メリー・ゴー・ラウンド

 回る、回る、ぐるぐる回る。
 つくりものの馬が、駆け抜けていく。
 回転木馬。メリー・ゴー・ラウンド。
 どこまで回っていくのだろう。いつまで回っているのだろう。
 回るだけでは、どこにも行けないのに。
 
 
「……マリア?」
 マリア・ラブレスは、己の名を呼ぶ声を聞いて、初めて自分が目の前を回るものに意識を取られていることに気づいた。
 両方の手にコーンに乗ったアイスクリームを持った少年――アルベルト・クルティスは、分厚い眼鏡の下で三白眼を瞬きさせた。
「ほら、これ。チョコミントでよかったんだよな?」
「うん。ありがとう、アル」
 チョコチップの散った淡い緑のアイスクリームを受け取って、ふと微笑みを浮かべると、アルベルトは頬を赤く染め、すぐに目を逸らしてしまった。その姿がなんとも微笑ましくて、マリアはくすりと笑みを零してアルベルトの見ている方向に視線をやる。
 ここは、裾の町でも外れに位置する小さな遊園地だった。
 小さいけれど、それなりの賑わいを見せているのは、ここが、普段の世界とは隔絶した空間であり、世界の息苦しさを一時でも忘れさせてくれるから、だろうか。
 横に立つ彼も、そのような息苦しさから逃れたいと、望んでいるのだろうか。
 マリアよりも少しだけ背の低い彼、アルベルトは、マリアと同い年の十五歳。だけど、マリアが出会ったときからいつも、子供のような無邪気さがあった。本当は無邪気でなんていられないはずなのに、この世界に生きる誰よりも優れた知識と能力を持っているはずなのに――マリアの前の彼は、いつも、ほんの小さな子供のよう。
 それが、マリアにとっては愛しくもあり、同時に不安でもあった。
 回転木馬の向こうには、白磁の塔が聳え立つ。統治機構《鳥の塔》。アルベルトが研究員として働く場所であり、マリアの全てを握っている場所。それが、自分たちを見下ろしている。どこにいても、見下ろしている。
 回転木馬はぐるぐる回る。どこにも行けないまま、回り続ける。そんな木馬に跨った子供たちが歓声を上げているのを、見るともなしに見つめてしまう。
 すると、おどろおどろしい色をした合成ベリーのアイスクリームを舐めていたアルベルトが、首を傾げて問うてきた。
「これ、好きなのか?」
「ううん」
 マリアは首を横に振る。ただ、それ以上を彼に伝える気はなかった。きっと、彼を不安にさせてしまうだろうから。
 思いはそっと胸に閉じ込めて、答える代わりに彼の、アイスクリームを持っていない方の手を握る。
 彼の手の温もりを感じるために。
 自分の手がまだ温かいことを、実感するために。
「マ、マリア?」
 アルベルトが、目を白黒させてこちらを見ている。よく見なくとも、耳まで真っ赤だ。そんなアルベルトには気づかぬ振りで手を引いて、回転木馬に背を向ける。
「まだ、あっちは見てなかったよね。行こう、アル」
「お、おう」
 上ずった声で返事をするアルベルトに笑みを向けて……一瞬だけ、回転木馬を振り返る。同じ場所をぐるぐる回り続ける、木馬たち。その背に乗る子供の一人は、無邪気に笑って、後ろの木馬に乗る仲間に向かって手を差し伸べている。
 その笑顔が、横にいる少年の表情と重なって見えて――目を、背ける。
 そう、笑っていてくれればいい。それだけでいい。そう思う心と、それ以上を望んでしまう心がせめぎ合う。
 望んではならない。それは、今この場で手に入ったとしても、いつか必ず、最も望まない形で手放すことになってしまうから。
 だから、己の望み全てを、そっと、心の奥底に沈む鏡の中に閉じ込める。
 いつも、そうしているように。
 アルベルトが、どこか不安げに顔を覗き込んでくるのを、やんわりとした笑顔で退けて。
 早足に歩きながら、そっと口に含んだチョコミントのアイスクリームは、いつもよりも少しだけ苦く感じた。
 
 
 ――メリー・ゴー・ラウンドは好きじゃない。だって……
 
 ――追っても追っても、あなたの背中には追いつけないから。