「いってきます」の魔法

 きらきらと、世界が崩れて、二人の上に降り注ぐ。
 雪のように。粉砂糖のように。
 アキは、ナツの手を握り締めて、ナツを見つめた。ナツは、笑っていた。最初に「おかえり」と言ってくれたあの日と同じ笑顔で。
 胸の痛みは消えない。けれど、アキも、今度こそ笑うことができた。
「アキさんが辛い時には、わたしが笑顔で『おかえりなさい』って言って」
「その後は、必ず『いってらっしゃい』って送り出してくれる。そうだよな、ナツ」
 ナツはこくりと頷いた。大きな目が、アキの、かつての姿を映しこんでいる。笑顔を絶やすことなく、幸せが永遠に続いていくことを信じていた頃の、自分を。
 今の自分が、かつてに戻ることはできない。ナツと過ごした日々を、本当に取り戻すことなんか、できやしない。
 ただ、あの頃知った「幸せ」を、再び追い求めることは、できるはずだ。幸せだった日々の全てを思い出せた、今なら。
 だから、優しい思い出も、胸の痛みも、何もかもを抱えて、アキはナツに告げる。
「長い間、待っていてくれてありがとう」
「もう、待たなくて大丈夫かな」
「ああ、大丈夫だ」
「嘘つき。本当は、寂しいくせに」
 ナツの指が、アキの鼻をつつく。アキは、笑おうとしたけれど……、その顔は、くしゃりと歪んでしまった。鼻の奥がつんとして、飲み込んでいた涙が溢れそうになる。
「寂しい。寂しいよ」
 正直に言いながらも、何とか、笑顔を作る。
「でも、最後くらいは、強がらせてほしいな」
「えへへ、そんなアキさんが、大好きだよ」
 ナツは嬉しそうに笑って、飛びつくようにキスをした。アキは、そんなナツの体を抱きしめて、その唇の味を確かめる。甘くて少しだけほろ苦い、キスだった。
 そして、手を、放す。
 放したナツの体が、世界と同じように、欠片となって闇の中に溶けてゆく。再び目に滲みかけた涙を袖で拭いて、アキは、唇の端を上げる。きっと、とんでもなく不細工な笑顔になってしまっているだろうけれど。
 それでも、その言葉だけは、笑って言いたかったのだ。
「いってらっしゃい、アキさん」
 もうどこにも見えないナツの声が、優しく響いて。
 アキは、甘く幸せな過去に、笑顔で告げた。

「いってきます」



 ――HAPPYSWEETS HYPERSOMNIA / AWAKENING.