新聞 / Perfect Fifth - The Truth Is NOT Tender

 二三六八年十一月某日
 
 
 ベッドの上で眠る女を置いて、宿の一室を後にした。
 夜明けを過ぎたばかりの裾の町は唸るような雑音に満ちていて、隔壁という檻に囚われた、巨大な獣を連想せずにはいられない。
 町の中心に屹立している白い塔――統治機関《鳥の塔》は昼夜テレヴィジョンから面白くもなんともない公営番組を垂れ流しているし、町に住む連中の中には、昼夜が完全に逆転している奴も多い。そもそも、太陽が灰交じりの雲に隠されて久しいこのご時勢、昼も夜もさほど関係ないんだろう。
 ちらちらと瞬く外周の街灯の下で、手をすり合わせて白い溜息を吐く。
 夜明けの空気の冷たさと、びりびり来る鼓膜の振動は、いつものことながらなかなかに堪える。決して、この煩さが嫌いというわけじゃあないが、この町から一歩も出ることなく暮らせるかと問われれば、ノーだ。
 一体昔の自分は、どうやってこの町で暮らしていたのだったか。遠い記憶を呼び起こそうとして、そのほとんどが思い出したくもない雑音だったことを思い出して、すぐに思考の扉を閉ざす。
 しかし、表に出てきたはよいが、行きつけの飯屋が開くまでには少し時間が必要だ。仕方なく、早朝から開いているドリンクスタンドで熱い珈琲を一杯買って、側のベンチに陣取ることにする。
 町が目覚めはじめる音を確かめながら、ろくに味のしない珈琲をちまちまとやる。塔で栽培された豆を使った珈琲を知っているだけに、町に出回る珈琲のほとんどが、どうにも味がしない割に薬くさく感じて仕方ない。
 果たして、「本物」を知ることが、人生においてどれほど有益なのか、未だにわからない。嘘と偽物に満ちたこの終末の国において、何が「本物」であるかを判断することが、まず至難ではあるんだが――。
 その時、ふと、傍らのごみ箱から飛び出しているものが意識に入る。
 新聞だ。安っぽい紙の一面に印字されているのは、ど派手な色使いの、誇張はなはだしい見出し文句。
『歌姫ヴィクトリア暗殺未遂、か?』
 そんなニュース、聞いたこともない。久々に見るヴィクの写真が気になって新聞を取り上げてみたが、書いてあったことといえば、根も葉もない噂を、それが植物であるとわかっていながら尾びれや背びれまで付け加えちまったような、とんでもなく下らない内容だった。
 ――でもまあ、そんなもんだろう。
 一面の端に踊るのは、丸を背にした兎のマークと意匠化された『顧兎』という漢字。月の兎、を意味するという名を冠した顧兎新聞といえば、その八割がデマとガセネタと作り話という、新聞の片隅にも置けない新聞だ。
 新聞というより新聞の体裁をとった娯楽読み物、と表現した方がよっぽど正しいんだが、外周の住人は重々それを承知した上で顧兎新聞の存在を受け入れているようだ。外周のあちこちで見られるこの新聞は、信憑性は横において、その話題の愉快さからごく一部の層の間で人気がある。どこぞの誰かさんも、確か、熱心な読者だったはずだ。
 とはいえ、新聞というものがそもそも好きではない俺がこの新聞を手に取ったことは、ほとんどない。あったとして、一度や二度あったかなかったか。情報を仕入れるだけならば愛車のラヂヲで十分だし、もっと深い情報が知りたいなら携帯端末に頼ればいい。端末は町の外では無力だが、町の中にいる限りはどんなことでも調べられる。その情報の真偽は、手元の新聞以上に怪しいもんだが。
 ざっと目を通してみるが、「幻の黄金ザリガニを追う」や「超常能力の発現と電子ジャーの関連性」といった、子供騙しでももっと面白いことは書けないのか、と眉を顰める見出しが並んでいる。電子ジャーはちょっと気にならなくもないが――と、自然と片隅に載せられた小さな記事が目に入る。
 太い黒文字で書かれた見出しはこうだ。
「三年前の悲劇が語る塔の闇」
 その下には「爆発事故は塔の隠蔽工作? 兵隊の目撃証言と消えた少女」という物騒な言葉まで続いている。
 外周を拠点とする新聞屋には、ろくに外周を顧みない塔を敵視し、あることないこと書き散らす連中も多い。塔の腹が黒いことは今更誰も否定しないが、黒い腹を抱えてい続けられているのには、それなりの理由がある。そうして、塔の黒い腹を維持するために、真実を掴んで消えていった新聞屋がいかばかりか、俺は知らない。知りたくもない。
 記事の内容自体は、さっきのヴィクの話題とそう変わらない、根も葉もない噂に彩られた空っぽの記事。こんなものでは、塔も一顧だにしないだろう。誰もがいつもの作り話だと笑う、そんな書き方だ。
 だが、その末尾に示された「フェアフィールド」の文字に、背筋がぞくりとする。
 フェアフィールド。その名を持つ記者を、俺は、嫌というほど知っていた。
 その時、手元に影が落ちたことに気づいて、顔を上げると。
「おはよ、ハヤト」
 ひらり、と手を振る、鮮やかな金髪をポニーテイルに結った一人の女。
 まさしく、手元の新聞に名前を躍らせていた、顧兎新聞社のアリシア・フェアフィールド記者ご本人だった。
 嫌な偶然だな、と思いながらも、手にしていた新聞を畳んで、アリシアの大きな目を見あげる。
「久しぶり、アリシア。相変わらず下らない記事書いてんな」
「『下らない』は、うちに限っては褒め言葉よ」
 にっと白い歯を見せて笑うアリシア。
「こんな朝っぱらから仕事か、精が出るな。今日は、赤毛の兄ちゃんは一緒じゃねえのか」
 俺の言葉に対して、アリシアは奴には珍しく、少しだけ笑い方を鈍いものに変えて肩を竦めた。
「ん……、まあね」
 ――嫌な偶然に加えて、嫌な予感がひしひしとする。
 アリシアは、ほとんどの場合相方の野郎と一緒に行動する。野郎には興味がねえから名前も覚えちゃいねえが、アリシアと同年代の、ぱっとしない赤毛の野郎だったはずだ。アリシアと組まされた奴はことごとく一ヶ月で新聞社を止めていったというが、あの野郎はそれなりに長くアリシアの相方、もっと正確に言うなら「制止役」を務めているようだ。
 この核弾頭をきっちり制止できているかどうかは、全く、別の話として。
 それでも、制止役抜きのアリシアを放置することが、どれだけの厄介事を呼ぶかは推して知るべしってやつだ。塔に忍び込もうとして危うく警備の兵隊に銃殺されかけたり、危ない情報を掴んじまって塔の代行者に追われたりなんて、こいつにとっちゃ日常茶飯事だ。近頃は少し鳴りを潜めていたようだが、そこは相方の功績と考えるべきだろう。こいつのトラブル量産体質が、そう簡単に治るとも思えない。
 その相方がいない今、どれだけの意味があるかはわからなかったが、念のため釘を刺しておく。
「お前、またやばいことに首を突っ込もうとしてんじゃねえだろうな」
 すると、アリシアは、父親譲りの紫苑の目をぱちぱち瞬かせ、それから視線を遠くに逃がした。おい、その露骨な誤魔化しやめろ。わざとだとは思うが、それにしたってきつい冗談だ。
「……死んだら、花くらいは贈ってやるよ」
 笑えない冗談に、笑えない冗談で返してやると、アリシアはぷうと頬を膨らませた。
「大丈夫だって、そうそう簡単に死んでなんかやらないんだから」
「まあ、今まであれだけやって生きてんだから、悪運は相当だろうな」
 でしょう、とでも言いたげに顔を覗き込んでくるアリシアを睨む。
「けど、次があるかどうかはわからねえ」
 微かな痛みを訴える、手袋を嵌めた指先を、合わせて。
「あのクソ野郎はともかく、お袋さんをあの世で泣かせるようなことは、すんなよ」
 アリシアは、一瞬虚をつかれたように目を丸くして、それからくしゃっと顔を歪めて「らしくないなあ、ハヤト」と言った。そりゃあ、俺だって「らしくねえな」と頭ん中で呟かずにはいられない。
 本当は、無関心でいればいい。俺が、ほとんどの奴にそうしているように。
 だが、アリシアだけは、俺にとってある意味で特別だった。
 アリシア・フェアフィールドは、三流娯楽新聞の『記者』であり、俺にとっては「幼馴染」だ。年は俺の方が相当上だから、そう表現するのはちょいと間違っているかもしれない。
 それでも、『運送屋』を始める以前の俺を知っていて、なおかつ、今も変わらず付き合っている、ほとんど唯一の相手だ。そして、女でありながら、俺が欠片も「そういう対象」として見られない唯一の相手でもある。
 俺はアリシアがそれこそ鼻垂らしてぴいぴい泣いてる頃から知ってるわけで、そんなガキを「女」として見られるわけがない。知る、ってのは得てしてそういうことだ。
 記憶の中じゃ未だガキのままだってのに、現実ではすっかり女らしい体つきになっちまったアリシアは、俺の横にすとんと腰掛けて、まだ半ば闇に包まれた空を見上げる。
「でも、そうだね。母さんのことを言われちゃうと、弱いなあ」
 アリシアの母親は、数年前に亡くなっている。元々体の弱い人だったが、ある日悪い風邪をこじらせて、そのまま息を引き取ったのだと聞く。
 葬儀には顔を出さなかったが、棺が埋められるところは、遠目に見ていた。その日は鈍色の雨が降っていて、黒い傘を片手に差したアリシアの横顔は、悲しんでいるというよりは、怒りを必死に堪えているように見えたことを、思い出す。
 そこに、アリシアの親父がいなかったことも。
「何となくわかってるんだ」
 一瞬、過去の記憶に引きずられかけていた俺の意識は、アリシアの声で現実に引き戻される。アリシアは、灰色の空に向かって細い腕を伸ばして、目を細める。
「あたし一人の力じゃ、あたしの望むものは、手に入らないって。それでも、どうしても、立ち止まっていられないの」
「望むものって?」
「単純だよ。『本当のこと』」
 本当のこと。
 確かに、答えとしては単純だ。
 だが、それを手に入れることがどれだけ難しいかは、息をしているだけでもわかる。何もかもが狂っちまった『魔法使い』バロック・スターゲイザーの《大人災》以来、この国を回しているのは統治機関《鳥の塔》で、その塔は、確かに生き残った人類を生かすことに尽力している。ただし、そこにどのような手段を用いているのか、そのほとんどが謎に包まれている。
 とはいえ、この国に生きる連中の大多数は「生きる」だけで精一杯で、本当のことが隠されていることを理解していても、追い求めようなんて気は起こさない。俺もそういう「大多数」のうちの一人だ。
 けれど、中には、塔が隠してきた真実を暴こうとする物好きもいる。この、『新聞記者』アリシア・フェアフィールドのように。
 アリシアの仰ぐ天には、いつだって、《鳥の塔》が聳え立っている。雲に隠れかけているその白い巨体を見据えて、アリシアは言葉を紡ぐ。
「あたしは、ただ、本当のことを解き明かしたいの。塔が、あたしたちに隠してることを」
「それは、新聞記者として、か?」
「もちろん、記者としての矜持もある。でも、ほとんどあたしの個人的な理由で、自己満足だってことくらい、ハヤトだってわかってるでしょ」
 俺は、その言葉に肯定も否定もできない。アリシアが塔に執着する理由は十分想像できるが、それをこいつの「自己満足」と言い切れるほど、俺はアリシアを理解しちゃいない。幼馴染で、どんな顔で笑って泣くのかも、どんな音を奏でるのかも知り尽くしていたって、心の奥底までを覗き見ることなんざ、俺にはできっこないんだ。
 だから、代わりに問いかける。
「それで、今は、何を追っかけてんだ? この記事を見る限り、随分古い話を掘り起こしてるみてえだが」
 手元の記事が言う『爆発事故』は既に三年前の話だ。記憶が正しければ、爆発だったか何だったかわからんが、確かに裾の町外周で事故が起き、かなりの人数が死んで話題になった、はずだ。
 結局、その事故が何であったのか、俺は記憶していない。話題にならなかったのか、俺が単に忘れているだけなのかは判然としないが。
 アリシアは、紫苑の瞳で俺をひたと見つめて、硬い表情で言った。
「ハヤトはさ、《歌姫》に興味ある?」
 一体、何を言われたのかと思った。《歌姫》。それは、この新聞の一面に載っている女のことであり、もしくは、テレヴィジョンやラヂオで能天気な歌を歌っている、まだ女にもなりきれてない小娘のことだ。《鳥の塔》が、灰色に沈むこの国に希望をもたらすために選び出した、キャンペーン・ガール。
 ただ、それと、この記事との間に何の関係があるというのか。
 首を傾げていると、アリシアはぽつり、ぽつりと言葉を落とし始めた。
「塔は、定期的に《歌姫》のオーディションを開催して、次代の《歌姫》を決めてる。でも、《歌姫》を決めるっていうのは、あくまで表向きの目的なんじゃないかって思ってる」
「……《歌姫》を選ぶ以外の目的なんて、考えもつかねえけど」
「オーディションの参加者が、何人も消えてる」
「何?」
「それと、裾の町では誰もがオーディションに参加する権利があるけれど、辺境から《歌姫》を目指して来る子たちは、事前に塔の兵隊に選ばれてやってくる。そして、ほとんどがオーディション後に行方を絶ってる」
「初耳だな」
「そりゃそうよ、塔が巧妙に隠してるもん。それに、名前も公表されないオーディション参加者のその後なんて、普通気にしないしね。特に、辺境から来た見ず知らずの人間の行方なんて、誰も考えない」
 だけど、と。アリシアは唇を噛む。
「確かに《歌姫》候補者は消えていて、そして、あの事件の時に突然現れた」
「あの事件、ってのが、外周の爆発事故か」
 アリシアは、俺の言葉に小さく頷いた。それと同時に、頭の上の方で結ばれた金色の髪が、尻尾みたいに揺れる。
「現場を目撃した人たちが、今になってやっと証言してくれたの。あの日、外周北地区で、見慣れない少女たちが目撃されていた。その目撃情報のいくつかは、オーディション以来姿が見られなかった少女と一致していたの。そして、その少女たちを追って、武装した塔の兵隊たちが現れた」
「武装? 相手はただの子供じゃねえのかよ」
「わからない。ただ、話を聞く限り、少女たちは武器らしいものを何一つ身につけてなかったみたい。それどころか、この寒さの中、病人が着るような白い薄手の服一枚だったって話も聞いてる。そんな少女たちが、兵隊に追われていたの」
 あまりに、現実離れした話だ。だが、アリシアの表情があまりにも真剣で、茶々を入れることも躊躇われる。その間にも、アリシアは訥々と言葉を紡いでいく。
「やがて、少女たちと兵隊が接触して――少女たちと兵隊たちは、どちらも壊滅的な被害を被った」
「兵隊たちも?」
「そう。何故かはわからないけど、辺り一面血の海で、少女の死体と兵隊の死体が折り重なっていた、らしいの。結局、その後すぐ塔から増員がきて、死体をきれいさっぱり片付けちゃって、表向きには『爆発事故』として発表した」
 塔が、黒い腹を必死に隠そうとしているのは、いつものことだ。これも、そうやって秘密裏に処理されてしまった事柄の一つ、なのだろう。
 だが、どうしてもわからない。わからないことだらけだ。
 俺の困惑を受け取ったか、アリシアは目を伏せて、膝の上で拳を作る。
「少女たちはどこに消えていたのか。何故、兵隊たちに追われていたのか。そして、どうやって兵隊と一緒に死んだのか。わからないことだらけだけど、いくつかわかることだってあるよ。
 塔が《歌姫》候補として集めた少女たちには、何か秘密が隠されていること。
 それが、武装した兵隊を使ってまで、隠したい秘密だっていうこと」
 ぎゅっ、と。膝の上に置かれた手が、握り締められる。ただでさえ白い指先が、更に力を篭めて白くなる。
「あたしは、どうしても、その秘密を知りたいの。次の《歌姫》オーディションに紛れ込めば、その一端を掴めるかもしれない、とも思ってるんだけど」
「おい」
 アリシアの言葉は、俄かに信じられるもんじゃない。ただ、その表情を見る限り、冗談を言っているようでもない。そして、その一端にでも事実が混じりこんでいるとすれば、アリシアが《歌姫》候補となれば、話の中の娘どもと同じ結末を辿るのではないか、という思いが生まれる。
 ――もし、そうなってしまったら、俺は。
「なーんて、ね」
 突然、明るい声で言って、アリシアはぱっと立ち上がって俺を振り向いた。紫苑の瞳は大きく見開かれていて、唇にはわざとらしい笑み。
「そんなことがあったら怖いなあ、って話! 本気にした?」
「……お前なあ、珍しく深刻そうにしてると思って、大人しく聞いてやったのに」
「あはは、だってあたしは『顧兎新聞社』の記者だよ? 八割はデマとガセネタと作り話に決まってるじゃない」
 そう、それはわかりきっている。俺の手の中にある新聞は、決して真実を語るわけじゃない。真実を語るツール、の形を借りた荒唐無稽な作り話。冗談のわかる連中による、冗談のわかる奴のための娯楽だ。
 だが。
「じゃあ、残りの二割はどうなんだ?」
 俺の言葉に、アリシアは答えなかった。ただ、父親によく似た目を伏せて、不敵に笑ってみせるだけで。
 やがて、空はゆっくりと明るくなりはじめ、俺の耳に届くノイズもにわかに音を増す。そんな中、アリシアは金色の尻尾を揺らして、白い塔を、灰色の町を背負うようにして立っていた。
「さってと、そろそろ時間だから行かなきゃ。今度はご飯でも奢ってね」
「ああ、考えておく。だから」
「死なないよ。あたしは、絶対に」
 きっぱりと、町を包むノイズにも負けない声が、響く。それと同時に、澄んだ高い音色が鼓膜を打つ。アリシアの紫苑の瞳は、俺を見ているようで、俺ではないどこかを見ている。
 そうだ、いつだって、こいつの瞳はこの町の奥深くに根を張り、それでいて高き場所から町を見下ろしている、一人の男の姿を映しこんでいる。
 そして、アリシアはひらりと手を振って、「またね」と言って駆けて行った。
 俺は、そんなアリシアに何の言葉も返せなかった。返せないまま、ただ一人、ベンチの上に取り残される。
 そして、
『おはようございます、エリザベスです! 今日も一日、頑張ってくださいね! それでは本日の一曲目、聞いてください――』
 テレヴィジョンの中から呼びかけてくる、《歌姫》リザの声だけが、目覚めゆく世界に響いていた。
 
 
 翌日。
 昨日とは別の女を置いて、安宿を後にして。
 ほとんど燃えつきかけた煙草を咥えてふらふら歩いていると、馴染みの露店の店主が声をかけてきた。
「よう、ハヤト。何か買ってけよ」
「ああ、そうだな。じゃ、いつものと、あとこいつを」
「どういう風の吹き回しだ?」
「たまには、事情通を気取りたくてな」
「言ってろ」
 いくらかの小銭と引き換えに、煙草を一箱と、新聞を受け取る。安っぽい紙に印字されている、ど派手な色使いの誇張はなはだしい見出し文句は、その八割がデマとガセネタと作り話。
 ――そうして、残りの二割に真実を託す。
 それが、あいつなりの戦い方なのだろう。そう思いながら、紙の表面を撫ぜて目を伏せる。
 アリシア・フェアフィールド。
 あいつの戦いはあいつ一人のもので、俺には何一つ関係ない。
 関係ない、けれど。
 澱んだ空気と重たい雑音を貫く、澄み切った音色を思い起こし、祈るように新聞を開く。