序:名も無き我らの、夜の道行き
――『異界』。
ここではないいずこか、此岸に対する彼岸、この世から見たあの世、もしくは、いくつも存在し得るといわれる並行世界。それが「発見」されたのはそう最近のことではない。昔から「神隠し」と呼ばれる現象は存在しており、それが『異界』への扉をくぐる行為だということは一部の人間の間では常識とされていた。
だが、『異界』が我々を招くことはあれど、『異界』に対してこちらからアプローチする手段は長らく謎に包まれていた。
そのアプローチを、ごく限定的ながらも可能としたのが我々のプロジェクトだ。人間の意識をこの世界に近しい『異界』と接続し、その中に『潜航』する技術を手にした我々は、『異界』の探査を開始した。
我々、とは言っても私が率いるプロジェクトは極めて小規模なものだ。
我が国の上層部のごく一部は古くから『異界』の存在を知り、密かにその調査を進めていた。つまり、これも国が主導する公のプロジェクトなのだが、そもそも『異界』の存在を知っている者が一握りであるという現状、なおかつそれを研究する者は限りなく少ない。
その上、数年前に我々の師に当たる研究者がことごとく消えて――、いや、この話を始めると本題から逸れるからやめておこう。
色々な事情が重なり合った結果、現在この場に集っているのは、この業界では若手と言うべき研究員が私含めて五人。リーダーである私、同門である長い付き合いのサブリーダー、『潜航』に必要な装置を一手に引き受けるエンジニア、サンプルの管理とデータ取得を行うドクター、『潜航』実験の開始直前に加わった新人。
それから、我々の仕事ぶりを国の上役に報告する監査官が一人。
最後に、『異界』に実際に赴く異界潜航サンプルとして選ばれた死刑囚X。
たったそれだけ、と言われてしまえば、その通りと認めざるを得ない。とはいえ、彼らを率いている私は、胸を張って「少数精鋭である」と宣言しようと思う。
誰もが『異界』という未知の領域を解明しようという情熱を携え、それぞれが他に劣ることのない知識や技術を持ち合わせている。私一人では動きようもないプロジェクトを、ここまで続けてこられたのはひとえにメンバーの力によるものだ。
もはや、このメンバーでなければ立ち行かない、そういうことでもある。
かくして、私の目の前に広がるのは、見慣れた光景だ。寝台に横たわるXのバイタルを確認するドクターに、異界潜航装置にとりついてこれから赴く『異界』の先行調査結果について語り合うエンジニアと新人。
監査官と話をしていたサブリーダーがこちらを見て、
「始めるか?」
と声をかけてくる。
向けられるメンバーひとりひとりの視線を受け止めて、ひとつ、頷きを返し、宣言する。
「ええ、今日もお願いするわ。――『潜航』を、開始しましょう」