騎士と扉
スノウとみられる少女の目撃情報があった。
ライラは騎士からその話を聞いて、すぐに町に飛び出した。
祈りの日を迎えた町には昨日までのような浮ついた空気は少しだけ収まっていて、その代わりに町のところどころにある小さな神殿に足を向ける人々の姿があった。
その中を、駆ける。
話によれば、黒髪を二つにまとめ、緑のリボンで結った少女が、町の少年とともに上級学校の方に向かっていったという。その少年についても、話を聞いているうちに上級学校の生徒であることが明らかになった。
ライラの足は、その少年が暮らしているという寮に向けられている。情報を総合すると、スノウはそこに滞在している可能性が高い。
その一方で黒服の男の姿は誰も目撃していないというから、本当に男とスノウは別行動だったのだろう。一体、あの男が何を企んでスノウを攫い、この町に連れてきたのか。それはライラにはわからない。
だが、まずはスノウを保護しなくては。あの男を追い詰めるのは、その後で構わない。あの男がたとえ言葉通りにスノウを傷つけなかったとしても、彼女の体は外の空気に長くは耐えられないのだから――
『ね、ライラ』
曇り一つない硝子のような響きの声が、ライラの脳裏に蘇る。
背伸びをして、大きな窓から身を乗り出すようにして。ライラが贈ったお守りのリボンを風に靡かせた姫巫女は、外を眺めながらおどけた口調で言ったのだ。
『いつか、皆に内緒で、わたしを外に連れてってよ。神殿の外、ずっと遠い、遠い場所が見たいな』
そんなこと、出来るはずない。ライラはそうきっぱりと答えたのだと思い出す。
確かに、スノウは『知恵の姫巫女』ではあるがそれ以前に一人の少女だ。神殿の外に夢を見ることくらいは当然するだろうし、それを頭ごなしに否定できるわけではない。
しかし、『知恵の姫巫女』はユーリスの要を担う巫女の一人であり、その役割は他の巫女とも違う特別なものだ。姫巫女を守る騎士として、そのような勝手な願いを聞き届けるわけにはいかなかったし……それに、スノウのことを思えばこそ、首を縦に振ることは出来なかった。
時間は刻一刻と過ぎていく。
残された時間は、決して長くない。
目を上げれば、そこには白い壁を持つ小さな建物があった。飴色の瞳に移しこまれた寮は、何を語ることも無く佇んでいる。そして、記憶の中の少女は、くすくすと楽しそうに笑った。
『そっか。そうだよね。ごめんね、ライラを困らせるつもりはなかったの』
本当に、そんなつもりはなかったの。
呟いた少女の目には、どこか遠く、それこそライラも知らない場所を見ているような、そんな色があった。
『スノウ様?』
『うん、それでいいの。ライラは正しいよ。神殿の人間として、騎士として』
だから、この話はおしまい。そう笑ってスノウは大きな窓を閉じたのだったけれど……そういえば、全く同じような言い方を、あの男がしていたのだと思い出す。
『だろうな、それでいい。お前さんは正しいよ。神殿の人間として、騎士として』
何故あの時思い出せなかったのだろう。単なる偶然だと思いたかったが、それにしては奇妙な一致だった。
その時、ライラの脳裏に一つの可能性がよぎった。だが、ライラは一つ首を振るだけでその可能性を己の中で否定する。それは、あってはならないことだ。そして、ライラが「信じたくない」ことでもあった。
否、信じるも信じないも無いはずだ。仮定など無意味。自分が考えるべきは、目の前にある事実のみだ。そう自らに言い聞かせて、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んで、
目の前に立ちはだかる扉を、叩く。