1-15:実機訓練

 ――その、青空の色とよく似たセレスは、発着場に引っ張り出された『エアリエル』の、|正操縦士《プライマリ》席に収まっていた。
 
 元々俺と相棒が乗るために調整された座席は、当然セレスには大きすぎたのだが、いつの間にやら整備隊の手によって新しい小型のシートが用意されていた。足元も踏み台が取り付けられていて、準備は万全だった。実際にセレスを座らせてみれば、何もかもがぴったりだった。怖いくらいに。
 そんなセレスと俺の様子を見守っていた整備隊を代表して、ゴードンが俺にまとわりついてくる。ガキのまんま大きくなったようなそばかすの散った顔を、満面の笑みにして。
「どうっすか、ゲイル! 我ら整備隊の力作っすよ!」
「まあ、お前ら暇だもんな……」
「いやあ、そんなしみじみ言われると、悲しくなるっす……」
 俺の言葉に打って変わってしゅんとするゴードン。
 だって事実じゃねーか。お前、この前だって仕事サボってブルースと賭けチェスに励んでたじゃねーか。俺もちょくちょく仲間に混ざってる身だが。
「ゲイル」
 後ろからの声に振り向けば、ツナギ姿のおやっさんが怖い顔をして立っていた。と言っても、おやっさんの顔が怖いのはいつものことだ。
「よーう、おやっさん。悪いな、座席の改修なんて専門じゃねえだろ」
「お前の言うとおり暇だから構わんさ。それより、あの子が新しい|霧航士《ミストノート》か」
「ああ。見た目はガキだけど、腕は俺様が保証する。セレス」
 小動物じみた動きでシートの座り心地や同調器の位置を確認していたセレスが、俺の声に応えてぴょこんと座席から飛び降りてきた。全身を屈めて危なげなく着地し、てちてちといつもの足音を立てて俺の横に並ぶのを確認してから、おやっさんの方に向き直る。
「このしかめっ面のおっさんが、サードカーテン基地整備隊の隊長、ヴィクター・ロスだ。俺様はおやっさんって呼んでる」
「『エアリエル』操縦士、人工|霧航士《ミストノート》試作型セレスティアです。ロス隊長、よろしくお願いします」
「おう、よろしく」
 おやっさんがごつごつとした手を差し伸べると、セレスはその手をそっと握り返す。大きさも形も違いすぎて、同じ「手」というカテゴリでくくられるのが不思議なくらいだ。
 ついでなので、他の面々も改めて紹介しておく。ゴードンは一度会ってるからともかく、演算機関専門のレオと翅周りを得意とするジャック。あと、この場にはいないのが数人。
 俺の説明をふんふんと黙って聞いていたセレスだったが、俺が言葉を切ったところで、少しばかり眉を下げて言った。
「……すぐには、覚えられないかもしれません」
 そりゃそうだ。一発で何もかもを覚えられるのは、それこそ人間を半分辞めてたどこぞのオズ某くらいだ。
「名前を覚えんのは後でいいけど、『エアリエル』を飛ばせるのは整備隊がいてこそだってことは忘れんなよ。船を使う奴と、整えてくれる奴。お互い仲良くやるのが一番だ」
 セレスが『エアリエル』の『翼』であるように、『エアリエル』の『体』や『心臓』を管理する整備隊の連中も必要不可欠な存在なのだから……、とは思っているのだが。
「そんな風に言ってのけるのはお前さんだけだが」
「|霧航士《ミストノート》は|翅翼艇《エリトラ》ともども軍の秘密兵器っすからねえ。本当は、オレらみたいな下っ端が話しかけていいような存在でもねっすよ」
「あー、だから時計台では遠巻きにされてたんだな、俺様……」
 やっぱり|霧航士《ミストノート》ってだけで敬遠されちまうってことか。しかも俺に至っては「英雄」なんて厄介な肩書きつきだ、皆さんから見たら相当近寄りがたい存在に違いない。
「でも、皆さんはゲイルと仲がよいのですね」
 きょとんと首をかしげながらセレスが言うと、ゴードンが頭を掻きながら苦笑する。
「いやー、オレらだってめっちゃビビってたんすよ。何しろ、こんな辺境の基地に、誰もが知ってる青き翅の英雄殿っすよ? 粗相があったら首が飛ぶだけじゃ済まないって、みんな戦々恐々で」
 だが、俺はそんなこと知ったこっちゃないから、ぴりぴりした空気を感じながらも、普段通りに振舞った。それ以外の振舞い方を知らないとも言う。
「まさかゲイルの方から近づいてくるとは思っていなかったから、随分整備隊内でも物議を醸した」
「そんなに俺様、問題人物扱いだったのかよ!?」
「どう扱うべきか読めなかったからな。だが、まあ、数日で誰もがわかった」
 おやっさんは、重々しく頷いて、言った。
「ゲイルは阿呆なのだと」
「こらー!!」
 いや、俺様が阿呆であることを否定したいわけじゃない。そういうわけじゃないが、流石に言い方ってもんがあるだろ。あと「ほんと阿呆っすな」「ん」とか言い合ってるゴードンとレオ、お前ら後で鋼板抱かせて正座な、覚悟しとけよ。
「ゲイルが馬鹿で阿呆だったおかげで、今、我々は良好な関係を築けているわけだ」
「いやいや全くフォローになってないよなそれ」
 俺のツッコミを華麗にスルーしたおやっさんは、セレスの青い頭をぽんぽんと叩く。
「セレスと言ったな。お前さんの相棒は、優秀な教師ではないかもしれんが、善い男だ。見習うべきところはよく見習うといい」
 ……何か、やたらくすぐったいことを言われた気がする。
 俺は、おやっさんや他の連中が思うような人間じゃあない。もし俺が、誰もが認める善人なら、きっとこんな形で燻っちゃいない。
 とは、思うのだが。
「はい、わかります。ゲイルはいい人ですから」
 おやっさんを見上げるセレスが、何の衒いもなくそう言い切るのを聞いてしまうと、いても立ってもいられない。もはや我慢の限界で、ぼんやり頭をなでられているセレスの手を取る。
「ほら! さっさと飛ぶぞセレス!」
「はい」
 ああ、くそっ、やりづらいったらありゃしない。
 背後で整備隊の連中が爆笑している。どうやら俺は相当赤くなってるらしい。くそっ、顔に出やすいのは俺が一番よくわかってんだよ!
 俺に手を引かれるままてちてち歩くセレスは、大きな目を瞬いてこちらを見上げる。
「ゲイル、顔が赤いですが、熱でもありますか?」
「違う! 追い打ちかけんな!」
 とにかく、連中の視線を振り切るように、セレスの手を借りて副操縦席に乗り込み、扉を閉める。目を覆う長さの前髪を後ろにやって、ヘルメットを装着し、同調器を取り付けたところで、周囲を確認する。この副操縦席は実のところ今まで一度も使われたことが無かったから、シート上から内部を確認したことがなかったのだ。
 ――初代『エアリエル』は、霧の海の底に沈んでいるはずだから。
 とはいえ、俺の願いで初代と同じつくりになっているそこは、新しいという点以外は記憶のままだった。
 
『俺様がお前の翼になる。霧を裂いて、吹き払う翼に』
『そして、俺が霧の向こう側を見通す目に』
 
 遠い日の約束が脳裏をよぎる。もう、二度と果たされない約束が。
 ああ、本当に大馬鹿だよな。
 俺はもう飛べないってのに、まだ、あの日の青い夢を忘れられずにいる。
『……ゲイル? こちらは準備できましたが』
 そこに飛び込んでくる、青い声。一瞬浮かびかけたイメージを頭の片隅に押し込んで、シートの上で姿勢を正す。
『ああ、待たせて悪い』
 感覚系への同調を開始して、『エアリエル』の目で周囲の状況を確かめる。
 この一年間、俺に散々振り回されてきた整備隊は流石に慣れたもんで、既に格納庫側に退避している。船の内外で離陸に際しての懸念は特になし。
 確認と同時に、同じく『エアリエル』に潜っているセレスの魂魄に向けて、目には見えない腕を伸ばす。
 ここしばらく訓練を繰り返しているうちに、セレスの魂魄ははっきり「見える」ようになっていた。静かな水面に広がる青い波紋、その上に立つセレス自身のイメージ。どうも俺は昔から、相手の魂魄を視覚情報で捉える癖がある。この辺りは個人差があるから、セレスが俺の魂魄をどう捉えているのかはさっぱりわからんが。
 セレスの方からも伸ばされた手を、掴む。自分の中にセレスの意識が混ざりこむ、いつになっても慣れることのない感触を確かめながら、肉体を介さない「声」を出す。
「問題なしだ。いつでもどうぞ」
 船体の内側で響かせる魂魄の声。それに対し、セレスもまた、青い声で返す。
「了解。『エアリエル』離陸します」