ポスター / Octave - Cinderella's Whereabouts

 二三六九年一月某日
 
 
 歌や音楽は、人が生きていくために必ずしも求められるものじゃないが、旧時代から、ある種の力があると考えられている。心に働きかけ、一定の指向性を与える力。ガキの心を落ち着かせて、眠らせるための子守唄もそうだし、兵隊の行軍につきものの、士気を高める行進曲だってそう。
 その力を恐れて、人に一部の歌を口ずさむことを禁じた時代も少なからずあるようだが、人が持って生まれた「歌う」能力や「奏でる」能力と、音楽を望む力には敵わないようで、人の口から歌を奪うのが難しい、ということを証明してきただけだ。
 当然、一度終わっちまったこの世界にも、音楽が満ちている。
 そうでもなきゃ、やってられないのかもしれない。
 がたごと揺れる愛車の旧型カーステレオからは、ヴァイオリンとピアノの音色と共に、高い女の歌声が流れている。すっかり聞き飽きてしまったメロディと、当代の《歌姫》リザ・カーシュの歌声。
 この歌声も、どこかで誰かが望んでいるものなんだろう。それが一体どこの誰なのか、俺には皆目検討もつかないが。
「……国の平穏と未来を担う《歌姫》募集、ねえ」
 助手席で、ポスターを広げたシスルがぽつりと呟く。ちらりと横を見やれば、毛穴もない青白い禿頭が否応無く目に入る。普段どおり、目元は分厚いミラーシェードで覆われてるから、どんないやらしい目でポスターに描かれたリザを見てるのかはわからん。ただ、その人形じみた薄い唇は、皮肉げに歪んだ笑みを浮かべていた。
「《鳥の塔》も、キャンペーン・ガール集めに熱心なもんだな」
「ま、おかげさまで俺らは今、仕事にありつけてんだ。文句は言えねえ」
 まあな、とシスルも軽く肩を竦める。機械仕掛けとは思えない細かすぎる動きに、開発者であるかの変人――《赤き天才》の、無駄ともいえる拘りが伺える。
 今回の俺の仕事は、今こいつが持っているポスターを、第十二隔壁に運ぶことだ。荷台には、これと同じポスターが山と積まれ、己の役目を果たす時を待っている。隔壁に届けば、役人の手でこれが町中に張り巡らされることだろう。
 そして、今年も《歌姫》を目指す怖いもの知らずの娘たちが、首都の中心に聳え立つ《鳥の塔》を目指すんだろう。
 統治機関たる《鳥の塔》が、《歌姫》を大々的に募集するようになったのが、正確にいつのことなのか俺は知らない。ただ、俺が物心ついた時には、《鳥の塔》の表面を覆うテレヴィジョンに、きらびやかな服を纏い、笑みを振りまいて歌う《歌姫》の姿が映し出されていた。
 《歌姫》の仕事はもちろん、歌を歌うことだ。世界の九割を破壊した《大人災》を経て、かろうじて生き残った連中もゆるやかな滅びの中にある。そんな、未来の見えない日々に、歌声を通して一抹の癒しを与えるべく《歌姫》がいる。
 ――というのが、統治機関《鳥の塔》の主張だ。
 果たして、《歌姫》の存在に何の意味があるのか、と首を傾げる人間も多い。特に《鳥の塔》からの援助が薄くなりがちな裾の町外周や辺境の住人は、《歌姫》にかける金があるならば、外周や辺境に対して食糧や物資を増やせと訴える。そりゃ当然の訴えだろう。
 それでも、《鳥の塔》は《歌姫》を求め続けている。
 年に一回、新たな《歌姫》を決めるオーディションを行っているが、そのオーディションには裾の町だけでなく、辺境からも多くの娘が参加する。それはそうだ、《歌姫》に選ばれた者は、その家族を含めて、生涯手厚い援助を受けることが出来るのだから。ポスターの言葉を信じるならば。
 要するに、《歌姫》とは、現代のシンデレラなんだろう――そんなことをほざいていたのも、今まさに横に座っている野郎だったはずだ。ハゲでグラサンで全身黒尽くめで飾り気も何もあったもんじゃない見かけのくせに、妙に気取った物言いをするのが、こいつの悪い癖だ。
 口元の笑みをおそらく意識的に深めて、シスルはポスターに描かれたリザの口元を、皮手袋の指先で撫ぜる。
「今年は、一体どんな子が《歌姫》に選ばれるんだろうな」
「俺はガキにゃ興味ねえからな。ヴィクみてえな美女なら、毎朝の目覚めも少しはよくなるかもしれねえけどさ」
 当然だが、《歌姫》になれる可能性は極めて低い。オーディションに参加した全員が塔のお眼鏡に適わないことすらある。
 それでも、毎度、《歌姫》オーディションが近くなると、裾の町は祭のような賑わいを見せる。事実、一種の祭ではあるんだが。どの娘が《歌姫》に選ばれるか、新聞や雑誌を眺めながら賭けに興じるのは、裾の町における一般市民の数少ない楽しみだ。もちろん、その中には俺も含まれているわけだが。
「しかし、可憐なシンデレラばかり集めて、塔の中ではどんな審査をしてるんだろうな」
 シスルは、白い顎を撫でて言う。
 確かに、《歌姫》オーディションの内容は常に謎に包まれている。《歌姫》候補となった娘たちから話を聞いても、曖昧な微笑が返ってくるばかりだ、とアリシアが唇を尖らせていたことを思い出す。情報を集めるのが仕事の新聞記者でさえそれなのだから、俺たちが、《歌姫》を選び出すまでの過程を知ることなんて、出来るはずもない。
 だが……。そうだ、アリシアの奴、こんなことも言っていたはずだ。
「そういや、《歌姫》オーディションに参加した娘の中には、そのまま行方知れずになる娘もいるらしいな。それも、一人じゃなくて、何人もさ」
 流石に雑学博士のシスル様でもそれは初耳だったのか、ポスターから顔を上げて、妙に凄みの効いた声で問いかけてくる。
「誰が、そんな話を?」
「アリシア。あいつ、《歌姫》にご執心みたいでな。《歌姫》候補に話を聞いたり、オーディションに潜入を企んでみたり、なかなか際どいこともやらかしてるみたいだぜ」
 とはいえ、『新聞記者』アリシア・フェアフィールドの興味は、《歌姫》そのものよりも、《歌姫》というキャンペーン・ガールを集める塔の思惑なんだろうが。あの娘の、塔への執着はちょいと極端だ。
 かのお嬢さんの極端さを、俺以上に知っている……というよりアリシアに巻き込まれる形で思い知っているシスルは、深々と溜息をついて言った。
「あれだけ忠告したのにまだ懲りないのか、あいつは」
「痛い目遭わねえと懲りない、っつか痛い目遭っても懲りないタイプだからな」
「厄介な奴だよ、本当に」
 シスルの言葉には、深い深い感慨が篭っていた。ほとんど毎度のごとく、塔の怖い人に追われるアリシアに助けを求められてんだから、その気持ちもわからんでもないが。
「そんな厄介な奴を、いちいち助けちまうお前もお前だろ」
「そりゃ、見たら放ってはおけないだろ。……お人好しだって言われちゃ、それまでだけどな」
 シスルは唇を尖らせて、俺から視線を逸らした。一応、お人好しだって自覚はあったのか。自覚があったところで、結局いつも同じことを繰り返しているのだから――。
「厄介な奴」
「知ってるよ、そのくらい」
 溜息交じりに言ったシスルは、再びポスターに目を戻したようだった。俺も、まだまだ見えない目的地の方角に視線を戻す。草一本生えない荒野を眺めていたところで、何も面白くないわけだが。
「で、あの核弾頭娘は、消えたお嬢さんたちの行方については、何て?」
「結局、塔の連中に邪魔されて調べられなかったらしいな。今度は、オーディションに潜入して探ってやる、って鼻息荒くしてたが」
「やれやれだな。もう私は知らんよ」
「お人好しのシスル様でも、オーディションまでついていってやる気はねえか」
「変装でもすりゃ紛れ込めるだろうが、体調べられたら一発退場どころか、塔の研究所に連行されかねないだろ。そんな危険を冒してまで助けてやる義理はないな」
 ただでさえ、《赤き天才》ウィニフレッド・ビアスが個人的に作成した完全人型全身義体ということで、塔には目をつけられているこいつだ。塔に捕まったら、言葉通りにバラされかねない身としては、そんな危険な真似、まず選択肢から外してしかるべきだろう。
「……つか、仮に潜り込む場合、女装でもすんのかお前は」
 一瞬、頭の中に、きらびやかなドレスを身に纏ったハゲでグラサンの野郎を思い浮かべてしまって、自分で自分の想像力にげんなりする。だが、シスルはあくまでしれっとした顔で「まあ、そうなるだろうな」と言い切った。
「募集要項には女性のみ、とは書いてないが、集まるのは女性ばかりだろ。悪目立ちしても意味がない」
「いつも悪目立ちしていることを、全力で棚に上げたなこのハゲ」
「普段目立ってれば目立ってるほど、目立つ特徴を隠せば気づかれにくいものさ。言っておくが、仕事上変装なんて日常茶飯事だし、私はその状態で何度かアンタとすれ違ったことあるぞ」
「マジか」
「マジだ」
 こいつが得意とする護衛の仕事において、変装は、クライアントに張り付くための有効な手段なんだろう。脳味噌以外のほぼ全身がつくりものなんだから、体型や顔を丸ごと変えちまうことだって、わけないのかもしれない。最低でも、髪を生やす程度は朝飯前だろう。こいつに体毛が無いのは、単に「手入れが面倒くさい」というだけの理由だったはずだから。仕事の真面目さ、正確さと裏腹に、自分のことに関してはとことんズボラなのが玉に瑕だ。
 それはそれとして、いくら姿を弄っても変えようのない「音」が聞こえてる俺にも存在を気づかせなかった辺りは、流石、依頼完遂率九割強を誇る『何でも屋』だ。外周の荒事を生業とする同業者や、塔の代行者からも一目置かれているだけはある。
「それでも、お前が女の格好してても、嬉しかねえな」
「何だ、綺麗なお姉さんだったら、中身は何でもいいんじゃなかったのか。動いて喋るだけのマネキンでも、女の形さえしてれば欲情できる、って言ってた気がするんだが」
 言ってしまった気がする。そして事実なのが悔しい。
「綺麗なおねーちゃんである限り、本能が求めちまうことは否定できん。そしてお前のようなハゲ野郎に欲情してしまったことに確実に後悔するだろう。故に全くもって嬉しくない」
「なるほど。難儀だな」
 シスルは、全く難儀とも思っていない風に呟いて青白い禿頭をつるりと撫でた。こいつにも、生物としての肉体を持っていた頃はあるはずなのだが、既にそれは記憶の彼方、二度と思い出すこともない事柄なのだろう。
 それはそれで、何とも味気ない人生だとは思うが。
「っつか、お前は、綺麗なおねーちゃんを前にして、むらむら来ることとかねえの?」
「それ、前にも聞いてなかったか」
「覚えてねえな」
「生殖機能がない以上生理的欲求もない、って話はしたと思うが。確かに、可愛い女の子が裸の上にパーカーを一枚だけ着てたりすれば、そそられるものはあるが」
「すげーマニアックだな」
「アンタにだけは言われたくない」
 俺は別にそんなマニアックな趣味はない。博愛主義者と言ってもさしつかえないだろう、もちろん美女に限るが。
 それで、取り留めのない話は一旦途絶えた。わざわざ、話題を探してまでこの沈黙を破る理由もないから、愛車を内部から制御している相棒の神楽に、声をかける。
「神楽、適当になんかかけてくれ」
『了解しました』
 スピーカーから心地よい女の声がして、その次に流れてきたのは、ピアノの音色だった。ドビュッシーの『月の光』。そして、この音の鳴らし方は、間違いなく《鳥の塔》お抱えのピアニスト、カノン・レオーニのもんだ。
 反射的に嫌な顔をする俺と対照的に、シスルが相好を崩す。
「ああ、私が前にリクエストしたのを、覚えていてくれたんだな」
「お前なあ、俺の相棒に勝手に仕込むんじゃねえよ」
「いいじゃないか。アンタは嫌いか、ドビュッシー」
「……別に、嫌いじゃあない」
 ならいいだろ、とシスルは軽く言って、助手席に身体を沈めた。そして、流れてくるピアノの音色に合わせて、鼻歌なんぞ歌い始めた。お前本当に護衛やる気あんのか、と言いたくなるが、これでやる時はきっちりやってくれる奴なだけに性質が悪い。
 何となく悔しかったから、鼻歌に耳をそばだてながら、ぼそぼそ呟いてやる。
「音が全体的に上ずってる、減点五」
「厳しいな。というか、何点満点から引いてんだそれ」
「さあな」
 適当に言ってんだから、基準なんてあるわけないだろう。シスルはちぇっと舌打ちをして、それきり鼻歌を歌うのはやめた。ざまあ見ろ。
 しばし、沈黙が流れた。窓の外に広がる荒野に何ら変化はなく、シスルも、手にしていたポスターを後部座席に戻した以外に特に動こうとはしなかった。いつの間に曲が変わっていたのか、スピーカーから流れ始めた『子供の領分』だけが、時間の経過を知らせてくれる。
 どのくらいの距離を走っただろう、メーターを見ればわかるだろうが、あえて確かめる気にもならないまま、ふと、頭の中に浮かんだ思いを言葉にする。
「なあ、シスル」
「何だ?」
「《歌姫》って、何のためにいるんだろうな」
「らしくないな、隼。アンタみたいな奴は、そもそも、何か疑問に感じることも面倒くさがると思ってたんだが」
「そう思われてる自覚はあるし、俺自身らしくねえなとは思う」
 このハゲの言うとおり、俺は俺自身に関係のあること以外には興味を抱かないし、抱いたところですぐに忘れる。それを、アリシアは『薄情』だと言ったし、そうなのかもしれない。
 そして、それでいいのだとも、思っている。
 だから、今の問いだって、疑問に思ったこと自体は珍しいが、きっと問うたこと自体忘れてしまうようなもんだ。そんなことを思いながら、シスルの答えを待つ。
 俺の下らない質問に対し、性根が生真面目な『何でも屋』は、指先を口元に持っていって、俺の質問への答えを探しているようだった。別に、んな真面目な答えは期待していないんだが、と思いかけたところで、薄い唇が開かれる。
「私個人の意見としては、夢を与えるため、だと思っている」
「夢ぇ?」
 普段からロマンチストじみた物言いだが、その実、本質的にはリアリストなこの男から、そんなあやふやな言葉が出てくるとは思わなかった。だが、シスルはいたって真面目な顔をして、ひらりと片手を振った。
「そう、夢さ。誰だってシンデレラになれるかもしれないという、夢」
「馬鹿馬鹿しいな」
「馬鹿馬鹿しいのは否定しないけどな。けれど、その馬鹿げた夢に、生きてゆく理由を見出す人間だって、確かにいるのさ」
「……シスル?」
 一瞬、シスルの声に、ちいさな刺が混ざった気がした。だが、それは、果たして刺だったのだろうか。それすらわからないままに、シスルの淡々とした言葉は続く。
「何が理由であっても、生きていられるのはいいことだ。私は、そう思っている」
 私は、に強勢を置いたところを見るに、それは本当にこいつの個人的な思いなんだろう。
 夢。夢か。俺の辞書からは、とっくのとうに抜け落ちちまった言葉。いや、最初からなかったのかもしれない。もはや、何もかも思い出せないが。
「そうして、無邪気な夢と希望を抱いたシンデレラ候補の中で、《歌姫》となれるのはたった一人。しかも、それ以外の娘は一人、また一人と消えていくわけか。何ともいえない話だな」
「そうだな」
 シスルは、それきり視線を窓の外に逃がした。また、沈黙が流れるかと思ったが。
「――シンデレラの行方は、誰も知らない」
 ぽつり、呟かれたシスルの声は、誰に向けられたものだったのか。
 終わらないシンデレラの夢を乗せて、俺たちは終わりゆく世界を行く。