01:終点で君と出会う(8)
「……できすぎだ」
ぽつり、とアレクシアが漏らす。それに対して、私は「それはそうだよ」と言うことしかできない。
「私は君から聞いた話から、推測だけを積み重ねたに過ぎない。もちろん、もっと説得力のある論も出せるのかもしれない。私にそれができなかった、というだけで。何せ私は警察でもなければ探偵でもなく、ましてや魔法使いでもない」
言ってしまえば、ただの犯罪者だ。二度とこの塔から出ることはない、程度の。
「けれど、ひとつだけ、これだけは確かだと言えることがある」
そう、そんな私から見ても明白に立ち現れた、この出来事の本来の姿。アレクシアはまだ気づいていないのか、不服そうな表情をこちらに向けているけれど……。
「まだ、この出来事には議論の余地が十二分にある、ということだよ」
「あ……っ!」
難しい顔をしていたアレクシアが、ぱっと顔をあげる。
「姉さんが犯人である可能性が限りなく低いことは示した通り。そして、アントニア嬢が思わぬ関わり方をしている可能性も。オーブリー卿がただの被害者ではない可能性も」
「そう、か。確かにそうだ」
私の突飛な推理は、あくまで物事を考える足がかりに過ぎない。何せこの一連の出来事に結論を出すのは私ではなく、この事件に関わった人々と、それを解き明かそうと試みたアレクシア当人だ。
「あとは君次第さ、アレクシア。君ひとりで難しいようなら、私が友に一筆書いてもいい。都合のよいことに、私の友は警察官だからね」
「いや。……大丈夫だ、叔父さま。ありがとう」
アレクシアは背筋を伸ばして笑ってみせる。その晴れやかな笑顔が、なんとも眩しく感じられる。それは、私からは遠く離れた、もはや誰からも向けられないと思っていたものであったから。
その上で、アレクシアは私の顔を鉄格子越しに覗き込むようにしながら言うのだ。
「叔父さま、何か礼はできないだろうか。わたしにできることなどたかが知れているが」
礼、だなんて。おかしくなってしまって、少しばかり笑ってしまう。怪訝な顔をするアレクシアに、私はゆるりとかぶりを振った。
「礼などいらないよ。君がここに来てくれて、話をしてくれただけで、十分さ。このような言い方をしてよいものかはわからないけれど、久方ぶりに快い時間だった」
語られた出来事そのものは凄惨なもので、アレクシアにとっても決して「快い」などという言葉で片付けられるものではないのはわかる。それでも、私にとって、久方ぶりに彼以外の人間と言葉を交わせたのは、それこそ奇跡のような巡り合わせであったのだ。
きっと、友以外の誰一人として、この場に訪れることはないと思っていたから。
そのまま、ゆっくりと、朽ち果てていくだけであると思っていたから。
「頼ってくれてありがとう、アレクシア。どうか、一連の出来事が君にとって良き結末を迎えますように」
今更贖罪などと言うつもりはない。ただ、今ここで私と向き合っている彼女が、少しでも幸福に感じられるような結末を迎えてくれるように、願う。そのために、背中を押す手伝いをできたなら、この上なく喜ばしいことだと――思う。
アレクシアは青い目をぱちぱちさせて私を見た。それから「叔父さまは不思議な人だな」という感想を述べた。
「そうかな? 特別なことを言ったつもりはないけれど」
「叔父さまは、世間から自分がどう見られているのかをもう少し自覚した方がいいと思うぞ?」
「なるほど、それは一理ある」
決してわかっていないわけではないのだ、世間にとって私というものがどういう存在であるのか。そして、その評価が決して誤ったものでないということも。
その一方で、今、目の前にいるそのひとに「悲しまないでほしい」と願うことくらいはする。それだけの話。
本当に、ただ、それだけの話なのだ。
それだけの。
アレクシアは何を思ったのだろう、じっと私を見つめていたけれど……、そこに、不意に声が割り込んでくる。
「時間だ」
鋼のように響いたのは、私の背後に立っていた刑務官の声だった。
はっとしたような顔をしたアレクシアは、それから音もなく立ち上がる。雨避けの外套の裾が、鉄格子の向こう側で揺れる。
「では、わたしはこれで。ごきげんよう、叔父さま」
「アレクシアも、どうか元気で」
立ち上がりながら軽く頭を下げると、アレクシアは猫のような笑みを浮かべて言った。
「次までは、わたしの名前を忘れないでくれたまえよ?」
――次?
問い直す暇もなく、アレクシアは外套を翻して背を向ける。終始無言で控えていた老従者が私に向かって深々と一礼するのを、軽い会釈で受け止める。
当たり前のようにやってきた当たり前でなかった少女は、今も、当たり前のように帰っていこうとしていく。
「アレクシア」
思わず。本当に思わず、声をかけてしまった。アレクシアがゆっくりとこちらを振り返る。その顔に浮かんでいたのが変わらぬ笑顔で、内心ほっとする。
本当に「次」なんてものがあるのかはわからない。あったとして、何が変わるわけでもない。私は息が尽きるまでここにいて、アレクシアは外からやってきて、去っていく。それだけの話。
それだけの話、なのに、何故だろうか。
「……|また《、、》。何か困ったことがあれば、話し相手になるよ」
なんて、言ってしまったのは。
アレクシアは驚いたように目を開いて、それから……、にっと白い歯を見せて笑った。
「ありがとう、叔父さま。存分に頼らせてもらうよ」
それでは、と。短い言葉を残して、今度こそアレクシアは老従者を引き連れて面会室から姿を消した。誰もいなくなった鉄格子の向こうで、ぽつりと椅子だけが存在を主張していた。
「行くぞ」
刑務官の声が背後から響く。
アレクシアが座っていた椅子は、もちろん何も語らなくて。だから、私もそれに背を向け、手枷と足枷の鎖の音を聞きながら、来た道を、ゆっくりと戻っていく。
私のために用意された独房は、常と何一つ変わらない。
――そのはずだった。
「……静かになってしまったな」
天高く開いた窓からは、雨の音だけが聞こえてくる。
寝台の隅に腰掛けて、瞼を閉じる。完全な闇に閉ざされた世界で、さあさあと音がする。いつものことだ。あまりにもいつものこと。慣れきってしまったはずの、雨の日。
けれど、いやに静かに感じられるのは、きっと、常に無い訪問者の声が今もなお頭の中に響いているからだろう。
アレクシア・エピデンドラム。
存在していることも知らなかった、私の姪。
決して喧しい声ではなく、ただ、鈍色の雨を貫くような凛と響く声音が頭から離れないままでいる。私のことを「叔父さま」と呼ぶ声。気丈にも背筋を伸ばして、決して自らにも無関係でない凄惨な出来事を、できる限り客観的に話そうとしていた姿。
賢い娘であったと思う。かつての私と似た世界に生きていながら、まるで違う存在であったと、思う。
「あー……」
自分の声を確かめるためだけに声を出して、そのまま寝台に倒れこむ。慣れきった硬い感触を背中と後頭部で受けながら、うっすらと右の瞼を開けて暗い天井を見上げる。
本当にアレクシアは「また」来るのだろうか。私に「次」はあるのだろうか。そんなことを考えかけて、やめる。全てはアレクシア次第で、場合によってはアレクシアが望んだとしても周囲が許すはずもなくて、要するにこれが最初で最後であっても全くおかしくないのだ。
ただ。
『次までは、わたしの名前を忘れないでくれたまえよ?』
――忘れられるはずもない、と思う。
友以外に初めて「私」を訪ねてきた娘。私の罪を知りながら、それを責め立てるでもない者を初めて見た、と言ってもいい。責められて当然のことをしてきたのだから、いっそ居心地が悪かったとも言える。
なのに、その居心地の悪さもすぐに忘れた。本当は忘れてはいけないものだとわかっていながら、アレクシアと話しているひと時だけは、自身が罪を償うために息をしている身であることを意識していなかったのだと思い出す。
それが正しいとは思わない。思わないけれど、そういうひと時がもたらされることもあるのだと、初めて知った。仮にこれが最初で最後であったとしても、忘れることなどできやしないと思う。
どうか、アレクシアの行く道に祝福あれと願う。せめて、彼女の直面した出来事が、彼女の望むような形で終息してくれればよい。そこに、私の荒唐無稽な説明が少しでも足しになるのならば、それは喜ばしいことだと思う。
とはいえ、その終息の形を私が知ることはないのだろう。次にアレクシアが来るときまでは。
だから私にできることは、今日という日の記憶を忘れないように日々を過ごすことだけだ。
そう、今日も私にとっての「終点」で、時間だけが過ぎていく。
贖罪の時は、終わることはない。