少年と少女

 セイルは、スノウと共に寮への道を歩いていた。日は既に西の空に沈もうとしていて、空を赤く染めていた。
「今日はありがとう。一日、付き合ってもらっちゃった」
「ううん。俺も楽しかった。こちらこそありがとう」
 本当ならば、一人で祭を回るつもりだったから。そう言ったセイルに、スノウは「そっか」と笑って不意に立ち止まり、南の空を見た。今日は晴れているから、南の世界樹がよく見える。スノウはあの樹の根元にある町から来たのだったなとセイルも思い出した。
 スノウは、世界樹を見つめたまま立ち尽くす。その横顔は、祭の間中小さな子供のような笑顔を浮かべていた少女とはまるで別人のようで……セイルには、その表情を何と表現してよいものかわからなかった。
 ただ、傷ついたような、悲しんでいるような、そんな表情を見ているのが、セイルには辛かった。
「あ、あのさ!」
 セイルは身を乗り出すようにして、スノウに言う。何とか、スノウの意識を逸らしたかったのだ。
「スノウは、これからどうするの? 青い薔薇を探すって言ってたけど……」
 祭を回っている間は、スノウは一言も青い薔薇の話をしなかった。始めはセイルがスノウを案内していたけれど、次第に、スノウが気になったものの方に、積極的にセイルを引っ張っていくような状態になっていたこともあり、薔薇については聞くに聞けなかったのだ。
 スノウは、少しだけ考えるような仕草をしてから、小さく頷いて言った。
「うん。ある場所は、大体わかってるの」
「……そう、なの?」
 セイルは拍子抜けする気分だった。スノウは「探す」と言っていたから、きっとこの町を駆け回って宝探しをするものだとばかり思っていた。けれど、セイルの想像に反し、スノウは視線をセイルも知る一点に向けた。
「多分、今も青い薔薇は、イリヤの元で咲いてるわ」
「イリヤの……って、魔王城のこと?」
 セイルも、スノウの視線を追う。そちらには、夕日に照らされて静かにたたずむ城址の屋根が見えた。
 あの場所で魔王は討ち取られ、そこに聖女ライラが青い薔薇を手向けた……その伝説のまま、セイルの夢に出てきたような青い薔薇が咲いているというのだろうか。そんな話は聞いたことが無いけれど。それに。
「でも、城址って普段は入れないだろ」
「そう。だからわたし、扉が開くこの時期に来たの」
 そうだ。クラエスが教えてくれたではないか。祭の最終日、聖ライラの日には城址の扉が開き、一般にも公開されるのだという。その時に、どこかに咲いているはずの青い薔薇を探すのだとスノウは言う。
「それまでは、自由に遊んでいいって、あの人も言ってくれたから。あと五日間は精一杯楽しもうかなって」
「その後は、ユーリスに帰っちゃうの?」
 セイルが問うと、スノウは少しだけ躊躇ってから、言った。
「そうなるかもしれないし、ならないかもしれない」
 時々、スノウはセイルの考えを超えた言葉を使う。ただ、今の言葉はセイルに理解させるつもりもなかったのかもしれない。スノウ自身、「わたしにも、わからないや」と呟いて、また南の空、はるか遠くの世界樹を見やる。
 たまらず、セイルは問うていた。
「何で、さっきからそんなに寂しそうな顔してるの?」
「寂しそう? わたしが?」
 スノウが意外そうに目を見開く。言ってみたセイルも、それを「寂しい」という言葉でくくっていいかどうかはわからなかった。ただ、その横顔はどこか、寂しそうに見えたのだ。
 スノウは自分の胸に手を置いて、目を閉じた。そのまま、一つ、二つ、深く呼吸をしてから目を開いて微笑む。
「そっか。やっぱり、寂しいのかな……」
「スノウ?」
「ごめんね、セイル。わたしは、大丈夫だから」
 何が大丈夫なのかは、わからなかったけれど……スノウは、肩の上で結った二つのリボンを揺らし、にっこりと笑う。スノウが何故笑うのかもセイルにはわからなくて、ただ黙って寮への道を歩いていくことしかできなかった。
 歩いて、歩いて。そうして、寮の前まで辿りつく。
 ここで、お別れかなとスノウは手を離す。セイルも小さく頷いたけれど……気になって、質問を投げかける。
「スノウは、これからどうするの? 宿とか泊まる場所は決まってるの?」
「ううん。これから、考える」
「これから……って」
 こんなに人が集まっているのだ、宿なんて取れるはずもないことは、流石のセイルにもわかった。けれど、スノウはけろっとしたもので「大丈夫、大丈夫」と笑う。
「案外、何とかなるよ。昨日も、外で寝ても何も言われなかったし。野宿も楽しいよ」
「だ、ダメだろそれはっ!」
 何しろこの寒さだし、まず女の子を野宿させるなんて、考えられない。これが山の中だったらともかく、ここは町だ。他に方法だってあるはずだろうに。
 そう考えて、では自分ならどうするとセイルは自問する。自分はここに暮らしているから、他に泊まれるような場所など考えてみたことも無い。この町に住んでいるからといって、行動範囲など学校の周囲くらいなのだから。
 ただ、今の時期なら、もしかするともしかするかもしれない。セイルの頭の中に、ぱっと何かが閃いた。
「スノウ、ちょっと来て」
「セイル?」
 スノウの疑問符を背中に受けながら、セイルは寮の扉を開けた。相変わらず、冬休みを迎えた小さな寮はがらんとしたもので、いつも応接間で楽しく語らっている上級生たちの姿は見えない。その代わり、セイルが帰ってきたのに気づいたのだろう、キッチンからリムリカが顔を出す。
「おや、お帰り、セイル。その子はどうしたんだい」
「ただいま。ねえ、リムリカさん、お願いがあるんだけど、祭の間だけ、この人泊めてあげられないかな!」
 リムリカは唐突なセイルの「お願い」に驚いたようだった。そして、セイルの横に立っていたスノウもまた、目を丸くした。申し訳ないとばかりにセイルの袖を引っ張り、困った顔をする。
「いいよ、セイル。そんなお願い、困っちゃうよ」
「でも、スノウだって外で寝るのは寒いだろ?」
「それは、確かにそうだけど……」
 すると、階上から声がかかった。
「どうしたの?」
 見れば、練習から帰ってきていたのだろう、クラエスが上からこちらを見つめていた。セイルの横に立っていたスノウの姿を見て、不思議そうに首を傾げながら降りてきた。
「セイル、その子は誰?」
 その問いにセイルが答える前に、スノウがぺこりとリムリカとクラエスに対して頭を下げた。
「スノウ、といいます」
「今日の昼間に偶然会った人なんだけど、ユーリスから来て、祭の間は滞在しなきゃならないらしいんだって。でも、泊まる場所が無くて困ってるんだ。だから、本当に祭の間だけでいいから、泊めてもらえないかなって……」
 慌てて付け加えたセイルの言葉は、自然と尻すぼみになってしまった。不意にリムリカが、厳しい視線をセイルとスノウに向けたからだ。
 いつもは優しくても、長年悪ガキどもに睨みを利かせてきた寮の管理人だ。もしリムリカがダメといえば、絶対にそれは覆らないだろう。それに、こんなこと、ムシのいい頼みであることはセイルにも十分すぎるほどわかっている。
 やっぱり、ダメだろうか。
 そんな風に思っていると、リムリカはつかつかとスノウの前に歩いていく。ドワーフであるリムリカがスノウと並ぶと頭一つ違うから、リムリカは小さな目でスノウを見上げる。
「お前さん、一人でライラ祭に来たのかい?」
「いいえ。連れてきてくれた人がいるんですけど、今は一緒じゃないです」
「それは困った保護者だね」
 リムリカは大げさにため息をつく。スノウは少しだけ緊張しているのだろうか、笑いもせずに真っ直ぐにリムリカを見下ろしている。リムリカも、真面目な表情でスノウを見据えたまま、言葉を放つ。
「女の子を一人で歩かせるなんて、無用心もいいところだよ。アンタも、祭っていうけどどんな奴がいるかわからないんだから、連れとはぐれるなんてもってのほかだよ」
「ごめんなさい。これから気をつけます」
 スノウは素直にぺこりと頭を下げた。リムリカは「よろしい」と満足そうに言うと、セイルとクラエスに向かって言った。
「ほら、アンタたちも突っ立ってないで。一階の隅っこの部屋が空いていたでしょう。さっさと片付けてあげな」
「え、それじゃあ……」
 ぱっと顔を輝かせるセイルに、本当はいけないんだけどね、とリムリカはいたずらっぽく笑った。
「だからね、これは私とアンタたちの間の秘密だよ」
「あ、ありがとう、リムリカさん!」
「ありがとうございます」
 セイルとスノウが一緒に頭を下げる。クラエスが、ちょっとだけ困った顔をして「いいんですか?」と問うたが、リムリカはからからと笑うだけで取り合わない。
「何、今はアンタたち以外に誰もいないんだ。どうってことはないよ。それにね」
 頭を下げたままだったセイルの頭を、リムリカはぽんぽんと大きな手で叩く。
「セイルが連れてきた子だ、何も心配はないと思ってるよ」
「確かに」
 クラエスもくすくすと笑う。セイルからすれば何か釈然としなかったが、スノウも一緒になって笑っていたから、セイルもつられて笑ってしまった。
 そうやって、笑っているセイルの手を、そっと、スノウが握る。そして、弾んだ声で囁いた。
「本当にありがとう、セイル」
 その言葉だけで、とても嬉しくて。セイルは歯を見せてにっと笑った。
 そんなセイルの目に、ふと、銀色のものが煌いて見えた。見れば、窓の外を銀色の蝶が飛んでいくところだった。スノウと自分を出会わせてくれた蝶に、セイルは小さく頭を下げた。

 ――祭は、まだ、始まったばかり。