01:終点で君と出会う(3)

 アレクシアは私の答えに軽く息を吐き出して、改まった様子で指を組みなおす。
「では、聞いてもらおう。これは、我が家で起こった殺人事件の話なのだが」
「殺人事件?」
 いきなり物騒な単語が飛び出してきて、思わず鸚鵡返しにしてしまう。アレクシアは左右が非対称の笑みを浮かべて言う。
「そう、殺人事件さ。叔父さまの得意分野でもある」
「私は別に殺人が専門なわけではないよ。できない、とは言わないけれど」
 誰も彼も、殺す必要がなければ進んで人を殺すことはないだろう。私がそうであったように。そもそも人を殺すものでない、という当たり前の前提は、こと事件が起こってしまえば無意味に過ぎる。アレクシアの言葉を信じるならば、事実として既に殺人は行われているのだ。
「我が家、ということは、エピデンドラム家で起こった事件ということだろう? そんな大事件の最中に、私なんかと話をしていてもいいのかい?」
「何、もう事件はほとんど終わってはいるんだ。人が一人死に、犯人ははっきりしているのだからね」
 アレクシアはそう言ってみせたが、その表情は依然として歪んだ笑みのままだ。
 人が一人死に、犯人ははっきりしている。
 けれど、ただそれだけならば、わざわざ人に……、しかも今まで縁もゆかりもなかった、強いて言えば「血が繋がっているだけ」の私に知恵を求める理由にはなるまい。私は片目の視線でアレクシアに言葉の続きを促す。
「事件は終わっている。普通に考えればそうとしか思えない状況なのだ。わたしもそれで納得しようとした、が、どうにも引っかかる点がある。それを、叔父さまにも一緒に考えてみてもらいたいのだ」
「なるほど」
 私は推理小説に出てくる探偵ではないのだけれども。現実に起きたという殺人事件を前に、一体どれだけの知恵が出せるのかもわかったものではない。とはいえ、話を聞くと言った手前、仔細を聞く前からお手上げだと言うわけにもいくまい。
「なら、そうだね。まずはどういう事件なのかを聞かせてくれるかな。誰が、いつ、誰に、どのように殺されたのか。それを聞かずには何も判断できないからね」
 アレクシアはひとつ頷くと、よく通る声で話し始める。
「事件が起こったのは、つい先日のことだ。エピデンドラム家当主であるお爺さまの誕生日を祝う場として、エピデンドラムの者が一堂に会することとなった」
 エピデンドラム家当主。その言葉に、ふと脳裏に蘇るのは白髪に豊かな髭をたくわえた、見た目だけで言えば好々爺然とした老人の姿だった。見た目だけで言えば、というのは私の経験からくるごく個人的な感想である。
「そういえば、アンブローズ卿は相変わらず殺しても死ななさそうな雰囲気なのかな?」
「ああ、そうか、叔父さまは度々お爺さまとやりあっていたのだっけな。叔父さまの言うとおり殺しても死にそうにないし、実際、今回の事件に関わったのはお爺さまではない」
 ただ、流石に今回の事件に際しては随分と気落ちした風らしい、というのがアレクシアの談。正直、人が一人死んだ程度で気落ちする類の人種ではなかったと記憶しているのだが、果たしてそれは私の思い違いであっただろうか。
「その日、その場に集った人々について長々説明する気はない。あくまで事件に関わっているであろう人の話だけしよう。一番明白なのは『被害者』だが、これはわたしの伯父だ。叔父さまは、オーブリー伯父上のことはご存知だろうか」
「エピデンドラムの次期当主だろう。彼が殺されたのかい?」
 アレクシアの父方の伯父、オーブリー卿について、本質的なことは何も知らないと言っていいだろう。主に公の場で何度か言葉を交わしたことがあるくらいで、深く関わるようなことは決してなかったから。
「君は誰に対しても親しげに見えて、どこか突き放したようなところがある」というのは友の言葉だが、なるほど今になって考えると、その評はあながち間違いではなかったのかもしれない、と思う。
 ただ、そう、オーブリー卿と言われてまず思い出すのはあの姿かたちだ。目の前のちいさな少女と血が繋がっているとは思えない――何せアレクシアはどう見ても母親似である――、縦にも横にも大きな姿をしていて、並ぶと自分の貧相さを思い知らされたことをよく覚えている。
 そのオーブリー卿が「殺された」というのがすぐには想像できなくて、つい首を傾げてしまう。おそらく、アレクシアも私が何を考えているのかは察してくれたのだろう、「そう、『あの』伯父上が、だ」とわざわざ強調してくれる。
「伯父上の死因は短剣による刺殺。短剣は現場の部屋に飾られていたものが使用されたようだ。……そして、伯父上を殺した犯人は」
 ひとつ、呼吸をおいて。アレクシアはそっと、言葉を落とす。
「わたしの母だ」
 一瞬、何を言われたのかよくわからなかった。魂魄の内側で言葉を反芻してみて、やっと合点がいく。
「姉さんが?」
 アレクシアの母ということは、当然ながら私の姉だ。あまりにも当たり前のことを聞き返していると気づいたが、アレクシアはそんな私を笑うでもなく、こくりと頷いて返す。いつからだろう、その表情からは笑みが消えていて、ごくごく真剣に私を見据えている。
 思い出してみようとしても、どうしても姉の記憶はあやふやだ。
 ヒルダ、今はエピデンドラム。私が学生だった頃にはエピデンドラム家に嫁いでいったはずの姉。彼女についてはそれこそアンブローズ卿やオーブリー卿以上に未知の存在で、私自身の無関心さを今になって思い知らされる。
「しかし、何故姉さんが犯人だと? 彼女がそう言ったのかい?」
 私の言葉に、アレクシアはかぶりを振る。「言うまでもなかったのさ」、と。
「何せ、うつ伏せに倒れて死んでいる伯父上が発見された時、母は血まみれの短剣を手に、その場に立っていたのだからね」
 確かにそれは疑う疑わない以前の問題だ。頭の中に、倒れたオーブリー卿と、血まみれの短剣を手に幽鬼のように立ちつくすヒルダの姿を思い浮かべる。正直、姉の姿形ははっきりとは思い出せなかったから、私自身に近しい姿を勝手に想像してみるわけだが。
「母さまはそのまま捕まって、今は警察に拘留されている」
 アレクシアはそこまで言って、「ここまでで疑問はあるだろうか」と鉄格子越しに私を見上げる。よくよく考えればいくらでも問いは浮かぶのかもしれないが、何せ私は名探偵ではない。だから、真っ先に浮かんだ――それでいて、本筋には全く関係のない問いかけを投げかけることしかできなかった。
「母親が捕まったにしては、随分落ち着いているね」
「うむ、皆にもそう言われた」
 アレクシアは口元に微かな苦笑を浮かべてみせる。
「だが、わたしが慌てふためいて何が変わるというのだ? そんなことに時間を使うくらいなら、わたし自身がしたいことをするまで。それだけさ」
「なるほど、とても理性的な判断だね。それで、どうして私を頼ることにしたのかはさっぱりわからないけれど」
 本当に理性的ならば、まずそんなことを考えはしないだろうし、そもそも思いつきもしないだろうと思っている。私が誰からも「いないもの」とされて久しいことは、私を訪ねる人物が久しく友一人であったことからもはっきりしている。
 けれど、アレクシアはこう言うのだ。
「叔父さまの名前が出てきたからさ」
 ――と。
「私の?」
「ああ。母さまの殺人が家の中に知れ渡ったとき、真っ先に挙がったのは叔父さまの名前だったのさ。『狂人と同じ胎から産まれただけはある』『流れる血がそうさせたのさ』ってね」
 その言葉には、流石に笑いを堪えることができなかった。不謹慎だとは思うが、何よりも馬鹿馬鹿しい。
「おかしなことを言うね。そもそも、私にはエピデンドラム家の血も色濃く混ざっているというのに」
 私たちの血はとっくの昔に煮詰めに煮詰められている。「|女王の血《クイーンズブラッド》」を濃く維持するために身内での婚姻を繰り返し、閉ざされた輪の中でひとつの世界を確立してきた我々なのだ。
「それなら、姉さんだけでなく、エピデンドラムもが狂人の血を引いていると言っておかしくはないと思うのだけどね、私は」
 そう、今更他人のような顔をしたところで無駄というものだ。
 アレクシアは笑う私を咎めはしなかった。それどころか「ふむ」と満足げに頷いてすらみせるのだ。
「叔父さまもそう思うか。全く馬鹿馬鹿しい話だとわたしも思っている。ただ、かの『狂人』たる叔父さまが事件をどう考えるのか、には興味が湧いてね」
 私は自分が狂っているとは思っていない――どこかで足を踏み外してしまった自覚はあるけれど、それが「狂っている」かといえば「違う」といえる――が、外からそう呼ばれることには慣れているし、そう評されて当然だとも思っている。
「先刻も言ったとおり、わたしの話を聞き届けてくれる人もいないということもあってね。ここまで叔父さまの知恵を拝借しにきた、というわけさ」
 アレクシアの青い目が、「どうだろう」と私の片方だけの目を見据える。