人形 - The Five Black Keys 5
二三七〇年二月某日
「だーかーらー! 私はこの姿で満足しているんだ、余計なものはいらないって言ってるだろう!」
「余計なもの? 余計なことがあるか! 人間とは文化的な生物だ、生まれたままの姿で一生を過ごす動物と違い、己のかたちに手を加えていくことで、己をよりよく見せる術を身に着けた生物なのだ! 今からでも遅くない、お前も『人間』を主張するなら、少しは見た目を整えろ! 面倒くさいというなら、私が一から見繕ってやってもいいんだぞ」
「大きなお世話だ」
また始まったよ。
俺は、店の手伝いの女から茶のカップを受け取り、溜息をつく。
目の前では、この店の主人である『人形師』の爺と、馴染みの『何でも屋』シスルが、どこまでも低レベルな言い争いを繰り広げていた。
外周地区の外れに位置する『人形屋』は、呼び名の通り古今東西の人形を売る不気味な店だ。このご時勢に一体どんな需要があるのかは知らんが、何だかんだで俺が『運送屋』を始めた頃から潰れずに残っているところを見るに、一定の需要はあるらしい。
どちらかといえば、爺の「人よりも人らしい人形を作りたい」という欲望を突き詰める過程で副業となった、義肢や人工皮膚作りが金になっているのかもしれんが、その辺の詳細は知ったこっちゃない。
ずずり、と苦い茶をすすって、正直な感想を言葉にする。
「飽きねえなあ、あいつらも」
「ご主人様は、シスル様のことを特別気にかけていらっしゃいますから」
立ち並ぶ人形を背にした手伝いの女が、銀のトレイを手にしたまま、そっと囁いた。
「シスル様は、ウィニフレッド・ビアス博士の作品ではありますが、シスル様のかたちを提供したのはご主人様です。故に、ご主人様は、自分の作品でもあるシスル様が、己のかたちに頓着なさらないことを、深く憂いているようです」
「ふうん」
シスルの今の姿形が爺の作品だってのは、初耳だ。確かに《赤き天才》様がきちんと人の形をしたものを組み立てられるとは思わないから、納得はできる。あの女は、造形は不得手ではないが、ごてごてといらんものを付け加えちまう天才だ。シスルが立派に人の形を保っているところを見るに、爺が色々横から口を出していたんだろう。
まあ、そんなことは俺の興味の範疇外だ。俺は、この無数の人の形をしたものに監視されている空間から、一刻も早く離れたいんだ。だから、爺とシスルの言い争いが一瞬途絶えた隙をついて、声を投げかける。
「おいハゲ、俺たちは仕事に来てんだ。いい加減我に返れ」
「ちっ」
おい、こいつ露骨に舌打ちしたぞ。あれだけ言って、まだ言い足りないと見える。そんなに『人形師』の爺の言い分が気に食わないのか、お前は。
爺も「全く、頑固な餓鬼だ」とぶつぶつ言いながら、荷物を取りに奥に引っ込んでいった。それを確認して、シスルもふうと深く息をついてカウンターにもたれかかった。
そこに、手伝いの女がトレイの上の、二つ目のカップをシスルに渡す。既にカップから湯気は失われていて、どれだけの間不毛な口論をしていたのかが窺える。
「シスル様も、どうぞ」
「ああ、ありがとう」
シスルは、打って変わって、気障な態度で応じる。女はぺこりと螺子巻き人形のように頭を下げて、それから古めかしいメイド服の胸元にトレイを抱いて問うた。
「シスル様、一つ、ご質問してもよろしいでしょうか」
「何だい?」
「何故、そこまで、ご主人様の提案を固辞なされるのですか? 私はその理由に興味があります」
淡々と言う女の声からは、何の感情も感じられない。微かな、ほんの微かな音色は聞こえてくるが、その音が何なのかも判別しがたい。本当に興味を抱いているならば、もう少し、感情のざわめきが聞き取れてもよいものだが。
正直、この女も不気味なもんだ。いつからか爺の下で働いている娘だが、何をしていても眉一つ動かさない。それこそ、目の前の機械仕掛けの『何でも屋』より、よっぽど人形じみている。
俺は人形ってやつが嫌いだ。人でもないのに人の形をしているものを見ると、背中がぞわぞわして仕方ない。それと同じ感覚を、目の前の、人であるはずの女に抱いている。動いているシスルに対しては、そんな風に思ったこともないってのに。
対するシスルは、俺と同じような不快感は欠片も抱いちゃいないんだろう。気障ったらしい笑みを口元に浮かべ、手伝いの女に語りかける。
「私は人形の美しさも好きだ。けれど、それは、美しくあるべくして、つくられたからだと思っている」
シスルは、軽く首を動かして、視線を巡らせる。壁に所狭しと並べられた人形は、爺の趣味なんだろう、どいつもこいつも煌びやかな服を身に纏って、化粧まで施されている。
かたち、という意味では、シスルのあり方もこいつらと何一つ変わらない。人の手でつくられた、人のかたち。それでも。
「私のこの身体は、ただ『生きる』という目的のために存在している。だから、人として生きるための最低限が備わっていれば、それでいい。余計な装飾は必要ない。機能を伴わないかたちに、意味などないだろう?」
シスルの問いに、女は答えなかった。きっと、同じように問われたとすれば、俺も答えられなかったと思う。
『機能を伴わないかたちに意味などない』――それは、こいつの口癖みたいなもんだ。体毛も、性を規定する部位も、奴にとって『意味のない』部位を何もかも取っ払い、それでいてかろうじて人間のかたちをしているこいつの、持論だ。
ただ、俺は、シスルの持論を否定こそできないが、反発めいた感情を覚えずにはいられない。一体どこに反発しているのか、言葉にはならない。ただ、何となく、こいつの言い分は気に食わなかった。
女は、じっとシスルを硝子みたいな目で見つめ、微かな軋みを感じさせる声で、囁いた。
「シスル様は、かつてのあなたが、お嫌いなのですか?」
その言葉に、シスルは、虚を突かれたようだった。口をぽかんと開けて、立ち尽くす。
もちろん、俺だってそうだ。どうして、今のシスルの話をしていて、そこから俺も知らない過去のこいつの話になるのか。
だが、女は涼しい顔をしてそこに立っている。シスルは、しばし呆然と女を見ていたが、やがて、ほとんど息遣いのみで問うた。
「……どうして、そう思う?」
「わかりません。ただ、ある種のかたちを『意味などない』と定義なされるシスル様を見ていて、不意に、そう思ったのです」
差し出がましいことを申し上げてすみません、と付け加えて、女は深く頭を下げた。しばし、シスルはそんな女を見下ろしていた。口元に、手袋を嵌めた指をつけて、何かを考えているようだった。
そして、ぽつりと、言葉を落とした。
「……確かに」
よく通る声が、俺の耳にだけ響くCの音色と重なり合う。
「私は、過去の自分が好きではないのかもしれない。脆くて壊れやすくて、なのに余計なものばかり抱えて、どうして息をしているかもわからなかったから」
ただ、その「壊れやすさ」や「余計なもの」は、それはそれで、人間を定義するものに他ならない、のかもしれない。人間でなかったことのない俺には、それ以上思いを巡らせることもできなかったし、そんな面倒くさいこと考えてやる気もなかったが。
シスルは、俯いたままの女から、店の奥から一抱えほどの箱を持ってきた『人形師』の爺に視線を移して、そっと呟いた。
「難しいな、『人間らしさ』というものは」