01:終点で君と出会う(7)

「……何だって?」
 張り詰めていたアレクシアの唇から、間の抜けた声が漏れた。
「いや、私がさっきからずっと気にしているのは、姉さんが、もしくはアントニア嬢がオーブリー卿を殺せたか、ということなんだ」
 一体私が何を言い出したのかわからないのだろうアレクシアは、唇を尖らせて眉根を寄せる。
「事実として、オーブリー伯父上は死んでいるが」
「もちろん、そこを疑っているわけじゃない。ただ、どう考えても『難しい』ことだけははっきりしているんだ。……見てもらえればわかるかな? 立ってみてごらん」
 アレクシアに立つよう促しながら、自分も立ち上がる。鎖の音と共に「おい」という刑務官の鋭い声が飛んできたから、ちらりとそちらを見て笑いかける。
「ここからは一歩も動かないよ」
 言い置いて、鉄格子を間に挟んでアレクシアと向き合う。立ち上がったアレクシアは想像よりもずっと小さくて、私の胸の辺りに顔が来ている。そして、それこそが、私の仮定を裏付けてくれている。
「アレクシア、アントニアは君とよく似た双子なのかな?」
「……あ、ああ」
 アレクシアは私が何を言い出したのかすぐには察せられなかったのか、一拍遅れて頷いた。それでも構うまい、私は手枷で繋がれた不自由な手で目の前に鉄格子を指す。
「では、仮にこの場に鉄格子はなく、君の手に一振りの短剣が握られていたとしよう」
 私に人並みの想像力がないことは周知の事実で、だからこそここにいると言っても過言ではないと思うのだけれども、一方でこういう「事実に基づいた想像」に関しては人並み程度だと自負している。だから、アレクシアに問うてみるのだ。
「なら、君はこの状態から、私を刺し殺せると思うかい? 『真正面から』『心臓を一突きで』、だ」
 アレクシアははっとした様子で、私と自分の手元とを見比べた。
「無理だな。心臓を狙うには、高すぎる」
「そう。記憶が正しければ、オーブリー卿の身長は私と同じか、少し高いくらいだったはずだ」
 横幅で言うならオーブリー卿の方が圧倒的に大きいのだが、それはそれとして。
「正面から向き合った状態で心臓を一突きにするには、君の、つまりアントニアの身長では不可能だよ」
 アレクシアは立ちつくしたまま不思議そうに目を瞬かせている。随分迂遠な話の仕方をしているから、まだ話の行き着く先が見えていないのだと思う。
「では、伯父上が倒れている状態からはどうなんだ?」
「うん、それも考えたんだけどね。それなら、死体がうつ伏せであった理由がわからないんだ。わざわざ仰向けで殺したものをうつ伏せにさせるかな?」
 アレクシアはうーんと唸る。仮にそこに何らかの理由が見出せるなら話は変わってくるのだが、私はあくまでアレクシアから聞いた話だけで推理を組み立てている。だから、私はそこに「理由はなかった」と考えるのみ。
「それにね、アレクシア。君は知らないかもしれないけど、『心臓を一突き』にするというのは重労働なんだよ。まず、心臓の位置を把握している必要がある。そこを一直線に刺し貫くための膂力も要る。人はそう簡単に殺せるものではないよ」
「叔父さまが言うと含蓄があるな」
 ああ、確かにそうかもしれない。ここに至るまでに私は数多くの人を葬ってきたし、それに。
「私は結局、刃では誰も殺せなかったからね」
「笑っていいのかどうか悩ましいな、そこは」
 我が姪に困った顔をさせてしまったことは、素直に申し訳なく思う。どうも私の冗談は冗談になっていないとよく友にも諫められるのだ。
 アレクシアはしばし私の言葉を吟味するように視線を宙に彷徨わせていたが、ふと睨むような目つきで私を見た。
「つまり。叔父さまは、アントニアには犯行ができない、と言っているのか? あれだけアントニアを疑うようなことを言いながら」
「アントニアが嘘をついている可能性があれば、それこそ事件前からの綿密な計画の下に何らかの仕掛けが使われた、とでも考えたかもしれないけれど。彼女の意識が曖昧な状態であったことを君が保証する以上、これはどこまでも突発的な出来事で、その状態でオーブリー卿を殺すことは、アントニアにはまず不可能だったと思っているよ」
「じゃあ、母さまには?」
「姉さんにも同じ理由で不可能だよ。確かに君より背は高かったと記憶しているけれど、それでもオーブリー卿を正面から相手取れるかというと、私はまず疑問に思うね。というより、私でもオーブリー卿を正面から相手取りたくはない」
 アレクシアはどうしても私の言わんとしていることがわからないのか、大げさに首を傾げてみせる。どうも悪い癖なのだ、結論から話せばいいものを、長々と話を引き伸ばしてしまう。……ただ、話を終わらせるのが惜しかっただけなのかもしれない、と気づいたのは、それこそ『|雨の塔《レイニータワー》』に入ってからだったけれど。
 とはいえ、話はいつかは必ず終わるもので、この話も終わりに近づいているのは間違いない。アレクシアは私を真っ直ぐに見据えて問いかけてくる。
「では、誰がオーブリー伯父さまを?」
「私が仮定する限り、これは不運な事故だよ。もしくは、オーブリー卿の身から出た錆」
「……どういう、ことだ?」
 私は椅子に座りなおす。呆然とした顔のアレクシアが私に合わせてすとんと椅子に腰を落とすのを確認して、口を開く。
「誰にも犯行が難しいなら、それは不運な事故でしか起こりえない。だから、偶然に、オーブリー卿の胸に短剣が刺さって、それが原因で亡くなったんだ」
 アレクシアは露骨に「納得できない」という顔をするし、それはそうだろうとも思う。今まで殺人事件だと思っていた話が急に現実味のない「運」などというものに左右される出来事だと言われたのだから。私も、アレクシアの話す前提さえなければ、殺人事件として話をでっち上げてもよかったのだ。
 けれど、アレクシアの話す前提と私の知識とを全て加味するならば、これは「不運な事故」と仮定するしかない。
「不運な事故というなら、その短剣はどうやってオーブリー伯父上に刺さったっていうんだ? まさか宙を飛んでなんてことはあるまいな」
「そこまで非現実的なことを言う気はないよ。その短剣は、アントニア嬢の手の中にあったのだと思っている」
 呆れ半分、苛立ち半分だったアレクシアの表情が一気に強張る。そう、これは「事故」だとは言ったけれど、アントニアが無関係だと言ったつもりはない。私の話はここからが本題なのだ。
「整理して話そうか。まず、事件前に既にアントニアは部屋にいたのだと思っている。……アレクシア、それ以前のアントニア嬢の様子におかしなところはなかったかな?」
 質問の形をしてはいるが、これはほとんど確認だ。私の知識から来る想定が正しいということの、確認。
「眠気が酷くて少し休む……、と言って席を立ったところまでは覚えている」
「だろうね」
「叔父さまには、心当たりがあるのか」
「おそらく、それはオーブリー卿の仕業だよ。オーブリー卿には、……そうだな、君には少々言いづらいのだけど、酔うと理性の箍が外れてしまうのか、厄介な癖のようなものがあってね」
 当時のことは積極的に思い出したくはなかったのだが、ことここに至ればそれが鍵になってくるのだから仕方ない。生々しい感覚をできる限り意識の外に追いやりながら言葉を選ぶ。
「おそらく表沙汰にはされていないだろうけれど、彼には君のような年頃の少年少女にちょっかいを出したくなる、というか……」
「それは、言葉通りというよりも、もっと醜悪な意味があると思えばいいだろうか?」
「そう思ってくれれば結構だよ」
 特に、アレクシアは幼い頃の私によく似ている。その目鼻立ちや、重たそうな外套から覗く華奢な指先や手首。当時の私がよっぽど少女じみていたという方が正しいのかもしれないが、ともあれ、私に似ている以上はオーブリー卿のお眼鏡に適ってしまったとしても何ら不思議ではない。
「君でなくアントニア嬢が選ばれた理由はわからないけれど、オーブリー卿は普段から自分が飲んでいる睡眠薬か何かをアントニアの飲み物に盛ったのだと思う」
 何故そう言えるかといえば、私にも似た経験があるからだ。更に、アントニアにとっては身内の、しかも気を許しているであろう伯父相手だ。特に警戒らしい警戒もしていなかったに違いない。
「そして、アントニア嬢は眠気を訴えて休憩室として開かれていた部屋に移動した。オーブリー卿も酔いを理由にして、それを追う形で部屋に向かった」
 かくして、部屋のソファに腰掛けていたアントニアは、追ってやってきたオーブリー卿を目にすることになる。
「アントニア嬢はオーブリー卿のただならない様子に気づいたのかもしれない。もしかすると、何か抵抗を試みたのかもしれないね。それで、オーブリー卿はアントニア嬢を脅すために、入り口近くの短剣を手に取ったのではないかな」
 だが、前後がわからなくなるくらいに酔っているオーブリー卿のことだ。短剣を闇雲に振り回してみるも、ソファの肘掛を傷つけた拍子に短剣が手から抜け落ちたのだと思っている。
「アントニア嬢は朦朧としながらも、異常な様子の伯父から身を守るために、落ちた短剣を手に取りながら部屋の奥へと逃げた」
「最初からアントニアが短剣を手にしていた可能性はないのか?」
「私も見ていたわけではないから、それは何とも言えないね。ただ、短剣が元々部屋の入り口近くにかけてあったことを考えると、アントニア嬢がわざわざ手に取るくらいなら、部屋の外に逃げて助けを求めるかなと思ってね。それができなかった以上、オーブリー卿が部屋の扉を塞ぐ形で立ちはだかっていた、と考えてもよいのではないかな」
 アレクシアは私の言葉に「なるほど」と唸って、再び聞く姿勢に入る。
「……そして、アントニア嬢は、オーブリー卿に短剣を構えてみせた」
 その時のことは、私にはもちろん想像することしかできなくて、彼女の恐慌もオーブリー卿の狂気もあくまで「仮定」でしかあり得ない。だから私はただ淡々と話を進めていく。
「短剣を持ったアントニア嬢を見ても、オーブリー卿は一笑に付したのではないかな。さっきも言ったとおり、ただでさえ朦朧としているアントニア嬢に人を殺せるわけがない。オーブリー卿からしたら尚更そう見えたに違いないのだから」
「でも、事実としてオーブリー伯父上は死んだ」
「そう。何故なら、オーブリー卿がそこで転んだからさ」
 アレクシアの口から、二度目となる「何だって?」の声が飛び出す。ただ、それは予測の範囲内であったから、私も苦笑を交えて返す。
「だから言っただろう、これはどこまでも不運な事故なんだって。現場は毛の長い絨毯だったのだろう? 足を取られて転ぶことはそう珍しいことじゃない。ましてや泥酔状態のオーブリー卿だ。アントニア嬢に気をとられていたならば、足元が疎かになってもおかしくはないよ」
 だから、転んで死んだ。ただ、ただ、それだけの話。
 けれど、アレクシアは「待ってくれ、叔父さま」と私の話を遮ってみせる。
「それは、叔父さまの先ほどの仮定と矛盾してやいないか」
「そうかな?」
「伯父上が転んだというのが事実だとしよう。それでも、アントニアに伯父上を刺し殺すことは難しいんじゃなかったのか?」
「私が言いたかったのは、アントニア嬢一人の力では不可能に近い、ということだよ。アントニア嬢は迫るオーブリー卿に向かって短剣を突き出した。そこに、偶然倒れこんだオーブリー卿の体重が加わる。そしてこれまた偶然、短剣の先端は心臓の位置を指していた。……そういう話なのではないか、と私は仮定しているのさ」
 その後はアレクシアも予想していた通りの展開だ。アントニアはそのまま気を失い、うつぶせのオーブリー卿の死体の下で倒れているアントニアがヒルダによって見つけられる。ヒルダはアントニアがオーブリー卿を刺し殺したのだと思い込み、おそらくは使用人と協力してアントニアをソファに寝かせ、ヒルダがオーブリー卿の死体から短剣を引き抜く。
 
 ――かくして、「オーブリー卿の死体の横に佇むヒルダが発見される」状況が完成する。