暖炉の火はあかあかと燃えて、部屋を温めています。
ネイト・ソレイルはソファの上ですっかり寝息を立てていました。先生を待っているうちに眠気に襲われてしまったものとみえます。時折「先生、早く原稿を仕上げてください」と呟くあたり、夢の中でも頑張って原稿を取り立てているものとみえますが。
そして、椅子から立ち上がり、大きく伸びをした先生は、ソファの上でネイトが眠っていたことにやっと気づいたようで、「おや」と間の抜けた声を上げました。
「待たせすぎちまいましたか」
普段とは少しだけ違う調子で呟いて、それからネイトの寝顔をしばし見下ろしていましたが、口元に笑みを浮かべて、隣室から毛布を持ってきました。
――風邪でも引かれたら寝覚めが悪いですからね。
そんなことを思ってしまう自分がおかしかったのでしょう、先生は「はは」と小さく声に出して笑いました。仮にネイトが風邪を引いたとしても、すぐにその原因だって忘れてしまうというのに。
必ず忘れてしまう。この、ゆっくりと過ぎていく時間のことも、部屋を温める暖炉の火の色も。そして、無防備に眠りについているネイトのことも。そうやって、忘れ行くものをひとつずつ数え上げて、それが全てかつての自分にはなかったものであるということを確かめて。
先生は、色眼鏡の下で、すっかり褪色した目を細めて呟くのです。
「いやあ、平和ですねえ」
(鈍鱗通りの作家と編集)
霧世界余録