空色少年物語

15:対峙(2)

「何が違うんだ。言ってみろ」
「確かに、それが一番確実なのかもしれない。でも……ブランはわかってない。それは、シュンランの決意を否定することなんだ。俺だって、そんな形で終わりたいなんて、思ってないんだ。それでも、ブランは俺たちを置いて『ディスコード』を奪おうっていうのか?」
 セイルの必死の問いかけに、ブランは不可解そうに眉を寄せて言い切る。
「そうだ」
「……っ!」
「お前らを守ることは、お前らが俺に望んだことだ。その何処が不満なんだ」
「不満に決まってる、なのに……ブランには何で俺が不満なのか、わからないのかよ!」
 セイルは身を乗り出すようにして叫んだ。ブランは真っ直ぐにセイルを見下ろしたまま、きっぱりと言った。
「わからねえな」
「……え?」
「俺はお前らの望みを叶えて、一番確実な手段を実行に移しただけだ。だから、お前が俺のやり方を不満に思う意味が理解できない。それとも、ここに来て、俺のやり方以上の方法を提示出来るってのか? 違うだろう?」
 確かに、セイルは何一つ確かな手段をブランに提示はしていない。提示するだけの手段を持ち合わせているわけでも、ない。だから、ブランの言葉ももっともではあるのだ。
 ならば、この胸に湧き上がる釈然としない思いは何だろう。
 言葉を失ってしまったセイルの代わりに、ディスが噛みつくように言った。
『手前とセイルじゃ、そもそも語ってる土俵が違えんだよ。まずそこから理解しろよ馬鹿野郎!』
「何を言ってるんだ、『ディスコード』 」
『セイルが手前に問うてんのは、手段じゃねえ。手前は一度でもその手段を取る時にセイルとシュンランの内心を慮ったか、って聞いてんだ!』
 ああ……そうか。
 ディスは、セイルの言いたいことの全てを、セイル以上に正しく言葉にしていた。
 そうだ。そうなのだ。
 ブランは一度も、セイルたちの「思い」を理解しようとしなかった。セイルたちを守ると言ったけれど、それはあくまで物理的な安全でしかない。セイルたちが胸に抱くであろう感情そのものを、考慮に入れていないのだ。
「愚問だな、『ディスコード』 」
 ディスの言葉に、ブランは笑う。嗤う、と言うべきか。
 その時のブランは、間違いなく……自分自身を嗤っていた。
「それがわからねえから、せめて最善を尽くす。それがお前らのために俺に出来る、唯一だ」
「……何だよ、それ」
 セイルは、思わず呟いていた。ディスが何かを言おうとしていたけれど、それを遮るように声を上げる。
「さっきも言ったけど、俺はそんなの望んでないよ。シュンランだってきっと望んでない。ブランの言うことは最善かもしれないけど、誰も望んでない方法だ。俺は、絶対にシュンランを兄貴に会わせる。ブランが止めても、絶対にやってみせる」
「馬鹿を言うな。それが無理だから、俺は……」
「無理だって決め付けるなよ! ブランは、俺を何だと思ってるんだよ!」
「お前の実力じゃ無理だって言ってるんだ! もう少し時間があれば、それを待つことだって出来た、だが……」
「違う、俺が聞きたいのはそんな予測じゃない、ブランの本音だよ! ブランが俺をどう思っているのか、俺たちをどうしたいのか、だ!」
「何?」
 ブランの表情が、一瞬だけ揺らいだ。何故、そこで揺らぐのかはわからなかったけれど、ここで畳み掛けないわけにはいかない。セイルは次々と胸の奥底から浮かび上がってくる言葉を声にしていく。
「そうなんだ、俺、ずっとわからなかった。わからないままにしてた。ブランが俺たちのこと、どう思ってるのか。『エメス』のこと、兄貴のことをどう思ってるのか! ブランは起こった事実と起こりうる予測しか言わない、ブラン自身がどう思っているかは絶対に話さなかった!」
「それを、言葉にする必要があるのか?」
 ブランの声が更に温度を下げる。吹き付ける冷たい気配に、セイルはぐっと喉を詰まらせる。
「そんな情報、必要ないだろう。事実、予測、行動、結果。それが俺を構成する全てだ」
 ――そこに、何かを思う心など必要ない。
 そう、言外に宣言されたようで。
 セイルの胸が締め付けられる。
 それならば、今まで自分やシュンランと一緒にいた時間はブランにとって何だったのだろう。ただ、セイルたちと交わした約束を守るために、予測と行動、その結果を反芻するだけの時間でしかなかったのだろうか。
 一緒にいることで、傷ついたり、悲しんだり、怒ったり……笑い合ったり。短かったけれど、セイルの中では色々なことがあって。その全ての出来事が、ブランにとってはブランの心を動かすことない「事実」でしかなかったのだろうか。
 鼻の奥がつんとして、視界がぼやける。
 そんなの……
「そんなの、悲しすぎるじゃないか……っ!」
 刹那、びくり、とブランの体が震え、唇がほんの少しだけ、開く。それは、無表情ながらもセイルの言葉に反応したものであることは確かだった。
 しかし、初めて明らかな動揺の色を見せたブランだったが、すぐに唇を引き締めて重く宣言する。
「平行線だな」
 ブランはセイルに向かって伸ばしていた左手を握り締めた。
「時間がないのは今この瞬間も同じだ。悪いが、力ずくで奪わせてもらう」
 下がれ、というディスの声に従って数歩下がるセイルの前で、ブランは腕を引く。
「顕現しろ、『アワリティア』 」
 静かな声と共にブランの左腕に嵌められた腕輪が輝き、一瞬でそれが白銀の処刑鎌へと変じる。
 女神の剣『アワリティア』――虚絶ちセイル・フレイザーに与えられた聖鎌。それを左手に構え、右手では袖の奥から取り出したナイフを持ち直す。
 セイルも、目に浮かびかけた涙を拭いて、体を低くする。
 ああ、もう、もう届かない。
 これほどまでに言葉を重ねても、どうしてブランには届いてくれないのだろう……思う心を汲んだのだろう、ディスがぽつりと言った。
『どう足掻いても、言葉じゃ届かねえな。こいつは、そういう風に壊れちまったから』
 どういうこと、とセイルは問いかけるが、ディスは『何』と苦笑する。
『今はまず、こいつをぶちのめして、この場からシュンランを助けるのが先決だ。話は、その後で嫌ってほどすりゃあいい。お互いを理解するために、な』
 ディスの言う通りだ。
 一瞬、迷いかけたけれど……このままブランの言葉に従うことは出来ない。それだけは確かなことだった。ブランが壊れている、というディスの言い方は気になったけれど、それもこれも、この場を切り抜けてから。
 今のセイルは、シュンランを助けるためにここに立っている。シュンランの自由を奪わせないために。彼女の旅を最後まで果たすために。
「ディス……よろしくね」
『ああ。任せろ』
 体の内側に呼びかけて、視線を上げる。氷の仮面を被った男を銀の瞳で見据え、強く、強く、願う。
 この手に、思いを貫き通す剣を。
 シュンランの心を守るための、翼を――!
『そうだ、それでいい、セイル』
 ディスが脳裏で笑う。静謐さの中に、確かな獰猛さを秘めて。
『手前の「イメージ」、確かに受け取った』
 視線の先では、ブランがセイルに向かってナイフを一本、真っ直ぐに放つところだった。狙いはセイルの右腕。セイルが何をしようとしているのか、その未来視で察したに違いない。
 いいだろう、受けて立とう。
 セイルは避けるどころか、床を蹴って真っ直ぐブランに向かって駆け出した。ブランが一瞬、意外そうに目を見開いたのを確認し、微かに口元を歪めた。確かに、一瞬前までのセイルならばとっくに臆して足を止めていた。
 けれど、今は胸に燃える思い一つを糧に、前へ進む。
 何も怖くない、この手に相棒がいる限り。
「 『ディスコード』……起動!」
 右腕にナイフが突き刺さろうとしたその瞬間、セイルの右手が眩い光を放つ。セイルの体の中に備わった因子『ユニゾン』が『ディスコード』に反応して放たれる、淡い色の光。
 光を纏った右手はみるみるうちに変形し、普段ディスが扱う刃ともまた異なる、いくつもの刃を重ね合わせたような無骨な剣と化していく。
 だが、変形はそれだけには留まらない。
 次から次へと生えてゆく刃は羽のように、セイルの右腕全体を覆い……その腕の付け根を狙ったナイフも、あっけなく刃の重なりの前に阻まれる。
 そう、それは、まさしく「翼」だった。セイルの右腕が銀の刃に覆われて、肘の辺りから鳥の翼のような形状に変化していたのだ。そして、手の延長線上に当たる部分は真っ直ぐに伸び、突撃槍のように先端が鋭く尖っている。
 ディスが「斬る」ことに特化した剣なら、セイルのそれは「貫く」ことに特化した形状。貫く槍に、翼の盾。それは、まさしくセイルが望んだ思いの形そのものだった。
 翼によって弾き返されたナイフには目もくれず、セイルは更に一歩を踏み込む。
 だが、一瞬面食らったように見えたブランはすぐに気を取り直したのか、セイルとの間合いを取るために素早く軸をずらしながら下がる。それを追って槍の角度を変えようとしたが、
『来るぞ!』
 ディスの声を聞いて、セイルは反射的に横に跳んでいた。ブランは予備動作を抜きにして、ほとんど指先の力だけで残り二本のナイフをセイルに向かって放っていた。今度は、セイルの右腕の翼では防げない足元を狙って。
 だが、ディスの指摘の方が一寸速かった。当然、『アーレス』を持たないディスがブランの動きを事前に察知したはずはない、それでも、ディスの観察眼はブランの攻撃のタイミングを正確に捉えていた。ブランのナイフが床に刺さった瞬間、セイルはその僅か横に位置していた。
 このまま、一歩踏み入れれば。セイルは甲高い吼え声を上げる『ディスコード』を構えようとするが、その瞬間横合いから鎌の刃が迫っていた。
 呼吸が止まる。
 ナイフを放ったと思われたブランが、既に処刑鎌の柄を両手で握りなおし、セイルの左側面を薙ごうとしていたのだ。この体勢では、自分の刃が届く前にブランの鎌が届く……思った瞬間に、セイルは無造作とも思えるタイミングで体の支配をディスに明け渡す。
 セイルの意図を違うことなく飲み込んだディスは、迷うことなく鎌が来るのとは逆側に跳び、床を転がって頭上を走る刃をやり過ごす。
 即座の追撃は……無い。ディスはそのままブランとの距離を十分に取って、身を起こす。
『ごめん、ディス!』
「問題ねえ。予想通り奴がアレを使いこなせてねえってのも、理解したからな」
 ディスは微かに口の端を歪ませる。
「そうだろう、ブラン?」
 ブランはディスを見据えたまま応えはしなかった。
 だが、左手で鎌を構え直すその姿勢が、酷く安定を欠いたものだということは、セイルにもわかる。ブランの細腕に、長い柄と二枚の刃を持つ聖別の鎌は重すぎるのだ。今、追撃が無かったのも、返す刃を振るうほどの力がブランに無いということを表している。
 セイルが確かに理解したことは、ディスにも伝わったのだろう。ディスは口の端を歪め、ひとつ、ひとつの言葉をはっきりと声にする。
「セイル、手前は迷うな、恐れるな、前に進め。他のことを考えなくていいように俺がいる。わかってんだろ」
『うん。ありがとう……ディス』
 セイルはディスに対し、意識の中から手を差し伸べる。ディスの心に形は無く、故に伸ばす手もないはずだけれども。セイルとディスはお互いの心の手を合わせ、人の耳には捉えられない高らかな音を打ち鳴らす。
 唯一、セイルとディス以外にその二人の行動を全て感じることの出来るブランは、小さく舌打ちし、袖の奥から投げナイフを右手に持ち直す。
 体の支配を取り戻したセイルはいつでも駆け出せるように『ディスコード』の槍を構える。幾重にも連なった無数の刃が窓から降り注ぐ光を浴びてきらきらと輝いていた。
 ブランは眩しいものを見るかのようにセイルの右腕に目をやって……唇を開く。
「……そいつは『ディスコード』の入れ知恵か?」
「違うよ。別に、深く考えたわけじゃない。でもこれが、アンタに届くための俺の選択だ」
 槍に翼、矛にして盾。
 それは、おそらく正しく戦いを知る者からすれば浅知恵でしかないけれど……「対ブラン」に限って言うならば有効な選択であろうことは、セイルも確信している。
 ブランの戦い方は、限りなくディスに似ている。素早い動きで相手を翻弄し、相手の行動を予測した上でその隙をつく。違うところといえば、ディスがわざと相手を翻弄して隙を誘うのに対し、ブランはその超人的な予測能力で確実に相手の弱点を突く、という点だろうか。
 ただ、ディスにしろブランにしろ、そうしなければ相手を圧倒できない、という点では一致する。
 彼ら自身は、決定力に欠けるのだ。
 それをセイルはブランとの手合わせの中で理解した。ブランは飛び道具と長物を得意とするが、それは自分の間合いを確保するために他ならない。
 純粋な力と力をぶつかり合わせる戦いでは絶対に勝つことは出来ない、という確信が、ブランにその選択を取らせていると言えよう。
 それと対照的に、セイルが持つのは技術でなく純粋なる力。ただがむしゃらに押すだけならば翻弄されるばかりだが、やり方によってはブランの弄する細かい技巧など全てを薙ぎ払えてしまうほどの、圧倒的な力だ。
 避けることが出来なければ、己の肉体を持って防げばよい。相手の守りが崩せないならば、それ以上の力と速度で貫けばよい。その「無茶」を可能とするだけの力が、セイルにはある。
 そして、その全てを生かすならばこの形しかない。
 青空を舞う渡虹鳥のごとき、強靭な翼。どんな風をも受け流し、空の一点を貫くもの。それがセイルの理想としたイメージであった。
 ブランは小さく息をつき、僅かに口の端を歪めて言う。
「……守りの翼、か。全く、素直かつ有効な選択だ」
 だが、と言ってブランもまた武器を構え直す。
「俺を破るには未熟だ。それを、教えてやる」