1-38:金色の死と無色の針

 言葉と同時に『エアリエル』の奥底にまで一息に潜る。「俺」と『エアリエル』の境界線が完全に消失し、魂魄全体が一つの感覚器官へと変質すると共に、全身が霧の海の只中に投げ出されるような感覚に陥る。
 頼りない体は、俺の意思を離れて真っ直ぐに飛び続ける。『エアリエル』の動きは全てセレスが握っているから、当然なのだが。
「――セレス」
 目指すは、
「『オベロン』の前に、飛び込め」
 金色の死が舞う空間だ。
 了解、という返事が聞こえるか聞こえないかのうちに、セレスは『エアリエル』を躍らせる。恐れもなく、迷いもなく。俺の意図を問いただすこともせず、仲間に爆破される可能性すら微塵も考えずに、霧裂く青の翅翼は、金色に染まった虚空へと飛び込んでいく。
 セレスの無鉄砲さには俺の方が冷や冷やするが、そんなセレスが「翼」だから、俺も無茶ができるってもんだ。
「要求」
 それ以上の言葉は要らない。俺の意図は『エアリエル』と『|虚空書庫《ノーウェア・アーカイブ》』に光の速さで伝わり、相互の情報を照らし合わせた上で、最適解を導き出す。
 その最適解を、視覚上に投影する。『エアリエル』がこれから進むべき道として、空間全てを埋め尽くしているように見える金色の鱗粉の「狭間」を、指し示す。
 セレスは驚くべき正確さで、俺の指示に従った。俺と視覚を共有し、海の上に記された道を駆け抜け、『オベロン』の真ん前に飛び込んで。
 俺は、
『オズワルド・フォーサイス……!』
 地を這うような声を上げるジェムに、向き合う。
『よう、邪魔して悪いな。だがロイドからの命令もある。今回ばかりは、一緒に飛ばせてもらうぜ』
 通信越しでもジェムの敵意がひしひしと伝わってくるが、この場での敵は俺じゃないってことを、どう理解してもらおうか。
 魂魄の八割で演算を続け、セレスに指示を送りながら、残りの二割でジェムへの気の利いた言葉を考える。とはいえ、一度俺に対して抱いた反発というか、失望はそう簡単には拭えないとも思っている。
 ――失望。そうだな、あれは失望だったのだと思う。
 俺はジェムの期待を裏切った、というか裏切っていた。俺がオズワルド・フォーサイスである、という事実より、俺がジェムへの裏切りを長らく隠していたことに、ジェムは怒っているし、失望してるんだろう。
 そんなジェムを説得するのは、俺にはまず無理だ。
 ジェムの協力を今、ここで、即座にとりつけることは、いっそ潔く諦める。ジェムだって馬鹿じゃない、俺に協力しなくとも、すべきことはわかっているはずだから。
 ただ、一つだけ。
『どうして、ここに来た』
 ジェムの問いは、隠し切れない棘に満ちていた。というか、そもそも隠す気もないのだろう。後方のブルースが『おいおい』と取り成そうとするが、それは俺の方で制する。
 俺に、ジェムの説得は無理だ。無理だが、たった一つ、言っておかなきゃならないことがあったから。
 どうして、俺が今、ここに来たのか。その理由だけは。
『決まってる。俺が、|霧航士《ミストノート》だからだ』
『……っ、|霧航士《ミストノート》の座を汚したお前が! |霧航士《ミストノート》を語るなんて』
『そんなお綺麗なもんじゃねーよ、|霧航士《ミストノート》なんて。どいつもこいつも、面倒くさいろくでなしばかりだ』
 もちろん、俺、オズワルド・フォーサイスも含めて。
『女王国のためと叫んで敵陣の只中で自爆した奴。手に余るほどの報酬を求めた挙句にその全てを残して蒸発しちまった奴。恋人と喧嘩別れしたまま二度と戻ってこなかった奴』
 |霧航士《ミストノート》の歴史は短いが、それでも両手の指よりは多く存在した|霧航士《ミストノート》の中で、まともな奴を探す方が難しい。
 中でも、ある意味で極めつけのろくでなしだったのが、
『それに、国も金も名誉も関係なく、誰よりも速く高く、遠くまで飛ぶための「方法」として|霧航士《ミストノート》を志した奴』
 ゲイル・ウインドワードという男だったのだと、思っている。
 もしくは、その男と共に、あるかもわからない夢を追い求めた俺自身である、と。
『……なあ、ジェム。お前はどうして霧の海を飛ぶ?』
 俺の問いに、ジェムは答えない。ただ、唇を噛むような気配が伝わってくるのみ。ジェムは真面目だからな、一笑に付したってよかったのに、一瞬でも俺の言うことを吟味しちまったんだろう。俺は、ジェムのそういうところが好ましいと思う。
『別に答えはいらねーよ。ただ、俺もお前も同じ穴の狢、理由はそれぞれだが、己の魂を|翅翼艇《エリトラ》に捧げた馬鹿野郎だ』
 そして。
『なあ、トレヴァー! お前だってそうだろう?』
 棒立ちになったジェムに投げかけられた針を、『ゼファー』の一撃で焼き落とす。針に仕掛けられた爆薬が虚空で爆発する音と熱が、知覚を震わせる。
『――っ!』
 ジェムは、一拍遅れてその事実に気づいたらしい。伝わってくる意識が、ぴんと張り詰めるのがわかる。それに対して、
『ふふ、やっぱり君の「目」は誤魔化せないね』
 気持ちの悪い通信を割り込ませてくるゴキブリ野郎は、いたって楽しげなものだった。
『ああ。この前は手ぇ抜いて悪かったな』
『ゲイルのいない君なんて、つまらないと思ってたけど。なかなかどうして』
 舌なめずりするような音を立てて、トレヴァーはくつくつと笑う。
『感じさせてくれるじゃないか、オズ?』
 だから、その含みのある発言だけはどうにかならないか。これさえなければ、|霧航士《ミストノート》士の中じゃまだ能力性格ともに比較的まともだってのが、|霧航士《ミストノート》士の人材不足を痛感させられる。
 とはいえ、これが、こいつのセクハラ発言を聞く最後になると思うと、寂しいとも思うのだ。こんなものを寂しいと思う俺の神経もいかれてるんだろうな、きっと。
 だが。
 ――霧の海で対峙した以上、結末は、たった一つ。
『今日は最後まで踊ってやるよ、トレヴァー』
『ゲイルじゃないのは残念だけど、本気の君とその「翼」なら、十二分に愉しめそうだ』
 姿を見せない|霧航士《ミストノート》は、虚空に含み笑いを響かせながら、朗々と宣言する。
『さあ、踊ろう。君たちとボクとで、高みに上り詰めよう』
 ――そして。
 
『踊り疲れたその翼を、ボクが、もぎ取ってあげるよ』