009:昔話

 夜。ラビットとトワを乗せた車は、町の廃墟に停められていた。ラビットは人の気配がないか見て回ってみたが、誰もいない。ただ、冷たい静寂だけがそこを支配していた。
「今日はここに泊まろう。すまないな、きちんとした町に行けなくて」
 ラビットはトワに向かって言った。トワは「いいよ」と言って、微笑んだ。当然、町に行けない理由は町に行くとトワを追う軍の連中に見つかりやすいためだ。何せトワはともかくラビットの外見は目立つ。ぼさぼさに伸ばした白髪に分厚いサングラス、それに長い黒のコートという出で立ちから、すでに怪しいだろう。彼の場合、それに気付いていながら改善はしないのだが。
 ラビットは小さなランプをつけて錆び付いた鉄骨の上に腰掛け、トワに車の中から引っ張り出した水筒を渡した。トワは中の水を飲みながら、ラビットを見た。
 ラビットは廃墟を見ていた。しかし、何かを見ているというわけでもなさそうだった。……何か、考えているような、そんな姿勢だった。
「なあ、トワ」
 トワは「何?」と首をかしげた。ラビットはトワの方に向き直って言った。
「貴女は、私の事は何も聞かないのか?」
「え?」
「私は、貴女の事を無理やり聞き出すつもりはない。貴女も、話す気はないと言っていたしな。だが……何も話していないのは私も同じだ。なのに、貴女は私のことを疑いもしない」
 ラビットはそこまで一気に言って、少し息をついた。トワは大きな青い目を見開いて、ラビットを見た。ランプの明かりが、揺れる。
「聞いて、教えてくれる?」
「私が今、話せる範囲ならな」
 トワの問いに対するラビットの答えは少し曖昧なものだった。少し間を空けて、「自分で言っておいてなんだがな」と付け加えた。
「じゃあ、一つ聞くね」
 トワは言った。
「それは、生まれつきなの?」
「それ?」
「目とか、髪とか」
「ああ、そのことか。これは生まれつきではない。事故の後遺症だ。体内の色素を失ってな。まあ、これで困ったことは特にないが」
 ラビットは自嘲気味に言って、自分の長く伸びた前髪をつまんだ。その前髪も、透き通るような白だった。
「事故?」
「事故だ。そう……あれは事故だったと、思いたい」
 トワはラビットの言い方が少し気になった。だが、そのことについては聞かなかった。ラビットの表情が、少し暗いものだったから……きっと、聞いても答えてはくれないと、判断した。
「それじゃあ、もう一つ、聞かせて」
「構わん」
「ラビットは、怖くないの?」
 ラビットはその言葉を聞いて、首を傾げる。
「何が言いたいんだ?」
 トワは少し考えた末、ゆっくりと話し始めた。
「わたし、軍に追われてるでしょう? ラビットは、わたしと一緒にいる。だから、軍の人たちはラビットを狙うと思うの。わたしを、取り戻したいから」
「ああ」
「軍の人たち、きっとラビットを殺してもいいって考えてる。それに、ラビットは気付いてる。だから……怖くないの?」
 トワの言葉は拙いものだったが、言いたいことは十二分に伝わったようだ。ラビットはサングラスの下の目を伏せ、息を吐いた。
「……怖くないと言ったら嘘になる」
「なら、何でわたしを軍に渡そうと思わないの?」
 トワの少し震えた声。それを聞いて、ラビットは苦笑し、逆に問い返す。
「貴女は、軍に引き取られたいのか?」
 その言葉があまりにも意外で、トワは言葉を失い、首をゆっくり横に振る。
「何故貴女が軍に追われているのか、それに貴女が軍を嫌うのかは私には理解しかねる。だが……貴女がそう言っている以上は、私も貴女を全力で守ろうと、そう決めた。それだけだ」
「ラビット、前に『貴女を見捨てることもあるかもしれない』って言ってた」
「それも可能性としては捨てきれないというだけだ」
 ラビットは俯き、少し声のトーンを落とした。
「私は、昔守れなかったものがある」
 トワは水筒を置いて、ランプの光を見つめた。ラビットは淡々と、語る。
「守りたいと願うものすら守れない、酷く弱くて……臆病な人間だ。だから、私は『見捨てるかもしれない』と、そう言った」
「ラビット……」
 ラビットは、それきり俯いたまま黙り込んだ。トワはランプの明かりと、ラビットを交互に見た。暗い空が、二人を押しつぶすかのように広がっている、そうトワは感じた。しばらくの後、ラビットは再び口を開いた。
「すまない。妙な話をしてしまった。もう遅い……そろそろ寝よう」
 ラビットとトワは連れ立って車に乗った。トワは後ろの席に横たわり、ラビットは運転席にもたれかかる。そのまま、二人は眠りにつくかと思われた。
 しかし、トワは眠れなかった。『守れなかったものがある』というラビットの言葉が、頭から離れなかった。
「眠れないのか?」
 トワは少し、身体を起こした。目を開けると、ラビットが心配そうな表情でこちらを覗きこんでいた。トワは申し訳なさそうに頷く。ラビットは少し困った顔をした。
「それなら、少し長い話をしよう」
「長い話?」
「昔話だ。昔々、ある所に……という奴だ」
 今日のラビットは少し変だ、そうトワは思った。いつもは黙ってばかりのラビットが妙に話をしたがる。しかし、少しでも、ラビットの話を聞いていたい、そう思ってもいた。
「うん、聞かせて」
「だが、余計眠れなくなるかもしれないな。私はあまり面白い話はできない」
「いいよ、聞かせて」
 トワはそう言って目を閉じた。ラビットはサングラスを外し、赤い目でトワを見ながらゆっくりと話し始めた。
「昔々、ある所に一人の男がいた。その男は軍人だった。軍人としてはちょっとした問題人物だったが、能力的には申し分ない男だった。
 まあそれは置いておいて、そいつにはもっと問題のある相棒がいた。いろいろな意味でたちが悪い、そんな相棒だった。二人はいつも一緒だった。問題人物の掃き溜めみたいな部署に置かれていたのだが、彼らの事件や活躍は軍の中でも有名だった。いい意味でも、悪い意味でも、な」
 ラビットはトワを見た。トワは小さく頷いた。それを確認してから、言葉を続ける。
「だが、ある時、その男は突然、帝国との戦争に駆り出されることになってしまった。……貴女は帝国を知っているか?」
 トワは小さく、首を横に振った。
「帝国は、今のところ星団連邦政府とは対立関係にある巨大な国家組織だ。規模的には連邦に負けているが、軍事力などいくつかの部分では多少上回っているともいわれている。その帝国との戦争が起こった。戦争とは無関係な部署にいたはずのその男も、戦争の状況が悪化して、駆りだされざるを得なくなった」
 そこで、一度言葉を切り、息をつく。
「そうして、男とその相棒は戦争に出かけた。だが、戦場はひどかった。無関係な人間までもが次々と死んで行き……ついに、それを見ていた相棒が、狂ってしまった」
 ラビットはトワの表情が少し曇るのを確認し、この話を切り出したことを少し後悔したようだった。目線を漆黒の空に移し、しばらく黙っていた。だが、トワは言う。
「それで、相棒の人はどうなったの?」
 その言葉を聞いて、ラビットは再び話を始めた。
「相棒は、敵味方構わず殺していった。その区別もつかないくらい頭がおかしくなっていたんだが。相棒はたち悪いことにその男以上に強くてな。誰も、止められなかった」
 トワは瞼の裏にその光景が見えたような気がした。果てしなく続く白い空間にばら撒かれた何かの破片、赤い染み……その中に立つ、一人の人間を。
「しかし、男はその相棒を止めようとした。狂って何もかもが分からなくなっている相棒の前に立った。相棒はしばらく抵抗したが、突然我に返った。そして……」
 ラビットの言葉が途切れた。
 奇妙な沈黙が流れる。
「……男は、相棒に向かって『良かった』と言って笑った。そう、男は相棒の事を責めることも何もせず、ただ相棒が完全に狂気に支配されてないことを安心し、喜んだ。だが、助けられたはずの相棒は、男を拒絶するようになっていた。頑なに、な」
 ラビットは自嘲気味に口端を吊り上げた。まるで、自分が当事者であるかのように。
「男は相棒に拒絶される理由が分からなくて、戸惑った。男はすごく実直な奴で、何度も何度も相棒に聞いたんだ。『何故自分を遠ざける』と。しかし相棒は答えない。よく考えてみれば簡単なことだ。相棒は罪悪感で、男に顔を合わせられないと思っていたんだ」
「罪悪感?」
「そう。相棒は、暴走を止めようとした男を、傷つけてしまった。気が触れていたとはいえ、自分の相棒である男を傷つけたことは、大きな罪だと思っていた。
 なのに……男は何も無かったかのように明るく振舞う。それが、我慢ならなかった。
 もしこれが、わざわざ相棒の事を気遣って言っている言葉であって、実際は少しでも相棒を憎んでいるというのならば相棒も少しは気が楽だっただろうが、男はあまりに素直すぎた。相棒が無事であることを心から安心している……それだけだった。だから、自分の罪を一人で抱え込んでいる気がして、相棒は男を遠ざけるようになってしまった」
「……寂しいヒトだったんだね」
「そうだな。だから、男は余計に相棒の態度を理解できないと、悲しく思った。それで、二人はすれ違いを始めてしまった。今まで何となくは上手くやっていけていたのに、この事件がきっかけに、全てが崩れ始めてしまった」
 目を閉じ、息をつく。
「さて、この先の話だが、男はこの戦争で高い功績を残したおかげで昇進し、また『軍神』の称号にも手が届くほどの活躍を続けた。元からセンスのいい男だったから、そういう機会さえあればいくらでも強くなれた。そうして、いつしか恋人もできて、男は幸せに生きていくことになった」
 ラビットはそこまで話して、「これで終わりだ」と言った。トワはあまりに唐突過ぎる終わり方に首を傾げてしまった。
「男の人は、幸せになったの?」
「さあな。あくまで昔話に過ぎないから私はそこまでは知らない」
「相棒の人は、どうしたの?」
 トワの質問に、ラビットは苦い顔を浮かべた。
「死んだ」
「え……?」
「死んだよ。戦争に出てから数年後に、事故で死んだ」
 口端を上げてはいるが、ラビットの声はひどく暗かった。
「以上が私の知っている『昔話』だ。楽しくない話だろう? 私もそう思う。実はもっと長い話だが、かいつまんで話すとこんな感じだ」
「ねえ、ラビット」
「何だ?」
「……きっと、その男の人、幸せになってないよね」
 トワは微かに目を開けて言った。ラビットはしばらくトワを見ていたが、小さく、頷いた。
「そうだな」
「男の人、まだ生きてるの?」
「ああ。昔話と言っても大して昔の話ではないからな」
 ラビットはそう言って、椅子にもたれかかり目を閉じた。
「トワ、私は、この昔話の男のようになりたかったんだ。自分に素直に、実直に、そしてすごく優しい。時にあまりに直線的過ぎて人を傷つけることはあっても、それでも……不器用に真っ直ぐ歩み続ける。そう、ありたかった……」
 その声は、掠れていた。
 トワはラビットを見た。ラビットは目を手で覆って、ひどく、悲しげな表情を浮かべていた。見てはいけないものを見てしまった気がして、トワはすぐに目を閉じた。
「……優しいよ」
「え?」
「ラビット、優しいよ」
 トワは、小さな声で呟くように言った。ラビットは返す言葉をなくし、口を少しだけ開けるだけだった。トワは「おやすみ」と言って、そのまま眠りについてしまった。ラビットは「まいったな」と呟き、目を手で覆ったまま口端を歪めた。
 
 
「私が優しいなんて、そんな事を言わないでくれ……傷が、深くなるだけだ」