
 ――街中の清掃活動を行っている。
 そいつらの中にしっかり混ざっていた例の怪人は、店の前に突っ立っている俺の姿を見るなり、弾けるような笑顔で頭を下げた。
「おはようございます!」
「あ、ああ、おはよう……」
「お仕事ですね、今日も一日頑張ってください! 私たちもお仕事頑張ります!」
 ああ、と生返事をしつつ見れば、黒スーツの先頭に立っているのは件の奴である。偉そうな態度はいつも通りだが、近所のおばちゃんたちには珍しく自分から頭を下げて挨拶をしている。
 ついでに、奴らが行っているのは清掃だけではなかった。横断歩道を渡ろうとするおばあちゃんの荷物を持ってやったり、スクールゾーンを通ろうとする車を注意したり、果てには近所のおばちゃんたちと井戸端会議に興じていたりもする。
 初めこそ妙な目つきで見ていたご近所の皆様も、あくまで献身的に何の見返りも求めず働き、しかも愛想もよいこの黒スーツ連中を、段々と受け入れ始めていた。
 そして、本来なら支配すべき劣悪種相手に奉仕活動を行う奴をはじめとした「悪の秘密結社」の連中は……全員が全員、何故か輝いた顔をしていた。
 まるで、俺たち劣悪種の支配という「目的」よりも、この「手段」に生きがいを感じてしまっているかのように。
「平和だな、この世の中」
 だから俺は、よく晴れた青空を見上げて今日もちょっぴり苦笑い。


 奴ら「悪の秘密結社」がこの世界を征服する日は、まだまだ遠い。