ロケット / Major Second - Peacemakers

 二三七〇年五月某日
 
 
 話が違うじゃないか。
 俺が第一に思ったのは、それだった。もしもの時のために――この「もしも」への備えを渋る奴が真っ先に死んでいくもんだ――連れて来た『何でも屋』シスルも、仏頂面ながら、明らかな非難の音色を俺に向けている。
 だから、俺だって話が違うと思ってるんだ。
 俺たち二人に向けられた、ざっと見た感じ十といくつかの銃口。それを構えているのは、黒い装束に全身を包んだ連中だ。顔まで布で隠しちまってるから、相手さんがどういう連中なのかはさっぱりわからない。ただ、俺たちに向けられている音は敵意の不協和音で、鼓膜が痛いったらない。
 ただ、ここまであからさまに音色を響かせているところをみるに、練度は低そうだ。塔の兵隊や代行者の連中は、標的を前にしても、ほとんどそれとわかる音色を感じさせないもんだ。もしかすると、俺みたいな能力者に対する訓練も積んでるのかもしれんが、その辺は俺の知ったことじゃない。
 結局、目の前にいる連中が、正規の訓練を受けていないとわかったところで、それで俺の命が助かる保障にはならない。
 俺は、横に立ち尽くしている護衛の脇腹を肘でつつき、小声で言う。
「なあ、シスル先生よ」
「何だ」
「これ、突破できそうか」
「アンタを見捨てれば確実なんだが」
「護衛の台詞じゃねえな。前金泥棒にもほどがあるぞ」
「アンタこそ、らしくないな。どうしてここまで接近されるまで気づかなかったんだ」
「某隊長の言葉を鵜呑みにしてたことは認めざるを得ない」
「奴には関わるなって私があれだけ……!」
 そう、今回に限ってはこのハゲは何一つ悪くない。こいつの忠告は、いつだって的確だ。的確であることを、俺が失念していた。
 シスルの言葉が正しければ、今回の依頼人が、まともな仕事を寄越してくるはずがないのだ。わざわざ「特に危険はないと思いますが、是非シスルさんを連れて行くことをお勧めします」と親切に教えてくれた辺りで疑うべきだった。
 後悔は常に先に立たないものだ。しかし、無事に帰れたら依頼人の後ろ頭を一発くらいどついたところで、きっと許されると思う。
 そんな、不毛な思考を広げかけたところで、黒い輪の後方から、鋭い野郎の声が飛んできた。
「塔の狗どもが、ここに何の用があって来た」
 俺は、害意が無いことを示すために両手を挙げる。それに合わせて、シスルも無表情に両手を開いて肩の上に挙げてみせた。全身凶器のこいつにしてみりゃ、手が空いていたところで支障ないんだろうが。
「俺は塔の人間じゃねえ、塔の認可を受けちゃいるが、個人の『運送屋』だ。今日はこの家の主、フランシス氏に届け物があって来た」
「届け物?」
 俺が答えると、黒尽くめたちの間に微かなざわめきが走った。俺の答えは、こいつらの想定外だったと見える。
 とはいえ、この程度ではもちろん信用なんざされるはずもなく。じわり、と包囲を狭めながら、先ほど問いを投げかけてきた野郎が言う。
「誰から、何を届けろと言われた」
「そいつは、守秘義務に抵触するから言えねえな」
 『運送屋』としちゃ、当然の答えだ。当然ではあるのだが、そりゃあ相手の不興を買いもするわけで、弛緩しかけていた空気が一瞬で引き締まり、耳に響く不協和音も俄然音を増す。
 しかし、ここで退いてちゃ『運送屋』として失格だ。横の『何でも屋』と違って、決して仕事に真面目な方でもないが、一応は業界人としての矜持も持ち合わせているつもりだ。
「とにかく、この家の主に会わせてくれよ。そうしてくれりゃ、疑いも晴れるはずだから」
「そんな話、信用できると思うか!」
 そりゃあ信用されるとは思ってないが、それにしたってこっちの話を聞こうともしない連中だ。そもそも、聞く気のある連中ならば、銃を向けてくることもないとは思うが。
 それにしても奇妙な構図だ。俺たちが今から向かおうとしているのは、どこからどう見てもごく普通の一軒家だし、届ける相手も民間人、という話だったが。どうにも、この連中の警戒心は半端じゃない。
「っつか、お前らは何なんだよ。この家にいる奴に、何か頼まれたの?」
「違う。我々は、フランシス隊長を塔から守るべくここにいる。あのお方は、我々の希望の象徴だ、今、ここで失われるわけにはいかない」
 さっぱり話が見えてこない。正直、通してもらえないんだったら、一旦出直すことも考えたほうがいいだろうか、と思い始めたその時、シスルは無表情ながらも大げさに肩を竦め、溜息混じりに言った。
「別に、我々はこの家の人間に危害を加えるつもりはないし、荷物さえ届けられればそれでいい。もし、あなた方が、我々を恐れているならば、武装解除でも監視でも、あなた方が満足するようにしたらどうだ。私はそれで一向に構わんよ」
「お前、それでいいのかよ」
「まあ、仮に武装が無くたって自分ひとりで逃げるくらいなら」
「だからお前護衛としてその姿勢どうなの」
「冗談だ」
 冗談なのはわかってるんだが、不安になるからやめてほしい。俺は、お前と違って、どこまでもか弱い一般成人男性なんだ。
 再び、連中の間にざわめきが走った。今度は、おそらくシスルの言葉を吟味しているのか、かなり長い間口々に何かを言い合っていた。その間も、銃口はこちらを向いているから、俺は両手を挙げて気をつけをした姿勢のまま、待たされる羽目になったのだが。
 やがて、連中の中から、やたら体格のいい、リーダーと思しき野郎が出てきて、頭巾を外した。深い皺の刻まれた、精悍な顔つきの野郎だ。だが、見たところ、酷くくたびれているようにも、見えた。
「お前たちの話はわかった。武装解除と監視を条件に、フランシス隊長に会わせよう」
 
 
 俺の荷物の届け先、フランシス氏が住む家は、中に入ったところでどこまでも普通の家だった。首都――裾の町基準で言えば、むしろ相当小ぢんまりとした部類だろう。そんな中、ノックもせず、鍵も閉まっていなかった扉を無造作に開けた連中のリーダーは、顎で俺たちを中に招いた。俺たちの背中には、黒尽くめが持つ銃が突きつけられている。そうまでしなくとも、俺は非力な『運送屋』だ、抵抗のしようもないんだが。
 シスルは、背中に押し付けられた銃口に臆した様子もなく、きょろきょろとせわしなくあたりを見渡して、それから先頭の男に向かって声をかけた。
「ここには、この家の主一人が住んでいるのか?」
「ああ」
「見た感じ、一人で住んでいるにしては、家財道具が多い。ただ、相当長い間使われていないようにも見える。家族はどうしたんだ?」
 リーダーは、シスルの言葉に面食らったようだった。俺もちょっと面食らった。この状況で、そんなところを観察してたのか、こいつは。
「……今は、フランシス隊長一人がこの家で暮らしている。だが、六年前までは、何もかもが違ったのだ」
「六年前? 一体何があったんだ?」
「まずは、隊長に会うことだ。お前たちが本当に何も知らないなら、それが、一つの答えになるはずだ」
 また、もったいぶったことを言うもんだ。はっきりしない野郎は嫌われるぞ。とはいえ、余計なことを言った瞬間に、心臓ぶち抜かれかねないから黙っているが。
 案内されたのは、家の中でも一番奥まった場所にある部屋だった。扉を潜ると、決して質のいいものではない寝台の上に、一人の男が座っている。年のころは四十がらみだろうか。白髪の混じった黒髪をぼさぼさに伸ばし、髭も伸び放題だ。何より、その目は、俺たちの方に向けられてはいたが、完全に焦点が合っていなかった。伝わってくるノイズも、ぼんやりとした、酷くピッチの狂った金管の音。正直、耳を塞いでしまいたいくらい、不愉快な音色だ。
「隊長、お客様です。隊長に、届け物があると」
 リーダーの男は、推定フランシス氏の横に歩み寄る。だが、推定フランシス氏は返事もせず、虚ろな瞳で壁と天井の境目辺りを眺めているだけ。
「……彼が、ミスター・フランシスか?」
 俺よりも先に、シスルが口を開いた。リーダーは重い表情で、頷いてみせた。
 まさか、荷物の受け取り手が、話の通じる状態でないとは思いもしなかった。相手が死んでて、荷物を依頼人につき返すことは決して少なくないが、こういう例は流石に初めてだ。
 リーダーは、俺に向き直り、苦々しい感情の音色を響かせつつ言った。
「見ての通り、隊長はまともに話が出来る状態ではない。だから、我々にも、隊長宛の荷物を見せてもらってもよいだろうか」
「ああ、この際仕方ねえな。荷物はこれだ」
 俺は、懐から包みを取り出す。掌に収まるくらいの、ほんのちいさな包みだ。それを、リーダーの男の、ごつい掌に載せてやる。
 俺たちを背後から監視している連中の音色が、緊張の気配を増した気がするが、俺はそれには気づかぬふりを通した。まだ、俺が、フランシス氏やリーダーにちょっかいを出すかどうか、気を張っているらしい。ご苦労なこって。
 だが、その中身は、本当に大したことのないものだ。おそらく、フランシス氏以外の全ての人間にとっては。
「……これは」
 封を開いたリーダーが、低い声を漏らす。その指先には、金色の細い鎖に丸く平べったいペンダントトップがぶら下げられた、安っぽい首飾りが引っ掛けられていた。シスルは、ひょいとリーダーの手元を覗き込み、「ほう」と息をついた。
「ロケットペンダントか」
「そうだ。中身を確認してくれよ」
 後半の言葉は、シスルではなく、リーダーに向けたものだ。リーダーは、小さく頷いて、ロケット部分をそっと開いた。そして、そこに嵌め込まれている写真を確かめて、深く溜息をついた。
「間違いない。これは、かつて、隊長が身に着けていたものだ。あの時に、なくなったものとばかり思っていたが……」
 写真に写っているのは、一人の女と、ちいさな子供。子供の顔は、ベッドの上で微動だにしない、フランシス氏とよく似ている。要するに、そういうことなんだろう。
 リーダーは、すぐにフランシス氏を振り返り、そして、虚空を映した黒い瞳の前に、ロケットの中の写真をかざす。
「隊長。隊長の大切な写真、戻ってきましたよ」
 その瞬間、ほんの一瞬のことだったが、俺の耳に届く音色が変わった。背筋をざわつかせる不愉快な音色がふっと途絶え、すっ、と深く息を吸い込むような気配を感じて。しかし、その次の瞬間には、再び耳を塞ぎたくなるような音が聴覚を支配した。
 今の感覚は何だったのだろう、と思ってフランシス氏を見れば、今までぴくりとも動かなかったフランシス氏の手がゆるりと伸ばされて、リーダーの手から首飾りを取り上げていた。
 ああ、と。だらしなく開いた口から、言葉にならない声が漏れる。
 そのまま、フランシス氏は、両手の上に写真の納まったロケットを載せた姿勢で、動かなくなった。ただ、虚のような目から、涙が零れて落ちていくのを、俺も、シスルも、その場にいた連中も、言葉も無く見つめていることしかできなかった。
 
 
 フランシス氏の部屋を辞した俺たちは、客間に通されていた。俺が本当の『運送屋』であることを認めてもらえたのか、銃は向けられていない。監視の連中も、この家を見張る作業に戻り、ここにはリーダーの男一人だけが残っていた。
 フランシス氏の世話もしている、というリーダーは、勝手知ったる他人の家とばかりに、客人用の茶器を出し、辺境名物の、ほとんど無味無臭のくせに薬っぽい後味だけが残る茶を振舞ってくれた。
 その間、ほとんど、言葉はなかった。そして今この瞬間もシスルとリーダー野郎の音色だけが響いていたが、不意に、俺たちの前に座ったリーダーが深く頭を下げ、この場の沈黙を破った。
「お前たちのことを、不当に疑ってすまなかった。どうしても、塔の連中にフランシス隊長を渡すわけにはいかないのだ」
「どうにも話が見えてこないが、あなた方は、随分塔の連中を毛嫌いしてるようだな。いや、この町全体が、か」
 シスルは、手元のティーカップを手探りしながら言う。
「普通、《鳥の塔》の認可を受けた『運送屋』といえば、すんなり通してもらえるものだ。だが、ここでは逆に《鳥の塔》の紋章をつけているだけで嫌な顔をされて、散々調べられる羽目になった」
「もちろん、ここだけ、ってわけじゃねえけどな。《鳥の塔》を毛嫌いする隔壁は、辺境には多い。だが、お前らみたいに、突然こっちの事情も聞かずに銃を向けてこられることは、そうそうねえよ。事情くらいは聞かせてもらってもいいか」
 別に、俺個人としちゃ、こいつらの事情はどうでもいい。ただ、この仕事をしていく上で、それぞれの隔壁の情報を収集することは重要だ。特に辺境の隔壁は、独自の文化や風習を持っていることも多い、それらの情報を同業者と共有していくためにも、ここで聞いておくことには意味がある。
 リーダーも、ここまできて黙っている気はなかったのだろう。しばし、口の前で指を組んで難しい顔をした後に、低い声で切り出した。
「この隔壁は、見ての通り、とても貧しい」
「まあ、辺境はどこでもこんな感じだけどな」
 人が、旧時代と変わらぬ生活ができるのは、それこそ《鳥の塔》のお膝元、中央隔壁――裾の町くらいのもんだ。辺境の隔壁は、《鳥の塔》の定期的な物資補給こそあれど、到底十分とは言えない。
 ただ、この事実を知っている人間は裾の町でもそう多くないし、逆に辺境の隔壁で暮らす連中も、それが当たり前になっちまっているから、疑問にすら思わない。格差を肌で感じられるのは、俺みたいな、わざわざ危険を冒して隔壁から隔壁を渡り歩く変人くらいだ。
「もちろん、この隔壁にも、定期的に《鳥の塔》から兵隊がやってきて、食糧や物資を供給する仕組みになっていた。
 だが、塔の兵隊たちは、その度に好き勝手に振舞った。働き盛りの者たちを不当な理由で徴集し、ほとんど賃金も出さずに働かせる。欲望のままに、ものを奪い、女を襲っては犯した。そんな連中を、我々は、黙って見ていることしかできなかった。
 だが、ある日、一人の勇気ある者が、声を上げた。このままではいけない、自分たちの力で、自分たちの町を守るのだ、と。
 その勇気ある者こそが、フランシス隊長だった。
 フランシス隊長は、兵隊たちの振る舞いに怒りを抱く者たちを率い、武器を集め、蜂起した。そして、塔の兵隊たちをこの隔壁から追い返すことに成功したのだ」
 その後、反乱の事実を知った《鳥の塔》は、何度か隔壁に兵隊を送ってきたが、フランシス氏はとんでもなく有能な指揮官で、そいつらをことごとく返り討ちにすることに成功したらしい。
「つまり、フランシス氏は、この町の英雄ってことか」
「ああ、そういうことだ。この町においては、まさしく神に等しい存在なのだ。我々を目覚めさせ、理不尽に抗う力を与えたもうた、神」
「だが、抗うだけでは、この隔壁を救うことにはなるまい。辺境は、《鳥の塔》からの援助がなければ生きてはいかれない。緩やかに飢えていくだけだ」
 シスルは、いつになく厳しい声で言った。確か、こいつも出身は辺境だとかいう話だから、色々と思うところがあるのかもしれない。
 リーダーは「もちろん、その通りだ」とシスルの言葉を認めた上で、話を続ける。
「《鳥の塔》からの物資を受け取る仕組みを欠いたこの町は、当然、そのままでいれば滅びるしかない。だが、塔の兵隊をそのまま受け入れてしまえば、また同じことの繰り返しだ。それを恐れた我々は、直接首都に赴き、町の現状や兵隊の暴虐非道な振る舞いを訴えることで、状況の打破を図った」
「馬鹿なこと考えるもんだな。そんなの、聞いてもらえるはずがねえだろ」
 鼻で笑っちまうような言葉だ。実際、笑っちまったかもしれない。だが、あくまでリーダーは渋い表情のまま、俯いた。
「そう、冷静に考えればその通りだ。だが、我々になら――否、フランシス隊長にならそれができると信じ込んでいた。不可能を可能にしてきたフランシス隊長ならば、この町を、本当の意味で救ってくれると。
 かくして、フランシス隊長率いる一隊が、首都に向かって旅立った。だが、《鳥の塔》は当然その動きに気づき、我々を塔に対する反逆者とみなして、第六遊撃部隊を差し向けてきたのだ」
「第六遊撃部隊……『殲滅部隊』、か」
 シスルが低い声で言った。リーダーは、重々しく頷いた。
 第六遊撃部隊。それが、主に《鳥の塔》への反逆者を一人残らず殲滅するために出撃する部隊であることは、裾の町の常識だ。奴らは、反逆者狩りをするだけでなく、これから《鳥の塔》に反逆しようとしている連中の心を折るという重要な役目を背負っている。故に、そのやり口は凄惨かつ徹底的だ。噂だけでも、背筋が冷たくなるほどに。
「私やここに集っている者は、町に残っていたために、命を繋ぐことになった。だが、首都に向かった者たちはことごとく殺された。フランシス隊長、一人を除いて。
 そして、遅れて到着した別働隊が、かろうじてフランシス隊長を助け出すことに成功し、隊長の口から、第六遊撃部隊による襲撃と本隊の壊滅を知らされた。
 隊長の話では、遊撃部隊といっても、そこに現れたのはたった一人の少年だった。《鳥の塔》の略式軍服を纏った、まだ十四、五くらいにしか見えない少年」
 なるほど。
 やっと、依頼人が、何故俺にこんな依頼をしたのか、飲みこめてきた。この仕事は、事情を知らなければ意味がない。特に、依頼人とこの長々とした物語の間に横たわる背景を。
「それが、『討伐者』ホリィ・ガーランド」
 ホリィ・ガーランド。
 《鳥の塔》がこの終末の国の環境に適応させるべく造り出した、フラスコの中の小人。ナイフ一本で形あるもの全てを殺す、史上最強と謳われた血まみれの兵隊。
 そして、今はもう、この世にはいないらしい、三番目の花冠だ。
「『討伐者』は、噂に違わず、ナイフ一本だけを手にしてそこにいた。そして、気づいた時には、その場にいた全員が息の根を止められていたそうだ。我々の持てる、最大の武装をしていたにも関わらず、だ」
 改めて話を聞いていると、化け物としか思えない。一応、遺伝子的にはどこまでも人間だ、と今回の依頼人は言っていたけれど、正直本当かどうか怪しい。九割人間やめている隣のハゲですら、そんな人間離れした戦い方はできないのだから。
「だが、『討伐者』は、隊長だけを見逃してその場を去った」
「……ホリィ・ガーランドが? そんなこと、ありえるのか」
 シスルが、訝しげに無い眉を寄せる。その問いももっともだ。ホリィ・ガーランドといえば、業界の人間なら知らない奴はいない殺戮兵器だが、その実態はどこまでも謎に包まれている。何故なら、奴と相見えた奴は、ことごとく殺されているからだ。
 そう、今までに、生き残りなんて、一人もいないはずなのだ。
「私も、耳を疑った。それでも、確かに隊長は生きていた。生きては、いたんだ」
「だが、心は殺されていた、か」
 シスルは、溜息交じりに、ちらりと扉を見た。扉の向こう、家の奥では、今もまだ家族の写った写真をじっと見つめ続けているフランシス氏がいるだろう。
「助けられた時点では、まだ話もできた。だからこそ、ガーランドに出会った事実も知ることが出来た。しかし、隊長は見えないガーランドの影に怯え続け、やがて完全に我を失ってしまった」
 かくして、カリスマであったフランシス氏を失ったこの隔壁は、《鳥の塔》への抵抗を続けることもできず、さりとて塔に許しを請うこともできないまま、ゆるやかな滅びに向かっているのだという。
「隊長の家族も、ある時期を境に失踪してしまった」
「夜逃げか」
「そうともいう」
 かっこつけた言い方したところで、夜逃げは夜逃げじゃねえか。
 だが、そうなっちまったのも、わからなくもない。ただでさえ困窮を極めてるってのに、イカれた旦那を抱えて生きていくなんて、普通の神経じゃ耐え切れない。しかも、その旦那が《鳥の塔》への反逆者とくれば、塔の報復だってあるかもしれん。そりゃあ、逃げたくもなるってもんだ。
 シスルは、唇に指をつけ、何かを考えていたようだったが、やがて呟くように言った。
「……しかし、あなた方は、フランシス氏を見捨てないのだな。家族にすら見限られたというのに」
「心を失ってはいるが、今でも隊長は我々の希望であり、この町の象徴なのだ。《鳥の塔》に抵抗し、『討伐者』ホリィ・ガーランドと出会って唯一生き残った者として、我々に希望を与え続けている。
 それに、我々は今もなお、諦め切れていないのだ。再び、フランシス隊長が、我々の前に立ち、未来を示す夢を見続けている」
 そいつは、とんでもなく虫のいい夢想だ。シスルも、同じようなことを考えてるんだろう、無言でリーダーを見ていた。
 リーダーも、俺たちがどんな風にその言葉を受け止めたかは、理解しているんだろう。自嘲じみた微笑をくたびれた面に浮かべて、溜息と共に言葉を落とした。
「そんな馬鹿げた夢があるからこそ、我々は、まだ生きていられるのだ」
 
 
 フランシス氏の家を出た後も、俺たちは無言だった。
 別に、無言であることに意味はない、と思う。俺もシスルも無口とは言わないが、必要のない時には黙っていることも多い。だが、この沈黙を気まずいと思っている自分を自覚してもいる。
 ちらりと、横目でシスルを窺うも、野郎は唇を閉ざしたまま、うんともすんとも言わない。一体、その鋼の頭蓋骨の下では、何を考えてるんだろうか。俺が聞き取れるのは、あくまで言葉にならない音色だけ、誰の頭ん中も正しく理解はできないのだ。
 その時。
「隼、あれを」
 不意に耳に入ったシスルの声に、ふと、そちらを見れば。
 ちょうど、かの家の窓が開いていて、そこからフランシス氏の姿が見えた。あれだけ警戒しておきながら、随分と無用心な、と思っていたが、ふと、気づいた。
 フランシス氏は、黒い瞳で、確かにこちらを「見て」いた。
 息を飲み、つい、その場に立ち止まってフランシス氏を見据える。穏やかな微笑を湛えた奴さんは、胸元に手を当て、深く、頭を下げた。その手には、金色の鎖が握られているのが、見えた。
 伝わってくる音は、柔らかく澄み渡ったホルンのD。狂った奴には到底奏でることもできない、理性によって統制された音色だった。
 ――あれは、演技だったのか。
 仲間たちを欺き、俺の耳すら欺いてみせたかつての反逆者は、俺たちに向かって手を振っている。
 シスルは、そんなフランシス氏を見据えて、ぽつりと呟いた。
「結局、彼は、静かに生きていたかっただけ、ということかもな」
「ああ……そうだな」
 きっと、塔に逆らったのも、連中を率いたのも、全ては自分が望む平穏のため。だが、周囲は平穏に生きることを許しちゃくれなかった。今更、引き返すことも出来なかった。急き立てられるままに、平穏から遠く離れた場所を駆け抜けることしか出来なかった。
「おそらく、『討伐者』との対峙をきっかけに、彼は、やっと立ち止まることができたんだろうな。望んだ形では、なかったのだろうが」
 ふ、と。シスルは息をつく。その横顔からは、感情を読み取ることはできなかった。奏でられる、普段と何一つ変わらぬように感じられる、Cの音色からも。
「一体、ミスター・フランシスは、彼とどんな言葉を交わしたんだろうな」
 
 
 ――あれから、数日。
「お疲れ様でした、フジミさん」
 ごっつい装置で目を隠し、ふわりと口元だけで微笑むのは、外周治安維持部隊隊長ヒース・ガーランド。
 環境適応型人造人間、ガーランド・ファミリーの第四番にして、『討伐者』ホリィ・ガーランドの双子の弟。
 そして、今回の依頼主だ。
 俺は、報酬を貰うために外周治安維持部隊の詰め所に足を運んだ。そして、今、胡散臭さ数割増しの微笑みと向き合っているわけだ。
 シスルはついてこなかった。あいつは、このお巡りさんが嫌いで嫌いで仕方ない。人に対して「嫌い」という言葉をほとんど使わない奴らしくもないことだ。だが、あいつも何だかんだで人間なんだな、と変なところで安心もする。
 そして、俺も、ちょっとこの野郎を嫌いになりかけているのは認める。
 今回の依頼を通して得た情報をざっと話して聞かせると、ガーランドは興味を惹かれたのか、食いつくように身を乗り出していた。この野郎は、あの機械仕掛けの変人と同じくらい、もしくはそれ以上に、好奇心に殺されるタイプかもしれん。
 フランシス氏の状態、隔壁と《鳥の塔》の間にあったいざこざ、そしてホリィ・ガーランドとの対峙。一通りを話し終えたところで、満足げに頷くガーランドに向かって本題を切り出す。
「なあ、ガーランド隊長。ついでにいくつか聞かせてくれ」
「どうぞ、私に答えられることであれば」
「あのロケット、どこで手に入れたんだ」
「ホリィから預かっていたんですよ。いつか、持ち主が見つかったら、返して欲しいと」
 ホリィ・ガーランドが。
 あれを手に入れる機会といえば、間違いなくフランシス氏以外の連中が全滅した、首都付近での戦いだろう。その時に、フランシス氏はホリィ・ガーランドに生かされた。その代わりに、ロケットのついた首飾りを失っていた、ということか。
「どうして、ホリィ・ガーランドは、持ち主を生かしたんだ? ホリィ・ガーランドといえば、必殺の仕事人じゃなかったのかよ」
「どうしてでしょうね。私はホリィではありませんので、彼の感情を知ることは難しい。彼がいなくなってしまった今は、尚更」
 ガーランドはうっすらと無精髭の生えた顎をさする。つくりものじみた形をしていても、普通に髭は伸びるんだよな、と妙なところで感心していると、ガーランドはふと口元に笑みを浮かべ。
「ただ、ホリィも、人間ですから」
 まるで、俺の心をそのまま読み取ったかのようなタイミングに、ぞくりとする。口元は朗らかに笑っているのに、張り詰めた弦の響きが、俺を不安にさせる。
「どんなに優れた殺戮兵器でも、血の通った、涙を流す、人間ですから。きっと、フランシス氏の姿に、何か思うことでもあったのでしょう」
「思うこと……なあ」
 俺は、ホリィ・ガーランドを知らない。
 顔も、声も、きっと目の前の野郎と同じだろうし、噂だけならいくらでも聞くけれど。俺はホリィ・ガーランドという男に出会ったことがないし、そいつが、どんな音色を奏でるのかなんて、知るはずもない。
 だから、そいつが、戦場で一人残されたフランシス氏と、フランシス氏が大切にしていた家族の写真を目にして、何を思うのかなんて、わかるはずもない。
『一体、ミスター・フランシスは、彼とどんな言葉を交わしたんだろうな』
 ふと、そう呟いたシスルの声が、頭の中に蘇る。
 だが、それを俺が知ることはない。知ることに意味もない。きっと。
 だから、この話はここで終わりにする。考えないようにすれば、三日くらいで、頭ん中からもほとんど痕跡も残さずに消え去ってくれるだろう。
 ただ、一つだけ。どうしても、聞いておきたかったことを、聞いておくことにする。
「最後に。どうして、シスルを連れてけって言ったんだ?」
 どうしてもわからなかった、最後の問いかけに対し。
 ヒース・ガーランドはとびきりの笑みを浮かべ、人差し指を口元に寄せて。
「それは、秘密です」
 
 当初の予定通り、一発殴っておくことにした。