影と騎士の舞台
無造作に槍を突き出してみるが、流石に槍に関しては達人のライラはそれをあっさりとかわし距離をとる。
観客たちのライラを応援する声が、ブランには心地よく響く。学生の頃、同じように舞台に立っていた時のことを思い出す。あの頃は自分自身が楽しむというよりは、周りを楽しませるために駆け回ってばかりいたような気もするが。それは、今もあまり変わっていないのかもしれない。
――しかし、あの少年には助けられたな。
ブランは仮面の下で小さく安堵の息を付く。ちらりと楽団に視線を走らせれば、静寂の中で一人ファンファーレを吹き鳴らしてみせた猫人の少年が、舞台の奥に消えていくセイルたちに笑顔で手を振っていた。
それを見届けて、ブランは改めて槍を構える。
舞台の作り物でしかない槍だが、組成の通りに魔力を通せば十分ライラの聖槍と打ち合える。もちろん本気でやり合うならば負けるだろうが、今は別に「戦う」ことが目的ではない。
「どうよ、俺様、演技派でしょ?」
ブランは悪魔の演技を捨て、いつもの調子でライラに笑いかけてやる。ライラは「馬鹿か」と吐き捨てるように言いながら踏み込む。だが、それが彼女の本気でないことはブランにもわかった。その切っ先に、初めて戦った時のような殺気は無い。
ライラもわかっているに違いない。
これは、全てを終わらせる前の、ちょっとした余興だ、と。
きん、と槍と槍が打ち合わされ、二人の体がぐっと近づく。本気の勝負ではないが、片や槍の腕ならば神殿でも一、二を争う騎士ライラ、片や独学ではあるが長物の扱いを最も得意とするブラン。遊びであろうとも二人のやり取りが見応えのあるものだということは、観客の盛り上がりからも明らかだ。
ライラはぐっと眉を寄せて、ブランに向かって囁く。
「……貴様、何処から湧いて出た」
「あそこの窓からよ?」
と、ブランは槍を打ち合いながら、顔の向きだけでライラに示してみせた。城の二階に当たる部分に開いた窓、そこから舞台の様子を見つめ、劇が佳境に差し掛かろうというタイミングを計って飛び降りたのだ。舞台はちょうど城の真下にあり、二階からでも簡単な魔法の力を借りれば飛び降りることは難しくない。要は、スノウを連れて逃げたやり方だ。
だが、ライラは「不可解だ」と小声で言う。
「一階ホール以外は封鎖されていたはずだ」
それはそうだ。一般開放されるホール以外は生真面目な衛兵が守っていて、無理に通れば騒ぎになる。そうすればこんな罪の無い「演技」よりもよっぽど面倒くさいことになる。
だが。
「こう見えて昔は悪ガキでね。忍び込む場所は心得てんだ」
ブランからすれば、衛兵が守っている場所など数多くの進入口の一つでしかない。潜り込める場所などいくらでもある。そこを通り抜け、崩れかけた二階の部屋で息を殺していたのだ。
そして、スノウに示したのも、その一つ。ブランが知っている進入口の中で、唯一、城の奥まで繋がっていると言われている場所だ。ただ、そこはちょうど設営された舞台の裏に隠れてしまっていたために、こんな荒っぽい方法を取ることでセイルとスノウをその奥に導くしかなかった。
その上、この城は外観こそ昔のままではあるが、中は酷く荒れていて道が瓦礫で塞がっていることも多い。ブラン自身も奥まで繋がっているだろう、という想定をしているだけで、実際に入ってみたことは無い。だから、後はスノウと同じように、自らが導く奇跡を信じるだけだ。
――大丈夫。
スノウの弾んだ声が響いた気がした。ブランもまた、少しだけ微笑みを返して、ライラの繰り出してきた一撃を払いのける。
その勢いのままに踏み込みながら、言った。
「スノウのこと。後はお願い」
「貴様に頼まれずとも」
槍を打ち合わせながら、頼もしいな、と笑ってみせたブランだったが、次の瞬間笑みを消した。表情は仮面に隠され、ライラには見えなかっただろう。見えなくてよかったと、思う。
「頼む」
低く、しかし確かに。
その呟きは、きっとライラに届いたはずだ。ライラは小さく頷き、大げさに槍を払った。彼は動きに合わせて大きくたたらを踏み、槍をわざと取り落とし、舞台の奥へと飛び降りた。同時にライラはスノウたちが消えていった方向に、飛び降りる。
響き渡るライラの勝利を讃える音色、そして観客たちの歓声。
それらを背に、ブランは誰かに見咎められる前に、城の隠された入り口の一つに体を潜り込ませ、そのまま姿を消した。