オルゴール / Minor Second - What a Wonderful World

 二三七〇年八月某日
 
 
「どうしても、探してもらいたいものがあるのです」
 
 生憎、俺は『捜し屋』でも『何でも屋』でもなく、ただの『運送屋』だ。
 それでも、お得意様が連れて来たその娘の言葉を、突っぱねる気は起きなかった。別に好みの女でも何でもなかったが、女の頼みを無碍に断るような奴と思われたくはない――というのは単なる建前で、ただ、娘のかんらん石を思わせる目に、消えた一人の女を重ねちまっただけなんだと思う。
 そんな事情を抱えて、俺は、境界地区にいた。
 《鳥の塔》が聳え立つ首都の、内周の中流住宅街と外周スラムの狭間に位置する地区は、何とも混沌とした町並みでそこにある。外周も相当に混沌とした様相を呈してはいるが、常に薄暗く澱んだ空気を湛える外周と違い、境界地区の混沌は、並び立つぎらぎら輝く明かりと、人の熱気によるものだ。
 境界地区の空気は嫌いじゃない。だが、少々煩すぎる。
 狭い駐車場に車を置いて、見張りを神楽に任せて外に出る。食い物と機械油とその他諸々が混ざりあった、胃が重たくなる臭いに辟易しつつ、一つひとつ、店のショーウィンドウを覗いていく。
 『運送屋』という職業上、道や店にはそれなりに詳しいが、それぞれの店が何を売ってるか、その詳細までは把握していない。何軒目で見つかるだろうか、と今から面倒くささが頭をもたげてくるのを感じていると、不意に、声をかけられた。
「あれ、ハヤトじゃん。久しぶり」
 顔をそちらに向ければ、人ごみの中でも鮮やかに映える金色の尻尾を揺らして、顔馴染みが立っていた。『新聞記者』アリシア・フェアフィールド。ただ、いつもの動きやすそうな素材の服ではなく、裾の広がったキュロットにストライプ模様の入ったタイツ、上は細かなレースの刺繍が入ったハーフコートと、仕事とは思えない服装をしている。
「何だ、今日は休暇なのか。折角久しぶりに会ったんだ、飯でも食うか? 奢ってやるよ」
 大きな運びの仕事を一つ片付けたばかりで、俺の財布は珍しくも潤っている。しかし、アリシアはつれないもんで、ぺろりと真っ赤な舌を出す。
「残念、今日はこれからシスルとデートなの」
「またあのハゲとかよ、変わり映えしねえな。たまには相棒を労ってやったらどうだ」
 俺は男の肩を持つ趣味は無いが、それでも、アリシアの相棒にだけは同情している。周囲から見りゃあからさまな好意をアリシアに寄せているにも関わらず、当のアリシアは全く気づいた様子もなく、それどころか他の男とデートときた。正直、少しは報われてもいいのではないか、と、アリシアに振り回されている姿を見ている身としては、しみじみ考えずにはいられない。
 が、俺の珍しくもありがたい忠告は、アリシアにはさっぱり届いていないようで、不思議そうに首を傾げるだけだった。
 駄目だこれは。諦めろ相棒くん、望みは薄すぎる。
「しかし、あのハゲのどこがいいんだ」
「一緒にいると面白いじゃん。ハヤトだって、あいつと仕事してればわかるでしょ?」
「まあ、面白い奴だってのは、認めるが」
 変な奴、と言った方が正しいとも思う。身体のほとんどを吹っ飛ばされて、全身を機械に換装してかろうじて生き延びたという背景があるはずなんだが、奴の飄々とした言動や音色からは、その重さが全く感じられない。致命的に何かが抜け落ちている気はするが、それを差し引いても、奴ほど「安定した」野郎を俺は今までに見たことがない。
 この国に生きる連中のほとんどは、どっかがいかれてるもんだ。それは、例えば下手くそな奏手が奏でるヴァイオリンの音色にも似た、耳障りなノイズとして俺の耳に届く。どいつもこいつも、質や頻度は違えど、必ずそういうノイズを奏でてるもんだ。
 もちろん、それは俺だって例外じゃない。俺自身の音色は聞こえないから、何がどう狂っちまってるかはわからねえが、もし、何もいかれてなきゃ、俺の指は今も自由に動いているだろうし、親父も首をくくることはなかっただろう。
 とにかく、そんな連中の中でも、奴は特別その手の雑音と縁の無い野郎だった。だからこそ、奴に護衛を任せる気にもなる。俺は男に興味は無いが、ただ一緒の空間にいるだけなら、神経に障るノイズを立てる女より、限りなく環境音に近い音色を奏でる野郎の方が数倍マシだ。
「でも、ハヤトが徒歩でこの辺うろついてるのは珍しいね。何かお探し?」
 思えば、この地区のことなら、俺よりアリシアの方がよっぽど詳しい。闇雲に探すより、まずはものの試しに聞いてみた方がいいかもしれない。
「オルゴールを探してんだよ」
「オルゴール? 女の子にプレゼントでもするの?」
 それだったらちょっとセンスを疑うよ、とアリシアは苦い顔をする。一体こいつは、俺を何だと思っているのか。女がんなもん貰って喜ぶわけないことくらい、重々承知している。女って生き物は、男よりも遥かに現実的かつ実際的なもんだ。
 ただ、それもシスルなら許されるかもしれない。奴なら、気障な台詞とすかした笑みをお供に、外套のポケットから小箱のオルゴールを取り出したとしても、何の違和感もない。本当にハゲの癖に生意気だなあいつ。
 想像上の禿頭をぎりぎり締め上げながらも、アリシアにはきちんと説明を加える。
「お得意さんからの依頼でね。境界地区で売ってるらしい、綺麗な小箱のオルゴールをご所望なのさ」
「ああ、それなら、イルマさんのお店に売ってるかも。こっちこっち」
 アリシアは、俺の言葉を聞くや否や、軽い足取りで俺の前に飛び出した。
「おい、ハゲとのデートはいいのかよ」
「まだ待ち合わせまでには時間があるから。店もすぐそこだしね」
 実際、アリシアの言う店は、道を二つ折れた先にあった。狭い道に少しだけ張り出した屋根を持つ、ちいさな玩具屋だ。錆びた看板には『イルマの玩具店』という文字が書かれている。
 ショーウィンドウを覗き込めば、俺もガキの頃に触った掌大の車や飛行機、旧時代の動物たちを模したぬいぐるみ、それに、片隅に両手で収まるくらいの、幻想的な装飾が施された、金属の箱があった。箱の横から螺子が飛び出しているところを見るに、これがオルゴールだろう。依頼人の話とも、合致している。
 アリシアは、紫苑の瞳でそのオルゴールを見つめて、不意に「懐かしいな」と言葉を落とした。
「昔ね、ショーウィンドウに張り付いて、このオルゴールを眺めてる女の子と知り合ったの」
「へえ」
 特に興味もないから、適当に相槌を打つ。アリシアも、別に俺が聞いていようがいまいが関係ないのだろう。まるで、オルゴールそのものに語りかけるように続けられた言葉を、しかし、次の瞬間には「興味ない」と切り捨てることができなかった。
「この辺じゃ見かけない女の子だったから、つい、声をかけちゃったんだ。あたしより二つか三つくらい年下だと思うんだけど、やせっぽちで、白い髪に白い肌をしてて。それと、目を患ってたのかな、片目に眼帯をしてたのがすごく印象に残ってる」
「……何だって?」
 白髪に眼帯、棒切れのような身体。刹那、脳裏に閃いたのは、褪せた写真だった。よく、誰かさんに頼まれて赴く孤児院に飾られた、かつてそこにいた娘の写真。塔の兵隊に連れられて、首都に向かったのだという一人の娘。
 アリシアは、オルゴール越しにその娘の姿を思い描いているのか、紫苑の瞳を細めて言った。
「辺境から、《歌姫》候補としてこの町に来たんだ、って言ってたんだけど、あれ以来、姿を見てないの」
 オーディションを境に消えた《歌姫》候補。北地区の爆発事故、と言われている少女たちと兵隊の衝突、そして死。かつて目の前の女から聞いた言葉が、次々に蘇る。それらのイメージに、姿だけしか知らない娘の背中が被さって、消える。
「その娘の、名前は聞いたのか?」
「スズラン、って名乗ってた。白い、ちいさな花の名前だって」
 ――間違いない。
 そいつは、第四十六隔壁の『蒲公英の庭』から首都を目指して旅立った、九条鈴蘭だ。
 まさか、アリシアの口からその名前を聞くことになるとは、思ってもみなかった。だが、それと同時に、ここで九条鈴蘭の名前を聞いたことに、さほど驚いていない自分にも気づく。何故かはわからないが、ここで九条鈴蘭の足跡を知ることも、必然だという思いがあった。
「なあ、アリシア」
「何?」
「お前が《歌姫》候補を追ってる理由は、塔や親父云々ってだけじゃなくて、その鈴蘭とかいう娘の行方を知るためでもあるんだな」
「実は、そう」
 アリシアは、振り向きもせずに頷いた。
「もし、あたしが調べていることが本当なら、あの子も、何か大きな事件に巻き込まれてるのかもしれない。そう思うと、知らないままでいるのが、怖いの」
 俺は、何も言えなかった。いくつかの推測はあったけれど、それらに確固たる証拠がない以上、アリシアには話すべきではなかったから。
 アリシアは、俺の沈黙をどう捉えたのだろう。俺の表情を窺うように、大きな目をこちらに向けて、それからほんの少しだけ、微笑んだ。
「あと……もし無事なら、もう一度、会いたい」
「会いたい?」
「すごく、変わった子だったの。地に足が着いてない雰囲気なんだけど、でも、すごくしっかりした受け答えをする子でさ。あたし、ここで色んな話を聞かせてもらったんだ。辺境のこと、ここまでの旅のこと。それに、この町が、どれだけ素敵かってこと」
「この町が?」
 俺の視界に入るのは、ごみごみとした境界地区の建物ばかり。それと、灰色の空に聳える《鳥の塔》か。こんなもの、俺にとっては見慣れたもんだ。確かに、塔を初めて下りた時には、塔のモニタから眺める景色とのあまりの違いと、激しい音色の応酬に圧倒されたもんだが、それを「素敵」と思ったことは一度もない。
「あの子にとっては、あたしにとっては当たり前のことも、『素敵』だったんだと思う。あたし、そう言われて、目から鱗が落ちた気分だった。その感覚は、あたしがすっかり忘れてて、本当は失っちゃいけなかったものなんだ、って思ったの」
 腕を広げて、晴れやかに笑う九条鈴蘭の姿を幻視する。ああ、きっと、妹とよく似た顔で笑ってたんだろう。
「だから、一度じゃない、何度でも、お話をしたいんだ。あの目が見つめる世界を、もっと知りたい」
 アリシアは、ショーウィンドウにそっと、額をつける。きっと、九条鈴蘭も同じように、額をつけてオルゴールを眺めていたのだろう。片方だけの、紫苑の瞳を煌かせて。
 紫苑。そう、九条鈴蘭も、アリシアと同じ、紫苑の瞳をしていたはずだ。
 そして、アリシアと同じ色の瞳は、この世界を映しながら、きっと別のものを見ていた。灰色に沈んだ、雑音だらけの世界なんかじゃない、鮮やかな色と無数の楽器が奏でるハーモニーに満ちた、夢のような世界を。
 それは、かつての俺が、どこかに置き忘れちまった世界に違いない。俺にだって、この世界が鮮やかに見えた頃が、あったはずなんだから。
 その世界を見つめ続けていられる九条鈴蘭ってやつは、とんでもない幸せ者なんだろう。果たして、そいつが、今も同じ世界を見ているかどうかは、わからないけれど。
 わからないけれど――。
「また、会えるといいな、その鈴蘭とやらに」
「珍しいね、ハヤトがそんなこと言うなんて。どうせ『俺には関係ない』って言うんだと思ってた」
「悪かったな。たまには、そういう気分の時もあんだよ」
 本当は、ここで、俺が知っていることを全部ぶちまけるべきだったのかもしれない。九条鈴蘭が、今も故郷に金を送っていること。時々、人づてに俺を使って絵本と手紙を届けさせていること。
 けれど、どうしても、それは言葉になってくれなかった。俺に依頼をしてくる奴が他言無用と言い置いていることもあるが、それ以上に、俺が下手なことを言って、アリシアがこれ以上危ない橋を渡るところは、見たくなかった。
 黙っていてもろくなことにはならないと、わかっていたとしても。
 その時、アリシアが細い腕に巻いた腕時計を見て、「あっ」と声を上げた。
「流石にこれ以上いると遅れちゃう」
「アイツ、時間にはうるさいからな」
「そうなんだよね、急がなきゃ。それじゃ、またね、ハヤト」
「ああ」
 せわしない奴だ、と思いながら、駆け足で離れていくアリシアの背中を見送る。
 そうして、店でオルゴールを買い求める。金は依頼人があらかじめ渡してくれていたから、問題なく買うことはできた。そうなればこの地区に用は無い。早足に、愛車の置いてある場所に戻る。
 やがて、愛車のずんぐりとした姿が見えてくる。それを確かめて、俺は、目を閉じて、今回の依頼人の姿を思い出す。白衣を身に纏ったちいさな研究員は、あの女と同じ目を、あの女と似ても似つかないおどおどとした態度でこちらに向けていた。
「どうして、オルゴールなんだ?」
「わたしの、大切な人が、教えてくれたのです」
 あまりにも、消えた《赤き天才》に似すぎている娘は、ぽつり、ぽつりと言葉を落とす。
「ショーウィンドウの中の、箱の形をしたオルゴールのお話でした。手に取ったわけでも、奏でたわけでもなく、ただ硝子越しに見ただけのお話です。しかし、あの人の中では、箱の中には、たくさんの素敵なものが詰まっていました」
 たくさんの、素敵なもの。
 もはや、依頼人の言っていた「あの人」が、九条鈴蘭であることを疑う気は起きなかった。九条鈴蘭の目を通せば、何もかもが「素敵」なものに変わってしまうんだろう。見たことのないオルゴールの中身も、俺に取っちゃ何の感慨もない、裾の町の風景も。
 そんな、幸せな九条鈴蘭は忽然と姿を消した。アリシアの前から。そして、依頼人の前から。
「あの人は、もう、どこにもいないから。せめて、あの人が好きだったものを、見てみたいのです」
 そう言った娘の目には、涙が宿っていた。
 俺は、何も言えなかった。言えるはずもなかった。
 その、もう、どこにもいない誰かさんのオルゴールが、今、俺の手の中にある。
 オルゴールを小脇に抱え、愛車の扉を開ける。いつも通りに、スピーカーから相棒の声が聞こえてくる。
『おかえりなさいませ、ハヤト』
「ただいま、神楽」
 扉を閉めて、膝の上にオルゴールを載せる。
 螺子を巻く。
 流れてくる音色に、耳を澄ませる。
 曲目は、こともあろうに『私のお気に入り』。九条鈴蘭が、好きだったという歌だ。
 俺は、九条鈴蘭を知らない。写真を通して姿かたちは知っているけれど、その棒っきれのような身体を抱いたこともなければ、どんな声で歌うのかも、どんな音色を奏でるのかも、知らない。
 当然、今、どこにいるのかも、知らない。
 知らなくていいのだ。俺は、誰かさんに頼まれるまま、荷物を運び続けていればいい。九条鈴蘭の行方なんて、俺が気にすることじゃない。
 だというのに、どうして、こうも落ち着かない気分になるのか。
 胸の中にじりじりと燻る行き場の無い感情を抱えたまま、ただ、螺子が切れるその瞬間を、待つ。