1-07:つくりものと一緒

 俺を見上げるセレスの目はまるで鏡だ。俺と、俺が捨てたはずのものを映し出す鏡。そこに映る俺の姿を直視する勇気はなかった。できることといえば、話の矛先を逸らすことくらいだ。
「なら、セレスのことも教えてくれよ。俺はお前と違って事前知識がねーからさ」
「しかし、今のわたしに話せることはあまりありませんが」
「いいぜ、何でも。そもそも俺様、人工|霧航士《ミストノート》ってやつがどういうもんなのかよく知らねーから、その辺りから教えてくれよ」
 どういうもん、と。セレスは俺の言葉を鸚鵡返しにする。
「あっ、俺様馬鹿だから、難しい話はやめてくれよ」
「はい。人工|霧航士《ミストノート》の開発理由はゲイルが認識するとおりなので割愛しますが、従来の|霧航士《ミストノート》の脆弱性を克服するため、わたしは『肉体』を複数保持し、換装する仕組みになっています」
「肉体を……、換装?」
 はい、とセレスはいたって真面目な顔で頷く。もちろん冗談でも何でもないんだろうが、発言のあまりのトンデモ加減にくらくらする。
 いや、俺だって馬鹿とはいえ|霧航士《ミストノート》、セレスの言いたいことはわかるのだ。
 万物は物質界と魂魄界の双方に座を持ち、肉体が死ねば魂魄は消え、魂魄が消えれば肉体も死に至るわけで、それは|霧航士《ミストノート》だって例外じゃない。しかも、|霧航士《ミストノート》の場合は単純に撃ち落とされる他に、もう一つ、逃れようもない死が待っている。
「ゲイルはご存知とは思いますが、|霧航士《ミストノート》の主要な死亡原因は戦死でなく蒸発です」
 |魄霧《はくむ》汚染による蒸発。何も|霧航士《ミストノート》に限った現象じゃないが、ほとんど|霧航士《ミストノート》の職業病のようなもんだ。物質界に漂う|魄霧《はくむ》はそのままなら無害だが、|翅翼艇《エリトラ》は|魄霧《はくむ》を取り込んで圧縮して濃度を高めることで船体を浮かばせ、推進させ、兵装を運用する。この時、圧縮された|魄霧《はくむ》は万物を本来あるべき形――つまり|魄霧《はくむ》へと還そうとする力を持っている。これが|魄霧《はくむ》汚染であり、その最終段階が肉体の|魄霧《はくむ》化、つまり蒸発である。
 この汚染は|翅翼艇《エリトラ》との同調が深ければ深いほど加速する。俺なんかは蒸発ぎりぎりで踏みとどまっている段階だから、全力で『エアリエル』を飛ばすことは許されない。飛ばしたら確実に死ぬ。そういうことだ。
「この肉体には可能な限りの汚染防止処置が施されていますが、それでも仮に蒸発に至った際には魂魄を新たな肉体に結びつけることで、繰り返しの運用が可能になります」
「新たな肉体……、って、そんなもんが本当にあんのか」
「はい。現在魂魄と結びついている『わたし』を含め、試作体三体を当基地に輸送しました。常態では凍結保存されていますが、緊急時には即時の解凍が可能です。当然、換装する以上肉体的な経験は初期化されますが、魂魄は経験を保有しているので、魂魄依存である|翅翼艇《エリトラ》の操縦には支障ありません」
 つまり、蒸発しにくくて、蒸発したとしても「替え」があるってことか。反則だろ。
「とはいえ、長時間代替の肉体が用意されない場合は、魂魄も消失します。魂魄は単一なので運用の際は注意願います」
 理想としては蒸発する前に換装すること、とセレスは言うが、まあそんな上手くは行かないだろうな、ってのは想像つく。その辺りも含めて、未だ「実験段階」ってことなんだろうな。あの変態エロ魔女も、とんでもないことを考えるもんだ。だからこそ変態エロ魔女なんだが。
「既に肉体の換装実証実験は完了していますが、実際の運用場面における換装機会や手順に関するデータはこれからの実践で取得していくとのことです」
「そもそも、換装が必要な事態にならないといいけどな……」
 換装が必要ってことは、蒸発覚悟で飛ばなきゃならない瞬間があるってことで、それはつまり実戦だ。さっきは雑魚相手だったから軽く凌げたが、もはや自由に飛べない俺と、どんな飛び方するかも知らないちびっこがどれだけまともに戦えるかは正直怪しい。
 溜息を一つついたところで、見慣れた扉が目に入る。
「……っと、ついたぞ。ここが俺様の部屋だ」
 ドアの取っ手に手をかけることで、鍵が開く。どうも魂魄に特有の波長――「魂魄紋」を利用した認証鍵らしいが、開けって思えば開くもんだとしか知らない。これから同じ部屋を使う以上、後でセレスの魂魄紋も登録してもらわないとな。
 当のセレスは、無表情ながらも興味津々といった様子で部屋を覗き込み、
「あまり、ものは多くないのですね」
 ごくごく率直な感想を口にした。
 言いたいことはわかる。部屋にあるのは、作りつけのクローゼットと、安っぽい寝台。ぱっと目に入るのはそのくらいだ。服は普段脱ぎっぱなしで投げ捨ててあるのだが、つい最近纏めて洗ってクローゼットに放り込んだばかりだ。新入りにむさくるしいところを見せずに済んだ俺のタイミングのよさを盛大に褒めてやりたいところである。
 まあ、それに、ものが少ないのには理由もある。
「飛ぶのに、俺様自身と船以外のもんは必要ねえだろ」
「なるほど」
 セレスもその説明で納得したのか、こくりと頷いた。それから、持ってきていた小さなトランクを指す。
「ゲイル、わたしの荷物は、どこに置けばいいでしょうか」
「あー、そうだな。その辺、適当に置いとけばいいぞ。で、俺様ちょっと着替えるから、あっち向いとけ」
「なぜですか?」
 きょとん、と。セレスはすごくかわいい顔で首を傾げやがった。
「お前には、男の裸を眺める趣味があるのか?」
「今まで他者の肉体を観察する機会はなかったので、興味深く思います」
「いいか、見るんじゃねーぞ! 裸をまじまじ見るのはマナー違反です!」
 誰だこいつに常識教えたの、と思いかけて、かつていい笑顔で俺を解剖しようとした変態エロ魔女の顔が浮かんで諦めた。うん、親が親なら子も子ってことだ。
 ともあれ、セレスが俺の言葉を守ってくれていると信じて着替えを寝台に投げ、パイロットスーツを脱いで下着だけになる。普段ならこのまま昼寝に入るところだが、セレスの前ではそうもいかないので、きちんと服を着る。
 何とか見られる形になったところで、セレスの方を振り向いて――。
「おい」
「はい」
「どうして脱いでんだ」
 俺が着替えてる間、いつの間にかセレスの方もパイロットスーツを脱ぎ捨てていた。
 が、それはいいとして、どうして全裸なのか。
 真っ白い肌に、凹凸の極端に少ないすとんとした体つき。パイロットスーツ越しにも明らかではあったが、つややかに張った肌が改めてつくりものらしさを感じさせる、ってそうじゃないぞゲイル落ち着け。
 まじまじ見るのはマナー違反、って言ったのは俺なのに、思わず凝視しちまったじゃねーか。しかもセレスは恥ずかしがりも嫌がりもせず、不思議そうに目をぱちぱちさせている。
 これ、もしかして一つ一つ丁寧に指示しなければわからないやつなのか。|霧航士《ミストノート》の教育を任されて、どうして一般常識から入んなきゃならないのかはさっぱりわからんが。
「服を着なさい」
「パイロットスーツと下着以外は持っていません」
「荷物少なすぎだろ! じゃあせめて下着を着ろ!」
 素直に頷いてトランクから下着を引っ張り出すセレスを尻目に、せめて何か着られそうなものを、と思ったが、何しろ俺とセレスの体格はあまりにも違いすぎる。
「――服を仕入れるしかねーな、こりゃ」
 横目の端で見たセレスは、目をぱちくりさせるだけ。要するに、全く事態を理解していない。何だか、いつもとは違う意味で、頭が痛かった。