少年と青い夢

 夢を見た。
 青い、青い夢。
 視界一面に広がるのは、雲一つ無い、晴れ渡った夏の青空。
 胸を締め付けるような、不意に悲しくなってしまうような、透き通ったアオが目蓋の裏に焼き付く。
 これは、もしかすると、とても悲しい風景なのかもしれない。だって、目からとめどなく零れるものが、頬を濡らして止まないのだから。
 何故、涙が溢れて止まらないのか。
 それは――

 はっと、セイルは目を開けた。
 気づけば、何かを掴もうとするかのように、天井に向けて手を伸ばしていた。右の手首に結んだ褪せた緑色のリボンが、ゆらゆらと頼りなく揺れている。
 何故、自分が天井に向けて手を伸ばしていたのか、一瞬考えて……結局わからなくて、腕を戻す。そして、自分の頬にそっと触れた。何故か、頬はしっとりと濡れていた。
 ――泣いていたのか?
 セイルは思うけれど、何故泣いていたのか思い出せない。目蓋に焼き付いているのは、ただ「青い」という記憶だけを伴った、夏の空色。
 そういえば、こんな夢をかつても見たことがあった。それは、もう三年と半年以上前になるだろうか。自分はまだ一年生で、小さくて何もわかってはいない子供だった。今もまだ子供であることは変わらないけれど、あの頃よりは少しだけ背が伸びて、あの頃よりも少しだけ物知りにはなったと思う。
 そんな時に、一人の少女と出会ったのだ。
 夢に見た、青い薔薇を探す少女。自分の未来を切り開くために、前を見つめ続けた少女。彼女の笑顔は、今でもはっきりと思い出すことが出来る。彼女は彼女自身の望みどおり、青い薔薇の咲く庭を見つけ、そして誰の手も届かない場所に旅立った。
 彼に、一つのリボンと一つの約束を残して。
 今はここにはいないけれど、まだ帰ってはこないけれど、いつか絶対に戻ってくる……それを信じて、そっと右手のリボンに触れる。
 彼女が旅立ったその日から、青い夢は見なくなった。見なくなった、はずなのに。
 セイルはもう一度、リボンを結んだ手で頬に触れる。
 青い夢、空の夢。それは、あの日見ていた夢と似ていて、けれども少しだけ違う夢。あの時に見た青い薔薇の夢は、心をぎゅっと掴んできたけれど、これほどまでに強く気持ちを揺さぶられはしなかったはずだ。
 涙の理由は、悲しみだろうか。そうかもしれないし、違うかもしれない。それは、夢から覚めたセイルにはわかるはずもないことだ。

 だけど、何故か。何故か、彼は確信していた。

 これもまた、とびきり、幸せな夢なのだと――

 セイルは笑う。誰がその笑顔を見ることも無かったけれど、何となくくすぐったく、それでいて沸き立つような気持ちになる。今日は一日、いい気分で過ごせそうだ。そんな能天気なことを考えながら、涙を拭いて窓の外を見る。
 窓の外は、夢と同じ、悲しいほどに青い夏の空色をしていた。
「行こう」
 毎日のように青い夢を見ていたあの日、緑のリボンをくれた少女に向けた言葉を、今度は自分自身に向かって投げかけて。

 夏の青空の下、セイルの新しい一日が、始まろうとしていた。