夕焼けの殉教者
水に生まれ、風に生きる。
それが、『我々』に定められた生き方。
「行くのか」
碧の目を空に向ければ、そこに広がるのは見事な夕焼け。それと同じ橙を身に纏った長は、ふと笑う。
「ああ」
「わかんねえな、そういうの。死にに行くようなもんじゃねえか。しかも、何代にも渡って旅して行き着く先が死に場所なんて」
皮肉じゃねえか。
その言葉は、何とか飲み込むことが出来た。長の表情が、笑顔ながらも確かな決意に満ちているように見えたから。長は同じ色を身に纏った大きな一団を背に、こちらに向かって穏やかな声で言った。
「貴方にはわからないかもしれないな。だが、これは私たちの祖もまた経てきた道だ」
言って、長はふと、北を見る。夏から秋に移り変わったこの時期に、北の方角からは冷たい風が吹いている。風はだめだ。冷気もまただめだ。旅する力も、生きる力も、また精神をも削っていき、最後には惨めな死に至るだろう。
この長と長に従う者たちは、今その北の方角に向かおうとしているのだ。生きて戻れるはずもない冬の世界へと旅立とうとしているのだ。
「何故、北に」
放った質問は、あまりに間抜けなものだっただろう、と言ってから後悔する。それでも長は穏やかな笑顔を崩さず、またそんなばかな質問を、と笑い飛ばすこともしなかった。あくまで真摯な表情で、同じ目的を持った同志たちを仰ぎ、言う。
「知りたいからだ。貴方がそうであるように、私たちは冬を知らない。北から暖を求め舞い降りる鳥は冬を知るが、我が一族は鳥の声を聞き伝えるのみで見た者はない。だからこそ、我々はこの眼で、冬を見るのだ」
何もかもを見通すような、長の大きな瞳が動く。普段は褐色をしているその瞳も、今だけは橙色に染まって見えた。
冬を、見る。
戯言だ、と思う。種族は違えど遠い親戚なのだから、それが叶わないことだってわかる。いや、長や長の後ろに控える者たちとてそれは誰よりもよくわかっているはずだ。
それでも進むことをやめないのは……
「……下らない質問だったな」
問うことすらも、無意味。漏れるのはただ苦笑のみ。
それが、彼らの生き方であり、自分とは根本的に価値観が違うのだ。あくまで祖のあり方に忠実な、定住を知らない長の一族、逆に自らの居場所を頑なに守り続け、その中で自由に生きる自分。その間に何かしらの理解を持つ方が、実際に難しいのだろうと思う。大切なものが、元々違うのだから仕方がない。
ならば、出来ることは。
「それじゃあ、幸運を祈るよ」
夕焼け色の殉教者たちを送り出すことだけ。
長は、彼らが元々生まれ出た場所である、南の地特有の礼を返した。
「ありがとう。貴方は、どうするつもりだ?」
「何、また明日になったら普段どおりいい女でも捜して回る毎日さ」
「そうか。それでは」
「じゃあな」
そんな別れの言葉を最後まで聞かないうちに、長は脆くも見える薄い羽を力強く震わせ、夕焼けの空へと昇る。それに続き、長と同じ羽を広げて橙色の集団が次々に空へと飛び立っていく。
夕焼け空に、溶け込むように。
冷たい風に逆らい、時にはその風をつかまえて、真っ直ぐと北へ羽ばたいていく。
彼らが夢見るのは噂に聞く白い雪だろうか。それともそんな凍えるような寒さの中に灯る光の暖かさだろうか。凍るような空気の夜に浮かび上がる星の数だろうか。
決して理解はできない。共感もできない。
ただ、何故か奇妙な美しさと前向きさだけは、認めざるを得なかった。
「何だかなあ」
呟き、飛び立っていった長よりずっと大きく武骨な羽を下ろす。羽の付け根が軋む。誰もが羨む銀色がかった青い身体はぎしぎしという嫌な音を立て、茶色の長い尾が力なく落ちる。
目蓋のない碧の目は空ろに空を見上げたままで、もうとっくに見えなくなった、帰ることなきウスバキトンボたちの姿を夕焼けに思い描いていた。
「……ああ、本当に、寒いな」
北の風にさらされる孤独なギンヤンマの呟きを聞くものは、いない。
水に生まれ、風に生きる。
それが、『我々』に定められた生き方。
だが、たどり着く場所は必ずしも同じではない。
人がそうであるように。