004:知る者
クロウ・ミラージュは古びたバイオリン片手に閑散とした部屋の真中に座っていた。目はいつものように虚ろで、どこを見ているのか定かではなかった。
部屋のドアがノックされる。
ミラージュは何も言わず、ただドアの方を見た。すると、相棒のレオン・フラットが入ってきた。少し不安げな表情をしている。
「クロウ、落ち着いたか?」
「………」
ミラージュは小さく頷いた。相変わらずの無表情だったが。
「いきなり通信を繋げたいって言った時には驚いたが……クロウ、何で君はあの少女を逃がしたんだ?」
「………」
ミラージュは問いには答えず沈黙だけを返した。ともすれば眠り込んでしまうような表情で。
「あの少女は政府にとっても重要な存在だろう? もし、君が逃がしたと知れれば、やっぱり」
「でも、友達だから」
ミラージュはフラットに向かって言った。今度はフラットが虚を突かれたように黙り込む。
「……トワ、悲しそう、いつも。だから、私」
ミラージュの漆黒の瞳が、少し揺れた。
「私……トワ、送った。トワ、地球が、いい……言った。会いたい……って」
「会いたい?」
「多分……『二番』に」
フラットは少し考え込むような仕草をした。それを見ながらミラージュは舌足らずな言葉で続ける。
「トワ……私、同じ。『二番』も」
「そうだな。あの人はクロウと同じ『白』だったな。でも、あの子は……」
「『青』。同じだけど、違う。全て……始まり。だからトワ、独り……誰とも、違う」
ミラージュは俯いた。
「わかる。……独りは本当に寂しいんだ。私はとてもよく知ってるから」
一瞬、ミラージュの放った言葉が鮮明になった。フラットはそんなミラージュを抱きしめた。ミラージュは手にしたバイオリンを思わず落としてしまった。
「……でも、もう、独りじゃないだろ?」
フラットはミラージュの耳にささやくように言った。ミラージュは目を見開いたまま硬直していた。
「トワも、『二番』に任せておけばきっと大丈夫だ。あの人も……独りがどれだけ辛いか、知ってる」
ミラージュは少し落ち着いてきたのか、フラットの赤い髪に触れながら、また元の舌足らずな口調に戻って言った。
「うん……そう、だね……ありがと、レオン」
「『青』が逃げ出した……その時、『黒』はどうしていたのだ?」
「気絶していました。『青』の力だと思います」
「なるほど。しかし、時計塔には『青』の力を抑える効果があったはずだが……」
「『青』の力が予想以上だったのだろう? ヴァルキリー大佐」
小さな部屋で、四人の軍人が何かを話し合っていた。
「予想以上、か……だが、『青』がいきなり此処を抜け出すような性質だとも思えないがな」
ヴァルキリーと呼ばれた女が言う。ヴァルキリーは美しい銀の髪をした女である。ただ、その耳は長く伸び、先が尖っていた。この特徴は、彼女が純血の太陽系圏人種(ソーラー・ヒューマン)ではないことを示していた。おそらく、妖霊系圏人(エルフィン)の血を濃く引いているのだろう。
「わからないぞ? 何しろ奴は『青』だ。何を考えているかなど我々の思うところではない」
ヴァルキリーの隣に座っていた大男がやたらとやかましい声を上げる。多分本人は意識していないのだろうが、ヴァルキリーは微かに眉を顰めた。
「お言葉だが、スティンガー大佐。『青』を捕まえるためだけに一隊を地球の某所に送り込んで、その場所の住民にまで迷惑をかけたという事例が報告されているが……?」
「私は『青』を保護しろと指示しただけだ。現地の指揮はセプターに任せたはずだがな」
大男、スティンガーは壁に寄りかかって何も発言しようとしない金髪の男に目を向けた。
「そうだったな? セプター大尉」
金髪の男、セプターはスティンガーを一瞬だけ見て、再び目線を彷徨わせるだけで、何も口にすることは無かった。
「セプター!」
「……はい、スティンガー大佐」
表情ひとつ変えず、機械的な淡々とした口調で答えるセプター。しかし、スティンガーにとってはそれで満足だったらしい。勝ち誇ったような表情でヴァルキリーに言う。
「どうだ? ヴァルキリー」
「ああ、そうらしいな」
ヴァルキリーは「下らない」という表情を隠しもせず適当に答え、四人目……青く髪を染めた青年に向かって言った。
「海原少尉。その後の『青』の様子はわかるか?」
「いえ、それが……」
「何だ? 『青』の発する精神信号は送られてきているはずだろう?」
が、海原はヴァルキリーやスティンガーの方を真っ直ぐ見つめようともせず、蚊の鳴くような声で言った。
「昨日の基準時間にして午後三時以降、信号が何かに妨害されて受信できなくなってしまったのです。地球に存在しているのは確かなのですが、それ以上は……」
「何だと!」
スティンガーの大声が海原を襲った。海原は「ひっ」と言って下を向く。ヴァルキリーはスティンガーをなだめながら、海原に向かって言う。
「『青』が放つ信号は特殊なものだ。それを妨害できるものなど、普通では存在しないと思うがな。ただ、海原少尉が嘘をついているとも思えない。スティンガー大佐、海原を責めるのはお門違いだ」
「ちっ」
スティンガーは舌打ちをする。それと同時に、今まで自ら何かを語ろうとしなかったセプターがゆっくりと口を開いた。
「ヴァルキリー大佐。『青』の保護、私に任せてもらえないだろうか?」
「何? セプター、貴様は確かに地球配属だが、貴様なぞに『青』は」
セプターに向かって何かを言おうとしたスティンガーは、ヴァルキリーの言葉に遮られた。
「セプター大尉。『青』の恐ろしさを知らない貴殿に、『青』を確保できるとは思わないが」
「ああ、そうかもしれない。最低階梯の『赤』でも『あのような惨事』を引き起こせるのだから、『青』がどれだけの力を秘めているのかなど、測れるはずもない」
そう言ったセプターの声は微かに激しさを込めていたが、表情に変化はない。
「ああ……貴殿はあの事件をよく知っているからな。クライウルフが死んだ、あの事件を」
「その名前はもう口にしないで欲しい。とにかく、私に『青』の保護を任せて欲しい」
ヴァルキリーはしばらく考え込んだ。そして、ゆっくりと口を開いた。
「わかった。レイ・セプター大尉、貴殿に『青』の保護を命ずる」
「ヴァルキリー!」
「黙れ、スティンガー大佐。『青』に対する主導権は私にあることを忘れたか?」
「ぐっ……」
怒りを顕にするスティンガー。だが、ヴァルキリーはセプターに言う。
「この作戦について、全ての決定権は貴殿に一任する。相手が未知の『青』であることを考慮し、作戦に他の部隊を使うことも許可する。いいな。詳しいことは後日、連絡しよう」
「……感謝します」
そう言って、セプターは部屋から出て行った。スティンガーはセプターの後姿を悔しそうに見ていた。
「どうした? スティンガー大佐」
ヴァルキリーが言った途端、スティンガーは何も言わないまま部屋を出て行った。海原が不審そうに眉をひそめる。
「大佐、どうしたのですか?」
「おそらく、『青』を保護するという名声を得る機会を逸して悔しいのだろうさ。それより、海原。今回の通信障害についてなのだが、一つだけ、心当たりがある」
海原は驚いたように目を見開く。ヴァルキリーはどこか自嘲ぎみな笑みを浮かべて言う。
「ただ、これは今やほとんどありえない話だがな」
「どういうことですか?」
「五年前、セプターの相棒だったクライウルフが死んだのはよく知っているだろう?」
いきなり何の話をし始めたのかと海原は首を傾げるが、構わずヴァルキリーは淡々と続ける。
「そして、クライウルフも『無限色彩』の持ち主だ」
「もしかして」
「『精神の支配者』とも称される奴の能力は、精神感応の上位能力とされる『精神操作』を越え『傍受妨害』に及ぶ。奴の力の大きさは、本人も無意識ながら精神波の伝達障害を引き起こす。これなら、『青』の精神波情報も伝わらなくなる可能性がある。……まあ、奴は『あの事件』で死んだわけだが、仮にこの能力を持っている人間が地球に居れば」
「……しかし、『無限色彩』の持ち主同士が出会うなど、危険すぎます」
「そうだな……クライウルフの時もそうだった」
ヴァルキリーはそこで黙り込んだ。海原もそんなヴァルキリーを見上げ、何を言えばいいか悩んでいるように見えた。
しばらくして、ヴァルキリーは重々しく口を開いた。
「今は、あの悲劇を繰り返さないことを、祈るばかりだな……」