010:戦乙女の憂鬱

 そこは、妙に広く、何もない部屋だった。大きな窓と、大きな机、大きな椅子、ただそれだけの部屋だった。そして、その椅子に座っているのは長い耳を持った銀髪の美女……連邦政府軍大佐シリウス・M・ヴァルキリーだった。彼女は手元にあるひどく写りの悪い写真が載った手配書を見ながら、何か物思いにふけっていた。
 その手配書には「この写真に写っている少女を捕らえることができたものには賞金を与える」といった内容のことが書いてあった。同時に「少女は生きたままの捕縛が条件だが、同行している男は殺害しても構わない」という、物騒な言葉も書かれていた。
 その時、部屋のドアがノックされた。ヴァルキリーはふと目を上げ、「入れ」と鋭く言った。ドアが開き、そこに立っていたのは一人の小柄な男だった。金色……いや、黄色と言った方が正しいような色をした髪を長く伸ばし、ヴァルキリーとは違って軍服ではなくかっちりとしたスーツに身を包んだ男である。
「……トゥール」
「あら、珍しいわね、シリウスがそんなに辛気臭い顔しているのって」
 トゥールと呼ばれた男は微笑みながら妙な女言葉で言った。ヴァルキリーは少しため息をつき、写真を机の上に置いた。
「すまないな、呼び出してしまって」
「構わないわよ。あたしはいつも暇だし。それで、何? 用って」
 トゥールはブルーのレンズをはめた眼鏡ごしにヴァルキリーを見た。ヴァルキリーはしばらく言いにくそうに紫苑の目をトゥールの眼鏡から逸らしていたが、意を決したようにトゥールを見据えた。
「地球に、行っていたそうだな」
 トゥールは一瞬笑みを消した。ヴァルキリーはその反応を見て、再び溜息をもらす。
「図星か」
「ええ、そうよ。レイ君が『青』を捕まえに行くって聞いたから、ちょっと様子を見たくなったの」
 観念し、ふざけて両手を挙げながら言うトゥールにヴァルキリーは苦笑した。
「それで、『青』には接触したのか?」
「ええ。ただ、どうなのかしら?」
「何がだ?」
 トゥールは机の上においてある手配書に手を伸ばしながら言った。
「あの人畜無害そうな子が本当に『青』なの?」
「無限色彩保持者は皆、人畜有害に見えるのか?」
 ヴァルキリーも少しふざけた口調で返す。だが、意外にもトゥールは少しだけ真剣な表情で手配書を見据えながら言う。
「別に、そう言いたいわけじゃあないけど、あいつは人畜無害とは到底言えなかったから」
 その言葉を聞いて、ヴァルキリーの表情も曇った。
「あいつは例外だ」
「そうよね、あいつは無限色彩保持者の中でも有名人だったもの。それだけ無駄に目立ってたってことなんだろうけど……やっぱり、無限色彩保持者って言うとどうしてもあいつが始めに思い浮かぶわ」
 トゥールは手配書から目を離し、ヴァルキリーを見た。そして、再び笑みを戻して片手に持った手配書をひらひらと振る。
「全然わからないわね。これ、誰が撮ったの?」
 話が逸れたことに心から安堵しつつ、ヴァルキリーは言う。
「レイが初めて『青』と接触したときに隊員の一人が撮ったものだ。上手くピントが合わせられなかったためにこんな写真になってしまったらしい……まあ、『青』が意図的に妨害したのかもしれんがな」
「ふうん、折角の美少女が台無しね」
 ふざけた口調のままトゥールは笑った。その様子を見たヴァルキリーもつられて笑ったが、すぐにまた真剣な表情に戻った。
「『青』についてはお前に深く問うつもりもない。私が聞きたいことは、『青』と同行している……」
「兎のことね」
 トゥールは笑顔こそそのままに見えたが、色眼鏡の下の目は笑みをかたどっていなかった。ヴァルキリーはトゥールから写真を受け取り、かろうじて人影だと分かる二つの影のうち、大きな影の方を指差して言う。いくらピントが外れていても、それが白髪の男だと判断するのは容易い。
「そう、レイも先の報告でこの白髪の男の事を『兎』と称していた。同時にかなり高位の紋章魔法士である、という報告も受けた。そして、トゥール・スティンガー。お前は私にこの男について何かを隠している」
 ヴァルキリーの声が急に低くなった。だが、トゥールはそれに臆することもなく言う。
「ええ、隠しているわよ。言ったら兎さんに怒られちゃうもの」
 しばらく、二人は黙り込んだ。明かりのついていない薄暗い部屋で、時計の針の音だけが流れていた。
 どのくらいそうしていただろう。ヴァルキリーは、諦めたように三度目の溜息をついた。
「……お前の口を割らせるのは無理か」
「よくわかってるじゃない。言っておくけど、あたしはシリウスのパートナーであっても部下じゃないもの。命令するわけにも行かないでしょう?」
「そうだったな。全く、食えない男だ」
 ヴァルキリーは苦笑混じりに言う。トゥールは「ふふっ」と笑いながらも声のトーンを落として言った。
「あたしは、シリウスに厄介ごとに巻き込まれてもらいたくないだけよ。あいつが、そう思っていたように」
 突然出てきた言葉に、意外そうな表情をするヴァルキリー。
「クレセントが?」
「ほら、あいつってばすっごく不器用じゃない。いつも問題を起こしてはアンタのこと困らせてたけど、本気でヤバイ事には自分から首突っ込まなかったわ。突っ込んでいても、それは絶対にアンタには悟らせなかった。そういう奴よ、クレスは」
「………」
「あたしが何も言わないのは兎に口止めされてるってのが第一だけど、あたしも、アンタにはあんまりヤバイ事に首突っ込んでもらいたくないの。気づいたら、きっとアンタも首を突っ込みたがるだろうしね。そういう女よ、アンタは。
 ……まあ、今回の場合はそうも言ってられないけど」
 トゥールの言葉は自嘲気味な響きも混じっていた。ヴァルキリーはそれに気づいていながらも、それには触れずにいた。
「正直、あたし、あいつが羨ましかったのよね。何だかんだ言って、アンタの一番のお気に入りだったし……あいつが死んでから、アンタも微妙に元気ないわ。レイ君ほどじゃあないけど」
「そうかも、しれないな」
 ヴァルキリーは低く、呟くように言った。トゥールは「悪いこと言っちゃったかしら?」とわざとおどけて明るく言った。
「まあ、私が暗くなってもあいつが生き返るわけでもない。それは、構わない話だ……しかしな、トゥール、お前の心遣いは感謝したいところだが、今はそうも言っていられない状況に立たされているのも分かっているだろう?」
「帝国が、『青』の獲得に向けて動き出したんでしょ?」
「よく知っているな。上層部しか知らない情報だぞ?」
「あたしの兄貴馬鹿だもの。少し鎌かけたらすぐに引っかかってくれたわ」
 トゥールは相変わらずのふざけた口調ながら不敵な笑みを浮かべた。ヴァルキリーは呆れた表情になる。
「スティンガー大佐を苛めるのはいいかげん止めたらどうだ?」
「嫌よ、楽しいんだもん。で、それはどうでもいいんだけど、帝国に『青』が渡ったら厄介よね。どうするの?」
「なるべく帝国より前に『青』を保護したいものだが……難しい問題だ。この『兎』とやらが帝国の連中をさばいてくれれば問題ないのだが」
 ヴァルキリーの言葉は軍人にあるまじき言葉であるように思える。だが、彼女は本気でそう思ってこの言葉を口にしていた。
 そして、それに気付いたトゥールはそっと聞いた。
「ねえ、シリウス?」
「何だ?」
「……アンタ、もしかして『青』を捕まえる気なんて毛頭ないんじゃない?」
「よく気付いたな、トゥール」
「わかるわよ、そういう言い方すれば。あ、だからレイ君に『青』の保護を依頼したの?」
「いや、レイに依頼したのは奴が『青』の保護に一番適している……無限色彩を良く知った人間だったからだ。だが、私が『青』の保護にはあまり良い感情を持っていないのも事実だな」
 飄々と言うヴァルキリーに、トゥールは頭を抱えてしまう。
「うーん……それじゃあ兎さんについてのことを言っても問題ないのかしら?」
「ほう、話す気になったのか?」
「やっぱりやめとく。でも、何で『青』に関することでは一番重要な地位にいるはずのアンタがそんなこと言うの?」
「私は、『青』……いや、トワと少し対話したことがあってな。彼女はひどく、独りでいることを恐れていた。あいつと同じようにな。だから、私は彼女に言ったのだよ。『ならば、一度外を見てみるか?』と。彼女は喜んで頷いた。だから、私はミラージュに頼んで彼女を『時計塔』から出した」
 その言葉を聞いて、トゥールが凍りついた。ヴァルキリーは「どうした?」と意にも介せず首をかしげた。少しの後、やっと立ち直ったらしいトゥールが半ば叫びとも取れる声を上げた。
「何よ、それ! 監視してなきゃいけないはずのアンタが逃がしてどうするの!」
「彼女は言ったよ。『地球に連れて行って欲しい。自分のやるべきことがそこにある』とね。私は、一瞬は悩んだよ。滅びの運命にある地球に彼女を出してよいのかと。だが、最終的には彼女が独りでいるのを見ているのは、あいつを見ているようで我慢ならなかった……それだけだ。何もかも個人的な感傷に過ぎないがな」
 淡々と自分の考えを述べるヴァルキリーに対し、トゥールは長く息をつく。
「そう……ええ、確かに、そうかもね。それじゃ、あたしはそろそろ失礼するわよ」
「ああ。すまないな、長々と話をしてしまって」
 ヴァルキリーも椅子から立ち上がり、言う。トゥールはヴァルキリーに背を向け、ドアの前に立った。そして、ふと何かを思い出したようにヴァルキリーの方は見ずに言った。
「そうそう、そんな戦乙女様に一つだけ、面白いヒントをあげるわ」
「何だ?」
 ヴァルキリーは首をかしげた。トゥールはドアに向かって笑いながら、一言だけ言った。
「兎は兎でもただの兎じゃないわ。あれは『白兎』、よ」
 
 
 トゥールが去り、静寂だけが支配する部屋の中、再び椅子に腰掛けたヴァルキリーは手配書を見ながら再び物思いにふけっていたが、やがて天を仰ぐようにして、ぽつりと呟いた。
 
 
「そうか……『白兎』、か」