月の剣は運命を知る

 それは、いつもの、下らない殺しの仕事。命の終わる瞬間だけ鮮やかに咲き誇る、ちいさな花を刈り取る、簡単なお仕事。
 そう、思っていたのに。
 握った刃を、振り抜いたその瞬間に――咲いた、大輪の花。
 その、燃えるような、あかが。
 目の奥の奥に、焼きついて離れない。
 
 離れないのだ。
 
 
「……まさか、お前がこうも見事にやられるとはな」
 外周の闇医者は、溜め息混じりの言葉を吐き出す。 
 医者の前に座る黒髪の男――月刃の目は、はるか遠くを見ていて、焦点が合っていなかった。医者の呆れ声も聞こえていなかったに違いない。そして、彼の利き腕である左腕は、二の腕の辺りから綺麗に切り落とされていた。
「誰にやられた」
 その問いに、初めて月刃は虚空に浮かばせていた視線を医者に戻し――何故か、うっすらと笑みすら浮かべて答えた。
「シスル、と名乗っていました」
 シスル。遠い時代に滅びた花の名前だ。月刃の脳裏に描かれるのは、全身を黒という色で覆い隠し、青ざめた禿頭に羽を刻んだ異形の青年だった。その腕は、否、身体のほとんどは、血の通わぬ鋼であったことを思い出す。
「シスル……例の、変人博士の『作品』だろ。護衛に関しては一流と聞くが、お前をどうこうできるほどの腕とは思っていなかったよ」
 月刃といえば、外周どころかこの国で裏の世界に首を突っ込んでいる者ならば、知らない者はない殺し屋だ。生きているものを「殺す」ことにかけては超一流の彼が、獲物を仕留めそこなうどころか、致命的ともいえる傷を負うとは、長年の付き合いである医者も想像できなかったに違いない。
 しかし、月刃は、包帯を巻かれた腕の付け根を右の人差し指でなぞりながら、恍惚とした表情で唇を開く。
「真っ赤な、花でした」
「……花? ああ、お前には花に見えるんだっけな」
 医者は、月刃が持つ特殊な能力についてもある程度の理解を持つ。だから、月刃の呟きが何を意味していたのかも、すぐ察したに違いない。
 超感覚の一種と月刃やその周囲は認識しているが……月刃の金色の瞳は、本来目には見えない人の「命」を「光」として知覚している。今この瞬間も、相対する医者の姿に被さるように、淡い光が見えている。
 普段は月刃の目にも細々としか見えない光だが、それは、命が失われる瞬間に、失われることに抗おうとするのか、それとも最後の最後に輝きを見せつけようというのか……とにかく鮮やかに輝く。まるで、暗闇に色とりどりの炎の花が咲くように。もちろん、その花の色や形に、一つとして同じものはない。
 月刃はその輝きに魅せられ、輝きを見たいと望むからこそ人を殺す。細々と光を放ってただ「生きているだけ」の人間に、何一つ価値はない。彼にとって、人の価値とは「生から死へ向かう瞬間の、一度だけの輝き」のみに見出されるものだった。
 ……だが。
「……咲いてるんですよ。今も」
 ぽつり、と。月刃は呟いた。
「生きていながら、咲いている。咲きながら、生き続けている……いや、死に続けている? とにかく、ずっと咲いているのです。赤く。赤く」
「そんな奴が、存在するのか」
「ええ、あの失われない輝きは、まさしく常春の花。その花の美しさは、私にしかわからない。ああ、これを運命と言わずして、何と言うのでしょう!」
 気分が昂ってきたのか、芝居がかった台詞回しで言い放った月刃は、細めた瞳の奥に、ねっとりとした感情を秘めて囁く。
「見たい。見たいですねえ。あの花が散る間際の輝き。私はきっと、あの花を見るために生まれてきて――殺してきたのでしょう。そう、今になってわかりましたよ」
 医者は蒼白になりながら「月刃」と彼の名を呼ぶ。どうしてそのような顔をするのだろう、と月刃は不思議に思う。自分は、こんなに愉快な気分だというのに。
「ああ、そうそう……一つね、あなたにお願いがあるのですよ」
 ゆらり、と。立ち上がった月刃は、金の瞳で、自分が持ってきた「荷物」を示す。布に包まれたそれを紐解いてしまった医者は、中に入っていたものを見て絶句する。
 そんな医者の背中に投げかける月刃の声は、深い、深い愉悦に満ちていた。
「それを、私のものにして欲しいのですよ。できますよね?」
 
 
 かくして、月刃は再びかの青年と対峙する。
 
 全身を覆う黒衣。露出した頭から顎にかけては酷く青白く、骸骨のような印象すら受ける。月刃が求める「生」のイメージからは、全くもってかけ離れた見かけだ。
 けれど、月刃は知っている。
 その青年の背中に、今もなお、鮮やかに一輪の花が咲き誇っていることを。
「お久しぶりですねえ、お花ちゃん?」
 月刃は、身構える黒衣の青年に向けて、手を差し出す。
 あの日失ったはずの、左の腕を。
 服から覗く肌の色は、月刃のそれとは異なっている。白磁のような白さと、折れそうなまでの細さ、そして見かけに反したしなやかな強靭さを誇る腕は――まさしく、目の前に立つ青年、シスルのものだった。
「見てください、お花ちゃんの腕を移植してもらったのですよ。これで、いつでもお花ちゃんと一緒ですよ。まだ、左腕だけですけどね」
 言って、指先を口の中に含む。鉄錆の味がするのは、先ほど一人殺してきたからだろうか。それとも、この腕が本来持っている味なのだろうか。わからないけれど、愛する者の一部が己のものとなり――それを当人の目の前で犯す快感は、何にも代えがたい。
「おいおい……勘弁してくれよ?」
 おどけた口調ながらも、シスルの表情が露骨に引きつり、視界に映る炎が揺れる。その揺らぎが示すのは「怯え」。それでありながら、背に咲き誇る赤は全く色を薄めることも、萎れることもない。
 どこまでも折れることなき生への渇望。その望みを受けて咲き続ける花。
 それでこそ。それでこそ、自分が求める「至高の花」だ。
 いつか、いつか、その全てを手に入れてみせる。まだ自分が見ていない咲き方を、この目に焼き付けるために。
 愛しい左の指先に舌を這わせ――月刃は、壮絶に、笑んだ。
 
「さあ――|愛《コロ》し合いましょうか、お花ちゃん?」